花 と 愛 國 の 夕 第一夜
非常時日本の春を象徴して、十日まで「花と愛國の
夕」といふ特別プロ編まれ、 今晩はその第一夜で
す。 吹奏樂は陸軍戸山學校軍樂隊、 放送舞台劇は忠
義の心あふるヽ淸正の誠を、 當り役として定評あ
る吉右衛門がその名調子で聞かせる 「地震加藤」 い
づれにしろ豪華版の名に恥ぢぬものです。
吉右衛門の名調子で聞かす 地 震 加 藤 新歌舞伎十八番の内『桃山譚』
「加藤地震」は「新歌舞伎十八番」の市川海老
藏遺稿を黙阿彌が脚色して、 明治二年八
月市村座に上演した「增補桃山譚」一幕四塲
をいふ、 伏見の大地震に淸正が閉門の身
をも忘れて桃山御殿にかけつけた史實に基
いたもので、 九代目團十郎が涙溢るヽ熱
誠を見せた地震加藤は、 明治劇壇での傑作
だつたが今では吉右衛門の當り藝の一つ
主たる配役
【加藤肥後守淸正】中村吉右衛門
【同臣加藤淸兵衛】中村吉之丞
【同木村又藏】 中村七三郎
【同飯田角兵衛】 中村又五郎
【同井上大九郎】 中村吉之進
【同貴田孫兵衛】 尾上 梅笑
【同齋藤龍本】 中村歌五郎
【大政所】 中村 芝鶴
【松の丸】 中村福之丞
【幸藏王】 市川 紅若
【腰 元】 中村秀世外
【石田三成】 市川染五郎
【德川家康】 澤村源之助
【前川利定】 中村辰之丞
【太閤秀吉公】 大谷友右衛門
竹中連中(太 夫) 豐竹■太夫
(三味線) 竹澤 仲造
長唄■連中 杵屋榮藏社中
加藤屋敷玄關の塲
地震に荒された破風作りの玄關
前で■淸正の小者三、 四人。 先
は互に無事でと話し合つてゐる
所へ、 淸正の臣、 角兵衛、 大九
郎、 龍本、 いづれも鎧、 小手、
脚當、 太刀をつけ鐵の棒をもち
主君淸正の安否を氣づかつて馳
けつけて來て、 淸正の寢所へ行
かんとすると、 奥から 「あいや
氣づかひ致すな、 別状なきぞ」
といふ淸正の聲と共に、 玄關の
破風格子を毀し、 髪ボウ々々、
武具をつけて淸正現れる。
(続き1)
淸正『雷鳴地震は天地の不思議、
聞き及ぶ寳德文政の大地震もかく
やと思ふ今宵の天變、 主君の御身
氣づかはしく、 桃山御殿へ出仕な
さんと思ふ折柄、 その方達にはよ
くぞかけつけ來りしぞ』
角兵衛『たヾ今物見の築山より東
西南北見渡せしに』
大九郎『月 また殘る 眞夜中なれ
ど、 地中を震ひし土煙が』
孫兵衛『月を覆ふて闇夜の如く、
あいろもしかと分らざりしが』
龍本『所々の出火によく見れば、
東寺淸水八坂の塔』
角兵衛『家の棟高き神社佛閣、 市
中も余程破損の樣子』
淸正『むヽさては邊りの 神社 佛
閣、 震災ゆゑに破損せしとか、 氣
づかはしきは桃山御殿』
と淸正は屋根に上つて四方を眺
め、 所々の火の手に驚いて桃山
御殿へはせつけようとするのを
御勘氣中だからと臣下達止める
がきかない。
淸正『御勘氣の身を顧みず、 出仕
せしが落度となり、 一命を召さる
ヽとも、 武門を守る弓矢八幡はい
ふに及ばず、 わが日本は神國なる
に助くる神もなき道理、 神明誠を
照し給へば、 何條この身におとが
めあらん、 兎にも角にも淸正が、
