雜 報
●宮城縣海嘯被害者救護状况(讀) 第二高等學校醫學科卒業受驗生 田 澤 多 吉
十八日午后一時四十分發の列車は吉村校長、山
田収税長、柏村敎授に送られ三十八名の救護員
(醫學士及醫學得業士各一名學生三十六名)と三
名の事務員を載せ一聲の笛と共に黑煙を吹て
北方に向ふ岩切、利府の停車塲を經て午后二時
三十分松嶋停車塲に達す同行の桃生郡雄勝濱行
は茲に下車して石巻町に向へるを以て互に健在
なれど會釋し次て鹿嶋臺、小牛田、瀬峯の停車
塲を經て午后三時五十分新田停車塲に到る同行
の本吉郡志津川町行亦茲に下車せしを以て互に
會釋して別れぬ夫れより石越、花泉の停車塲を
經て岩手縣西磐井郡一ノ關町に着せしは正さに
午后四時五十分にして余等も亦茲に下車する事
となれり而して宮城縣より豫て腕車の準備を同
地郡役所に依托し置きしに豈圖らんや腕車は凡
て被害地に向ひ一輛の準備をもなす得ざりしと
の事を同地郡書記より申來れり於此一同大に失
望しぬ余等元とより徒歩は豫期せし所なりと雖
とも一は速行を要すると一は途中の疲勞は被害
地着後の障害となれは可成的腕車を借るの必要
あり然れとも遂に其氣仙沼町に到る十三里の行
程徒歩するの止むなきに至れるか先つ晩餐を喫
せばやとて同地旅舘山本屋に投し其休憩間に腕
車の準備を警察署に依托せり然るに其準備し得
たる所のものは僅に二輛の腕車と一輛の荷馬車
のみ依て携帶の器械藥品並諸物品は之れを荷馬
車に附載し神村敎授並佐武縣属の外悉く徒歩す
る事に决し午后七時日輪正に西山に舂き暮霞遠
きより來るの刻一ノ關町を發して狐禪寺村に向
ふ盖し余等の任務寸刻も忽にすべからさるか故
に夜を徹して速に被害地に達せんとするを以て
なり而して狐禪寺は一ノ關町の東距一里許に位
し北上川に瀕せる渡船塲にして茲處に到らは必
すや船に依り北上川を下るの便利を有すべしと
の事を聞けり其同地に着せすは午后八時直に船
を買ふの談判をなせしに船夫等不當の金を貪ら
んと欲し其夜半の故を以て容易に承諾せざりし
然れども我等は速行を要する事なれば其賃金の
如何は之れを顧みるに遑なく強く其漕舟を促し
午后九時同地を發せり此夜天朗かにして一點の
繊雲なく仰て高天を凝視すれば月輪煌々として
蒼空に懸り星芒亦燦然たり俯して船側を窺へば
渺たる水の淸々として波靜かなり飜て両岸を望
めば山聳へ樹茂り谷臥して草眠り時鳥の聲は蟲
の音に相和し樹影自ら波間に碎くの景や實に美
絶壯絶若し余等をして墨客文人の宴遊ならしめ
ば豈に空しく此の風景と別るヽを許さんや然れ
ども身は刀圭にして而かも今や慘絶凄絶を極む
る災民を救療すべきの途斯の如き美景も亦自ら
涙の種となる嗚呼刀圭家の快何くにかあると獨
語しつヽ狐禪寺を距る三里許なる岩手縣東磐井
郡薄衣村に着せしは正に夜半の十一時二十分に
して月光亦西山に潜むの時なりし同行者の一人
月光の谷間に沈みて朦朧たる光芒突兀たる両側
の山間に現はるヽを評して其状恰も燒灼器を以
て痔核を療するに似すやと衆其適評を稱す刀圭
家の言斯の如きものなり其旅宿に投して空腹を
癒す而して之れより又船便を得べからず一輛の
腕車なし且深更の刻なれは同處に宿せんと欲す
るものありしも其寸閑も猶豫すべからさる任務
を帶ぶる事なれは夜を徹し速行する事に一决せ
り之れ余等の官命を重んすると其災民を速に救
療せんとするの念勃然たるに依る
十九日午前零時十分漸く荷物運搬用の荷馬車一
輛を傭ふて徒歩薄衣村を出發す月光既に失せて
唯星芒を望むべきのみ途平坦にして敢て障害な
きも草木眠むれるの深更なれは些細の事すら鼓
膜を刺激し來れり殊に途の一側には巍然たる山
岳の聳立するあり一側は水聲而かも千仭の谷間
を流るヽの風情なり其傍に木茂り草茫々として
暗澹たるの状態に燈火に照して之れを窺ふも其
深底を知る能はざりしには轉た慄然たる事もあ
りき或は牛の野遊せるものに驚かされたる事も
々して漸く進む事二里餘同郡千廐村に達せし
は正さに午前二時三十分なりし此地幸に警察署
の存するあるを以て同署の手を經て腕車を■は
んとせしも亦何の得る所なかりし漸く歩を進め
二里許にして幸に一輛の荷馬車あり之れを傭ふ
て一行乘車するを得たるは屈竟の幸運なりし夫
れより一里許にして同郡折壁村に達せしは正さ
に午前五時二十分なりし此地仙臺を距る三十二
里にして氣仙沼町の西距四里なりとす該地に於
て駐在巡査の手を經て漸く二輛の腕車を賈ふを
得たれは神村敎授并佐武縣屬を先發せしめ他は
例の荷馬車を軋らせて臀部に腕胝腫を形成しつ
ヽ苦辛の下に氣仙沼町に着せしは午■八時五十
分なりし直に旅舘■傳に投して朝餐を喫す
氣仙沼町は海濱に接すれとも幸に這回の被害を
免れたる所なり然るに茲處には陸軍々醫の出張
するありて既に赤十字社假病院を設立し近濱の
患者を収容せり又當地の東北方なる唐桑村字宿
にも赤十字社假病院の設立あり而して同村字只
越并大澤は這回海嘯の■も慘状を極めたるの地
にして當宮城縣中之■■最たるものなり然れと
も其地僻陬に屬し途亦遼遠交通不便なるの故を
以て其慘状久しく世人に知られず加ふるに該地
醫士の乏しきを以て之れが救治を施す事能はず
且醫員乏の爲め赤十字社假病院も亦未た該地
に設立せられざるを以て徙に其生民をして苦酸
の下に呻吟せしむるの止むなきに至れり乞ふ速
に該地に赤十字社假病院を新設して之れか救護
の任務を盡せとの囑托を受く依て神村敎授其一
行十五名を三分し五名は氣仙沼町赤十字社假病
院附救護員に充て四名は唐桑村字宿赤十字社假
病院附救護員となし自ら六名を率ひて唐桑村字
舘に赤十字社假病院を新設して字只越并に大澤
の被害者を救護することに决せり其の部署亦抽
籤に依りて之を定めしに余は其新設すべき舘赤
十字社假病院附となれり (未完)