県南漁業に手痛い被害
【上】津波のため打ち
重なったり。こわれ
たりした養殖真珠の
イカダ(橘湾で)
【下】橘小学校で一夜
をあかす町民たち
真珠、10億円流れる 漁船36隻が流失、破損 県水試が漁況観測
二十四日の津波により、県南の漁業は漁船の流失、網の破損などかなりの被害が出た。とくに橘、那佐湾の
真珠は養殖イカダがつぎつぎに流失したため損失も大きく、橘湾ではほとんど全滅状態となって十億円もの
大打撃だという。また県水産試験場ではこの津波がこんごの漁獲に大きな影響を与えそうだとして、二十四
日正午から調査船「とくしま丸」で沿岸一帯の海洋調査をはじめた。
阿南市橘町の橘湾では三重県伊勢
市の三共真珠をはじめ同県の真珠
業者二十社と、橘町漁協の真珠養
殖組合(松田春之助組合長)がイ
カダ約二千五百台で真珠一千万個
を養殖していたが、ほとんどのイ
カダが沖へ流された。一部湾内を
流れている分はさっそく引き上げ
にかかっているが、泥水のため貝
はほとんど死んでしまう恐れがあ
るという。このため橘町漁協の養
殖組合では被害額は約十億円とみ
ており、さっそく流失したイカダ
の収集方法などを協議する。
また海部郡海部町の那佐湾では
昭和真珠(木場竹蔵社長)がイ
カダ約三十台で母貝、稚貝約十
万個を養殖中だったが、うち五
万個以上の母貝が湾内に沈ん
だ。木場社長は「金額にして百
万円ぐらいの損害だ。近く海女
を雇って海底から拾いあげる
が、どれだけ拾えるかが疑問
だと暗い表情だ。
ただ海部郡日和佐町田井の亀井港
にある県水産試験場の養殖真珠場
は、イカダにつるしてあった三万
個の真珠母貝のうち一万個が海に
落ちたが、水深が浅かったためす
ぐ拾いあげ、被害はほとんどなか
った。
県水産課ではこのほか漁業関係
の被害を調査中だが、二十四日
夕方までにわかったところでは
被害は橘、大潟、浅川、日和佐、
鞘奥、宍喰、川内の七漁業にお
よび、漁船は三十六隻が流失、
破損した。また海部郡海部町浅
川では二十三日夜から沖に敷き
こんでいた浅川漁港の小型定置
網(イワシ網)七統がずたずたに
破られ「イワシの漁期はあと一
ヵ月あるのに、これでは漁にな
らぬ」と頭をかかえている。ま
た漁民たちもあすからの出漁の
心配で夜もおちおち眠れないあ
りさまだ。このほかの漁協が敷
きこんであった網もかなりの被
害を受けたもようである。
一方、県水産試験場ではこの津波
のため沿岸の潮流に変化が起こ
り、漁業に大きい影響を与える恐
れがあるとして「とくしま丸」
(三二トン、浦口喜博船長)を二十
四日正午から五日間の予定で県沿
岸一帯の臨時海洋観測に出港させ
た。同試験場では「こんどの津波
による漁業への影響は必ず出る
だろう。いままでわりあい成績の
よかったイワシ、アジ、サバ漁業
などはこれから悪くなり、その反
対に不振だったカツオはよくなる
のではないか。というのは、いま
カツオが不漁なのは和歌山県潮岬
沖に冷水帯が停滞しているためだ
が、これが津波でくだかれ、沖合
を流れている黒潮の本流がぐんと
県沿岸に近づくことが考えられる
からだ」といっている。
真珠 三重、和歌山の被害39億円
津、和歌山=三重県志摩地方の真
珠養殖場の被害は同県水産課のま
とめによると、流失、破損したイ
カダは一万八千三百台、被害総額
三十七億余円で、県下養殖数六万
二千台のうち約三分の一に当た
る。とくに被害の大きかったのは
五ヶ所湾の四千三百二十台で、業
者は伊勢湾台風の災害復旧資金を
借りて再建に立った出ばなをたた
かれた。
和歌山の真珠の被害も田辺湾、
勝浦湾、黒江湾などで被害総額
は約二億円に上がるものとみら
れている。ことに田辺湾では二
千二百十五台の真珠イカダのう
ち大半が岸壁に打ち上げられた
り、網が切れて母貝がイカダか
