雜 報
●宮城縣海嘯被害者救護状况(讀)
第二高等學校醫學科卒業受驗生 田 澤 多 吉
而して余等の當赤十字社假病院を創設するに際
し最も不便なりしは患者を運ふの人夫なく看護
婦なきにあり然れども其創傷の輕度なるものは
之れを人夫となし又自らは或は醫となり或は看
護人となりて以て治療を施せしに其患者の漸く
治癒に向ひ通院を命せんとするに歸るに家なく
養ふに家人なきには轉々潜然たらざるを得ざり
し而して患者の内には老あり幼あり殊に悲むべ
きは二歳の童女死せる母体に二日間抱かれ居り
しに遂に助命せしものヽ如き或は幼稚なる二人
の孫と己れのみ助かりし老人あり或は夫に別れ
し婦人あり或は孤獨なるものヽ如き其肉体上の
疾病の癒ゆるに從ひ遂に彼等は精神的疾病を起
すに至れるは悲痛の極にてありき而して余等其
救療一段落を終へしを以て歸校せんとするや患
者の潜かに之れを知るものありて其別を惜み恰
も父母に捨てらるヽ子の如く轉た哭泣するもの
ありき依て其交代まては毫も彼等に歸校の事を
告げざりし彼等の眞情に在りては實に左もある
べき事ともなり
一日患者の手入濟に閑を得たれは大澤を巡視す
此地八十戸許の戸數ありしに其四十八戸は流失
し百七十五人の死亡者を出たし斃馬二十八頭な
りしと云ふ嗚呼亦無慘なる哉殊に此地に憐れな
る話は這回被害に係る海濱に接する家屋は昨年
四月頃悉く燒失して此頃に至り其新築濟みとな
りしのみと然るに昨年祝融の災に罹らざる山手
の家屋は遂に亦災難を免れしとの事なり且海岸
の状况として山手の家屋は多くは貧窟なるを如
何せん此地舘の北方半里許にして正さに宮城岩
手の縣界に接せり余等の此地を巡視せしは正さ
に被害后九日目なりしに死体の發見三分一に及
ばずと唯見る海中の材木然れども誰一人之れを
引上るものなし
近濱の状况 此地風景甚た佳にして小松島の名
あり殊に鹹水石に富む嘗て宮城御建造の際に夥
しく其の鹹水石を運搬せられたりと云ふ如斯き
風致の絶景も今や既に涙の種となる噫(田澤氏
の本稿には患者取扱の表もあれど略す)