●岩手県大海嘯 大惨害彙報
去る19日午後10時までに調査したる分は左の如し。
◎気仙郡(1町11ヶ村)
町村名 従来 潰家及流 死亡
戸数 失の戸数 従来人口 人員
気仙村 524 ……… 3,816 ………
大舟渡村 298 ……… 2,346 ………
米崎村 345 ……… 2,383 ………
広田村 452 ……… 3,144 ………
同駐在所破壊、巡査1人のみ生存。其の家族皆死亡す
越喜来村 312 ……… 2,361 ………
同駐在所流亡。巡査及び其の家族死亡せり
高田町 560 ……… 3,418 ………
米崎村 360 ……… 2,881 ………
同駐在所破壊、巡査及び其の家族死亡せり
小友村 376 ……… 2,617 ………
赤崎村 393 ……… 3,112 ………
同小学校流失したり
唐丹村 449 ……… 2,793 ………
同駐在所及び小学校流失、巡査1名並びにその家族悉
く死亡
綾里村 436 ……… 2,767 ………
同駐在所及び小学校流失。巡査負傷す
吉浜村 133 ……… 1,075 ………
小計 4,648 1,560 3,743 6,380
◎南閉伊郡 (2町1ヶ村)
釜石町1,105 ……… 6,092 ……
巡査1名死亡。署員皆負傷。電信局流失
大槌町1,172 ……… 7,027 ……
小学校6流失せり
鵜住居村 474 ……… 3,153 ……
字両石全戸流失
小計 2,751 1,664 16,272 8,334
◎東閉伊郡 (3町8ヶ村)
宮古町 994 20 5、469 12
鍬ヶ崎町 674 300 3,787 100
負傷者20人内外なり
山田町 805 400 4、387 1,000
舟越村 457 不詳 2,649 1,250
田ノ浜駐在所及び村役場流失、巡査並びにその家族死亡す
織笠村 334 60 1,902 60
大澤村 215 193 1,188 500
全村僅かに3戸を残すのみ。村役場流失
重茂村 232 103 1,506 496
駐在所巡査死せり
磯鶏村 333 109 2,211 90
負傷者100人余なり
津軽石村 436 8 2,618 3
崎山村 153 45 1,044 116
田老村 661 未詳 3,801 2,000
全村僅かに2戸を残すのみ。学校駐在所流失。巡査
2人及び其の家族皆死せり
小計 5,294 1,228 30,562 627
◎北閉伊郡 (3ヶ村)
小本村 381 130 2,100 367
駐在所及び役場郵便局等皆流失せるも役員は無事なり
田野畑村 462 44 3,005 209
破壊3戸、負傷11人
譜代村 311 69 1,970 261
破壊6、負傷5人、学校及び駐在所流失、巡査身を以
て免れ家族皆死亡す
小計 1,154 243 7,075 837
◎南九戸郡 (1町3ヶ村)
野田村 405 97 2,551 258
負傷者40人なり。村役場、学校、駐在所等流失。巡
査は無事なれどもその妻子3人死亡
宇部村 327 48 2,227 160
久慈町 623 100 4,409 400
負傷者28人なり
長内村 472 未詳 2,719 未詳
小計 1,827 245 11,906 818
負傷者68人なり
◎北九戸郡 (3ヶ村)
侍浜村 181 50 1,461 100
中野村 232 未詳 1,670 未詳
種市村 643 30 4,581 100
小計 1,056 80 7,712 200
合計16,730 5,030 106,270 22,196
負傷者1,244人なり
●宮城県大海嘯彙報
去る19日朝宮城県庁に達したる被害の報告は稍
精確を得たるものならん。併し尚綿密に取り調べ
たらんには、続々として増加すべきことは勿論なる
べし。即ちその調査は左の如し。
本 吉 郡
(志津川町及び歌津村)流失家屋464戸、
溺死1,223人、負傷410人
(大谷村)流失家屋83戸、溺死329人
(階上村)流失家屋85戸、溺死421人
(唐桑村)流失家屋262戸、溺死823人
