文字サイズサイズ小サイズ中サイズ大

大津波奇襲のツメ跡

【写真説明】
①水浸しとなった八戸工業地帯(二本煙突の建物は八戸火力発電所、手前の黒い建
物は日曹八戸工場)=共同特別機から
②橘町亀ノ森における国道決壊場所
③浜に打ち揚げられた漁船(宍喰町で)
④大船渡市の岸壁に打ち揚げられた千トンの大型貨物船。四十五度に傾斜し、無残
に船腹をさらしている=共同特別機から
⑤津波に襲われ、北海道で最大の被害を受けた北海道霧多布。一瞬にして視の漁
港と化した(北海道新聞提供)

被災地を空から見る 漂流家屋救助を求む人影 三陸沿岸機上で無事を祈る

【共同特別機で堀江記者】三陸沿
岸の津波被害を空から見るため、
記者は二十四日午前十時三十五
分、霞ノ目空港を飛び立った。
   × × ×
◇…離陸して十数分、塩釜海岸が
眼下にひらけた。おびただしい数
の流木にまじって漁船が二、三十
隻無残にも海岸に打ち揚げられ
津波の大きさを物語っている。高
度五百メートル、いつもは海と空がはっ
きり見分けられる水平線も、きょ
うは無気味にかすんでいる。塩釜
港から松島湾一帯は灰色の海だ。
間もなく石巻湾上空にさしかか
る。石巻湾からはき出された灰色
の濁水が海に流れて泥酔と化し、
海岸に並んでいた海水浴小屋のほ
とんどが根こそぎ波にさらわれ、
襲った二、三の小屋も全く水浸し。
◇…北上するにつれて惨状が大き
くなっていくのが手に取るように
見える。牡鹿半島のノド元にある
女川町(人口一万七千)は流木に
埋まって身動きもならぬといった
感じ、おそらく全町の三分の一ぐ
らいがマヒしているようだ。同十
一時十分機は時速百七十キロで金華
山沖を通過、被害の最も大きい気
仙沼、大船渡方面に急いだ。
◇…機は志津川港上空にきた。ク
イを打ち込んだように海岸に突き
ささった無数の流木。水田もメチ
ャメチャだ。漁港の気仙沼の被害
はさらにひどい。港からいったん
約三キロの沖合まで流されたイカダ
が、こんどは海岸の方に向かって
すごい勢いで逆流していくのがは
っきりとみえる。避難民が高台の
方へアリのように小さく動いてい
る。ここにも港に近い約三百戸が
浸水して、ほとんど人影はない。
◇…陸前高田市の自衛隊の臨時着
陸基地は完全に水没、そのうえに
三隻の漁船が打ち揚げられてい
る。機長が家人を乗せたままの流
失家屋を発見した。港から約二十
キロ沖合だ。機は急降下して旋回
する。流木に取り巻かれた半壊の
二階建家屋だ。よくみると人間が
いる。屋根の上から助けを求めて
いる。だがいまの記者には手の施
しようもない。救助に向かうのだ
ろう。近くに小型漁船が泥海の中
を急いでいた。この家族たちの無
事を祈りながら機はさらに北上、
大船渡を目ざす。
◇…最も被害のひどい大船渡は港
口から三キロ平方にわたって流木が
流れ込み、想像以上の惨状だ。小
野田セメント工場岸壁に係留され
ていた一千トン級の大型貨物船が四
十五度に傾斜し、赤腹をさらして
いる。その回りをどす黒い恐怖の
水がはやてのように流木を乗せぐ
んぐん陸地を目ざして逆流してい
く。ところどころで恐ろしく青白
い渦を巻きながら…。高さ五メートルも
あろうか、つぎつぎに大波となっ
て断続的に陸地に押し寄せている
のだ。大船渡は人影もなく”死の
町”と化していた。

一瞬にして死の町 霧多布漁民はただぼう然

札幌=北海道で最大の被害を受け
た厚牢郡浜中村霧多布は死者五
人、行くえ不明四十人、家屋の全
半壊流三百八十戸を出し、一瞬に
して死の漁港と化した。自衛隊
帯広駐とん部隊機の偵察では同部
落はほとんど全滅、住民は着のみ
着のままで避難を続けている。津
波の襲来とともに高台に避難した
住民は、いつ押し寄せるかわから
ない津波にいまなお恐怖のどん底
に追いやられ、低空で舞う飛行機
に手を振る元気もなく、廃きょと
化した町をあぜんと見つめてい
た。
 路上には全半壊した家屋の屋根
 などが横たわり、海水はだいぶ
 引いたが低地にはまだドス黒い
 海水が壊れた家を洗い、肉親を
 失った人たちの立ちすくんで 
 いる姿も見える。波打ちぎわは
 数回の津波でさらわれた二百余
 戸の残がいでいっぱい。沖には
 数隻の破船とおびただしい材木
 が漂い、目をおおうばかりの惨
 状をみせていた。
塩釜=津波に襲われた塩釜市内は
夜具や家財道具を自転車やリヤカ
ーに一ぱい積んで高台や仙台方面
に避難する人々で二十四日早朝か
らごった返した。石巻線本塩釜駅
一帯は被害がひどく、高さ二メートルの
海水をかぶり、異臭が鼻をつきど
の家も泥水でさんたんたるあり
さま。海岸に出ると松島遊覧船を
はじめ無数の漁船がごっそり海岸
に打ち揚げられ、カキガラのつい
た船腹をみせて横倒しになってい
る。漁民は避難しネコの子もみえ
ない。
 漁民の一人は「前ぶれもなく、
 五、六メートル沖まで波が引き、海
 底の砂がむき出しになった次の
 瞬間、ゴーッという地響きを伴
 った海鳴りがして海全体が浮き
 上がった。大津波と気づいてか
 らは無我夢中だった」と恐怖を
 語っていた。塩釜港はおびただ
 しい流木と沈没漁船でいっぱい
 だ。塩釜署屋上の拡声器が「高
 台へ、落ち着いて避難しましょ
 う」と市民に呼びかけていた。

