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論説 明治二十九年七月九日

●慘話中の笑話岩手縣北閉伊郡小本村函石某夫婦ハ凶災當夜ハ端午の節句なれバとて妻女の實父も來合せ樓上に於て水入らずの酒宴を催しいと樂しげに笑ひ興じてありける中に計らずも津浪々々と呼ぶ聲に三人とも酒氣充分に廻り上機嫌を極め居りたる事とて別段周章狼狽の体もなく泰然としてナニ津浪だツて驚くにも當るまいなどと左程にもあらぬとヽ思ひ落付き居たるハよかりしが忽ち激浪の雨戸を打て至り其の有樣凄じとも物すごしとも云はん方なければ左しもの三人も此時初めて容易ならざる事變なりと知り酒も興もさめ果てあハてふためき二階を下りたるが此時怒濤益々烈しく押し寄せ來るにぞ三人ハ所詮逃れぬ處と觀念し米櫃の上に這ひあがり死なバ諸共と親子夫婦相擁して只死期を待つ計りなりしに能くよくの高運なればにや三浦助一なる人之を認め一枚の板を屋後濁浪の上に渡し山傳ひに三人とも逃れしめて一同無事なるを得たるハ慘話中の一笑話ともいふべくや芽出度きことの限りなり

???スケッチあり