(大島村)流失家屋31戸、溺死45人
(小泉村)流失家屋55戸、溺死230人
負傷300人
(鹿折村)流失家屋3戸、溺死6人
桃 生 郡
(十五浜村字雄勝浜)流失家屋17戸、潰家
25戸、半潰77戸、溺死28人、負傷5
人、馬死亡3頭
(同村字舟越)流失家屋11戸、潰家2戸、半潰
27戸、潰死27人
(同村名振)潰家1戸
(大川村)流失家屋3戸、溺死1人
(大原村字谷川)流失家屋6戸、溺死1人、馬死
亡2頭
(女川村字女川)流失家屋36戸、溺死1人、
(同村字御前浜)流失家屋2戸、溺死2人
以上を計算すれば、流失家屋の数は実に1,058
戸にして、死亡人員は3,134名なり。
◎志津川分署の報告 志津川分署より去る19日
朝その筋へ達したる電報左の如し。
溺死1,223人、負傷410人、流失戸数
464戸、死体発見300人、埋葬済みは200に
過ぎず。
●海嘯の原因及び歴史
日本は原来火山脈多き土地なるをもって、古より地
震の多きこと世界中我が国の如きはなかるべし。而し
てこれを歴史に徴するに、地震の海辺に起こるや常に
海嘯を起こし、人家田畑を流失し、人畜を死傷せしめ
ざるなく、海嘯の原因は全く地震に由来するもの
なり。然れども古来未だ今回東北地方災害の如く
区域の広く且つ損傷の大なるはなし。今我が国開闢
以来海嘯史を検するに、左の如きものあり。
人王48代称徳天皇天平神護2年6月5日、大
隔神■新島震動やまず、海水溢れ民皆流亡す。
清和天皇貞観11年5月25日、陸奥国地大いに震
動し流光昼の如く隠映す。しばらくして人民叫呼伏
して起きるあたわず。或いは屋倒れ圧死し、或いは地裂け馬
牛驚き走り、或いは相昇踏し城廓倉庫門■■■■■
覆するものその数を知らず。海哮吼の声雷■に似たり。 驚濤涌潮泝洄■溢し忽ち城下に至り、海を距てる
数百十里、浩々その涯■を知らず。原野道路■って隠
溟したり。舟に乗ずるにいとまあらず。山に登るに及び
難く溺死するもの数千人、資産苗稼殆ど遺なし。
光孝天皇仁和3年5月29日、7月2日、同7日共
に地震す。この日五幾七道、諸国の官舎多く損し海潮
陸に漲り溺死するもの挙げて数うべからず。摂津最
も甚だし。衣東西声あり雷の如し。
朱雀天皇天慶元年2月20日地震す。鴨川水大に溢
れ京城に入り多く人家を漂流す。
後村上天皇興国16年6月18日及び20日地
震す。阿波雪港海溢れ、居民廬舎1,700家を流失す。
同7月24日大に地震し、難波浦海溢れ死するもの
数百人。阿波、鳴戸潮涸れ陸となり■鼓あり石上に
見る。
後土御門天皇延徳7年8月22日伊勢地大に震
う。海水激しく、流死するもの1万余人、国崎島没す。この
日鎌倉震すること一昼夜、凡そ30度江ノ島地峡また海
となる。またこの日伊勢、紀伊、三河海溢れ、安房国海嘯あ
り。内浦誕生等為に破損す。
後陽成天皇天正18年2月16日地震し、安房上
総、下総に常陸最も甚だし。山崩れ海埋まり、家屋転倒せ
ざるもの稀なり。また慶長6年12月16日上総、安
房、地大に震え、山崩れ海埋まり嶽を海上に為し、潮涸
れること30余町。明旦海大に鳴り、潮水溢れて人畜死
するもの算なし。同19年10月25日地大に震え海
溢れ死するもの多し。
東山天皇元禄16年11月21日関東諸国地震
海嘯あり。安房また甚だしく、家屋一時に転倒す。相模、武
蔵、上野等甚だしく江戸城廓壊水、茅屋一つも全きものな
し。箱根山崩れ、海水暴溢し溺死数えるべからず。同時
に安房の国また海嘯あり千余戸を流亡。同4年10月4
日伊勢の国度会郡、海水激す。民屋流亡して男女死す
るもの80余人。遠江の国潮溢れ、荒井、白須賀2陸陥り人
畜多く死す。
光挌天皇寛永9年4月得撫島地震し海嘯あり。露
船を■蕩して山上に至り後海に下すべからず。露
人船を棄てゝ去る。
孝明天皇弘化4年11月4日地震あり。富士山および
箱根山崩れ、下田海溢れ18■■■■となり、溺死
者多し。紀伊■■■の民家千余戸を破り、大島を沈
没し島民皆死す。伊勢の国は山田の町家数百を破り、
人多く溺死す。和泉■■播磨諸国、洪波起こり大阪の
市民700余人道頓堀に溺死す。