ら落ち海底に沈んだ。
高知の真珠も全滅状態
高知=高波のため高知県の真珠養
殖場は全滅状態となった。高知県
水産第二課の調べによると須崎市
須崎、同浦ノ内、高知市浦戸、土
佐清水市清水、宿毛市宿毛などの
真珠養殖場の養殖イカダは流失、
須崎、浦ノ内各五千万円、浦戸約
三千万円の被害を出している。と
くに須崎の養殖真珠はピンク色の
真円真珠として全国的に有名。
230人を学校に収容 橘たき出しして復旧急ぐ
大津波に襲われた県南各町の被災
者たちは、二十四日午後には危険
も去ったので、さっそく、復旧に
立ち上がった。ことに橘町では被
害が一番大きかったため、阿南市
役所では所内に津波災害対策本部
を特設し、災害救助法を発動した
県と協力して救援に乗り出した
が、床上に浸水したため学校など
で途方にくれた一夜を過ごした人
も多かった。
津波が去ったあとの橘町では、
午後から隣接町村の消防団員な
ど約四百人が応援にかけつけ、
家の中に突っ込んだり、道路に
ころがっている材木や押し流さ
れてきた小屋などをつぎつぎに
取り除きはじめた。町民たちも
波にえぐられて穴だらけになっ
た家々の壁に応急手当をした
り、泥んこの床や畳を水で洗っ
てほしたり、こわれた家財道具
を整理するなど復旧に懸命。夕
刻までには一段落したが、商品
や衣類、タンスなどの家財道具
は泥まみれでめちゃめちゃ。手
の施しようもなく、異様な臭気
につつまれた”傷だらけの町”
の中で途方に暮れる者も多か
った。
こうした惨状に対して阿南市保険
課と阿南保健所では午後から伝染
病予防のため町全体の消毒に乗り
出し、日赤小松島支部、阿南共栄
病院からは医療班が出て被災者の
医療に当たった。また新野町婦人
会などがニギリ飯を炊きだした
り、近隣町村の人々がマキを運ん
で配るなど被災者たちを力づけ
たが、タキ出しの米は橘農業倉
庫の百俵や配給所の米が水びたし
になったため、近くの農家から約
三千キロ(二十石)を応急米として
確保した。
阿南市当局は午後三時半から市
役所で緊急課長会議を開き、応
急対策を協議した結果、畳がか
わかず寝るところがなくなっ
た人々二百三十人をとりあえず
同市橘町支所と橘小、中学校講
堂、橘公民館の仮宿舎に収容、
毛布五百五十枚、畳八十枚など
を用意した。
また冠水した同町の水田について
は、だめになった苗を市で買い入
れて植えかえることを決めた。阿
南市ではさらに二十五日午前九時
から市議会全員協議会を開いて対
策をねる。
一方、牢岐町では午後の満潮時
にも、再度の津波来襲を恐れて
海岸ぞいの住民たちは寺や神社
に避難したが、潮の高さは平常
と変わらなかったため夕刻には
全員が帰宅した。しかし床上浸
水した十七戸の家族たちは町役
場から米を支給され、夜は親類
や同町万徳寺の本堂を仮ずまい
とした。
海部郡海南町浅川は午後も数回に
わたってかなりはげしい潮の満ち
ひきがあり、午後五時から六時の
間は浅川湾の高さ四メートルの桟橋が海
水でつかるまでになったが、その
後は平水位に返った。しかし二十
一年の南海震災の経験があるだけ
に住民の顔からはまだ不安は去ら
ず、平地にある数軒の民家は家財
道具をまとめて高台の知り合いに
運び、床上浸水した五戸の家族は
高台の寺院や親類の家に避難して
一夜をあかした。
自衛艦が救援物資
小松島港に停泊していた海上自衛
隊第五護衛隊の自衛艦「はたか
ぜ」滝本二佐艦長・一四五〇トンは
二十四日午後六時すぎ救援のため
橘湾に到着、名川三佐が上陸して
阿南市津波災害本部に乾パン千七
百食分を贈った。
土讃線一部開通
高松=国鉄四国支社への連絡によ
ると二十四日朝の津波で不通にな
っていた土讃線吾桑ー安和間(中
間三駅)のうち、須崎ー安和間だ
けが同日午後四時に開通した。