昭和になって五度目

気象庁観測部地震課の調べによる
昭和にはいってからの大津波はこ
んどが五度目。太平洋の向こう側
からの地震で大津波が起こったの
はいままでに例がない。
 三陸沖地震=八年三月、三陸沖
綾里湾(岩手県)で高さ十一メートルの
津波があり、死者二千九百八十六
人、流失家屋四千八十六戸。
 東南海道地震による津波=十九
年十二月尾鷲で六メートルを記録、地震
の被害と合わせて死者九百九十八
人、重傷二千百三十五人、家屋全
半壊七万余戸
 南海地震による津波=二十一
年、四国、九州、近畿地方で地震
と津波で死者千三百三十人、家屋
全半壊二万八千余戸を出し、紀伊
半島南端で高さ六・六メートルの津波が
記録された。
 十勝沖地震による津波=二十七
年北海道霧多布を大津波が襲い、
死者二十二、行くえ不明、重傷二
百人、家屋全壊五百十四戸を出
した。

チリの死傷者三百人を越す

【サンチアゴ二十三日AFP】チ
リ南部は三日間にわたり激震に襲
われ、このため三百名以上の死
者、数千人の負傷者が出たほか、
数万人の人々が家を失った。何
度か襲った地震のうちに国際地震
震度九・二というかつて地震計に
記録されたことのない大きなもの
があった。二十三日になってもま
だ振動が続いているが、被害の
ひどさは見当もつかないくらいで
ある。

ハワイの死傷者増大

【ホノルル二十三日発UPI=共
同】ハワイ群島を二十三日津波が
襲い同日正午過ぎまでに判明した
ところによると、ハワイのヒロの
被害は死者少なくとも二十六人、
行くえ不明二十五人、負傷者五十
七人となっている。

沖縄北部にも高潮

【那覇二十四日牧港共同通信員
発】二十四日午前六時ごろ沖縄北
部海岸に津波が押し寄せ、死者
二、行くえ不明一を出した。

警報なく”寝耳に水” 気象庁、ハワイ情報を無視

二十四日太平洋岸一帯を襲った大
津波は全くの”寝耳に水”だっ
た。一番早く警報が出されたのは
札幌管区気象台の午前五時。被害
の大きかった三陸海岸を受け持つ
八戸地方気象台では同五時十九分
予報を出した。ところが津波の第
一波は同二時四十七分に岩手県営
古で観測され、同五時十四分には
八戸で最高の五メートルを記録した。
 警報の出遅れについて気象台で
は①地球の裏側からの津波による
災害はこれまでになかった②情報
が不足していた③気象業務法によ
る津波警報は日本近海の地震に対
して出すことになっている、など
をおもな理由にあげている。しか
し同庁には二十三日午前中にハワ
イの津波情報センターから情報が
はいっていた。この情報がかえり
みられなかったことにこんどの大
被害の原因の一半があるといって
よいようだ。これまでの気象庁の
説明によると状況は次のようだ。
津波情報に
ついては現
在、国際的な
データ交換協
定はない。し
かし在日米軍
がいる関係
で、太平洋地
域に津波警報
を出す米国組
織であるホノ
ルル沿岸測地
局からの情報
は常時同庁に
はいる。こん
どの場合も半
日以上前の二
十三日午前十
時二十分には
「チリ地震で
被害を伴う津
波があるかも
しれない」と
の一報が入
電、さらに同日午後六時五十七分
強さの程度は不明だったが、ハワ
イ諸島に対する津波到着予想時間
をふくめた情報がもたらされてい
る。ところが気象庁地震課ではい
ままでにチリ付近の地震で実害の
ある津波を受けた経験がないた
め、警戒態勢をとらなかったとい
う。このためハワイからの第二報
は退庁時間後でもあり予報官の手
もとに届かずこの失態となった。

予想をはるかに越えた規模 和達気象庁長官の話

和達気象庁長官は二十四日午後一
時半から気象庁で記者会見を行な
い、同朝の津波警報の出し遅れに
ついて「全く意表をついたもので
勉強不足というほかはない」と次
のように語った。
 「こんどのチリ地震である程度
 の影響があるとは思ったが、こ
 れだけの規模のものとは考えな
 かった。明治三十九年のチリの
 大地震のときでさえ、検潮儀に
 感ずる程度だったので、こんな
 規模の津波がくるとは予想しな
 かった。ハワイからの警報も南
 太平洋向けのものだった。地球
 の裏側に地震がそれぞれの被害
 を出してのは地球物理学史上に
 はない。文献、観測経験の限界
 を越えたものだ。これをきっか
 けに世界的な警報体制をつくる
 よう努めたい」