明治二十九年七月九日●大津中嶋兩代議士視察報告
進歩黨本部にてハ去七八兩日引續き午後一時より常議員會を開き海嘯特派員大津淳一郎中島祐八の兩氏より提出したる左の報告書を是認し爾來此方針に依りて運動することに議決したり海嘯被害地視察報告三陸海嘯の慘状及び其善後の處分につき實地に臨み聊か視察する所ありと雖ども其延長數十里に亘り精察を盡す能ハず故に是れハ當局者が不日の報告に譲り概畧國家の盡さヾる可からざる要點を舉ぐれば之を左の二期に分つ可し第一期數万の災民ハ備荒貯蓄の救助後直に産業に就き難し今後適當の救助を爲して生存せしめざる可らず其救助費ハ遅滯なく國庫より之を支出せざる可からず一災害の爲めに臨時に湧出したる諸般の費用例へバ米穀雑品の運搬死者の埋葬等に要したる人夫費運搬雜費災後の衛生等の如き諸般の費用頗る巨額に上り到底災餘の町村並に地方税の堪*る所にあらず是亦國庫より支出すること刻下の急なるべし以上の經費を概算せバ賴森、岩手、宮城の三縣を合せて三十万圓内外の金額を要す可し是れ迅速に第二豫備金より支出すべきものと思考す第二期一流失戸數七千六百餘流潰戸數一千四百餘計八千餘の戸口を離散廢絶せんとするを放棄すべからず宜く適當の方法を講じて戸數の廢絶を防ぎ町村を殘せず海産復舊の救濟を爲すは國家の務たる可し以上の經費を算ずるに靑森宮城の兩縣ハ被害の少なきと交通の便とにより稍ヽ調査せしものありしも岩手縣に至てハ未だ調査を終らず故に被害鄕の確報を得ざるも之が救濟費ハ凡一百万圓内外の金額ハ國庫より支出すべきものと思考せり第一期處分の最急たるハ勿論なれども第二期の處分も亦急を要し決して第十通常議會を待つ能ハず何となれバ漁業も一般に夏秋の候を以て好季とす特に被害地には夏季の漁業多しと聞く第十議會を待て之が救濟を爲さんとせば夏秋より冬季に渡り本年の漁業を廢し其間災餘の窮民ハ四方に流離散亂すべし故に國家ハ速やかに救濟の策を施さざる可らず之を要するに第一期第二期の經費を通算するに概算百万圓乃至百五十万圓の間にあるべし然るに第二豫備金の殘存せるもの僅々八十七万圓に過きず此金額を除きてハ政府が今回の災害に對して憲法上行政の活動を顕ハすべきの手段あることなし若し姑息自から欺くの窮策に依頼するときハ此の有限の金額を以て一時を彌縫すること能ハざるにあらざるべしと雖も*も國家須らく盡くべすきの義務を盡し大に行政の活動を保たんと欲すれば速に臨時議會を召集して國家と共に遺憾なきの救濟を施さヽる可らず