一命かけての今宵の登城、 必ず共
にとヾむるな』
と淸正は長刀を取り、 余震揺る
ヽ中を、 臣下を從へて桃山御殿
へかけつける
桃山御殿奥庭の塲
桃山御殿奥庭の、 秀吉の急造り
の避難所、 秀吉、 幸藏王、 大政
所、 松の丸等が避難して、 何を
しても皆無事で幸せだつたなど
話し合つてゐる、 地震に驚いて
か、 お側の者とては小姓と腰元
はかり、 三人は、 かういふ時に
淸正が ゐてくれたら、 といろ
々々とりなしてみるが、 秀吉の
怒りはとけない。 とまたはげし
い揺り返し
(続き2)
(淨るり) 君の守護なす時しもあ
れ、 主君の大事と加藤淸正、 手の
者引連れ馳せ來り
淸正『幸藏主はおはさぬか、 幸藏
主々々』
大音に呼ばれば幕をかヽげて幸
藏主何人ならんとこなたへ立出で
幸藏主『わらはを呼ぶは何人なる
ぞ』
淸正『加藤肥後守淸正でござる』
折も折なので 幸藏主は 傍へ走
り寄り、 顔見守り久濶をのべ、
主君の御安泰をしらせる、 淸正
は幸藏主に、 主君秀吉へ出仕の
趣とりなしてくれる樣に頭をさ
げてたのみ入る、 幸藏主は幕の
内に入り大政所に話す
大政所『ナニ、 淸正が 來りしと
か、 忠義一圖の心故、 たれかれに
先立つてよくも早う來りしぞ』
松の丸『力量勝れし肥後殿が來り
しとは何よりの事』
とみな々々悦びあふ
秀吉『謹愼の身を顧みず、 押して
登城は不届き至極、 この地震を幸
ふにその身のわびにうせをつたか
……流石は忠義な……』
と秀吉の言葉に、 大政所、 幸藏
主、 松の丸の三人種々とりなす
が、 秀吉は目通りを許さない、
幸藏主もなく々々淸正にその趣
をつたへる、 騒ぎたつ臣下を制
して、 淸正は幸藏主に述懷する
淸正『われ三歳にして父に放れ、
御前において人となり、 十三歳の
初陣に敵のしるしをあげし時、 出
かしをつた虎之助、 今より予を親
と思へ、 われまた汝を子と思ふと
有難きお詞に、 それより數度の戰
塲に をくれを とりし 事 なきゆ
ゑ、 御感状の御墨付幾度となく頂
戴なし、 武門の 譽れと 所持なす
某、 その往古を思召さば、 少しの
落度あるとても、 御宥免あるべく
筈を倭人共の讒言にて、 御勘當と
は情なしと、 三度の食も咽喉を通
らず、 寢ても 寢られぬ 口惜しさ
に、 嬰兒の折より泣かざる淸正、
はじめて涙を覺えてござる』
その長き述懷を、 幕ごしにきい
て感動した大政所は、 秀吉の心
ははかりかねるが、 ともあれ、
中門の固めを仰せつけるので、
淸正はよろこんで固めにつく
城内中門の塲
加藤淸正の家來一同、 中門を固
めてゐる所へ、 石田三成が家來
をつれて出仕して來る、 三成、
怪しみつヽ開門を申込むが、 淸
兵衛、 又藏、 角兵衛等のために
からかはれる
(続き3)
三成『ヤァ最前よりわれに向ひ、
何故かような惡口申すぞ、 今天下
に三成を、 治部などヽ下賤同樣に
呼びなすは何奴なるぞ、 名をなの
れ、 その分にはいたさぬぞ』
淸兵衛『おヽ聞きたくば名乘りて
聞かさん、 臆病者の耳に聞き、 驚
いて目をまはすな』
又藏『今宵こヽの當番は、 大政所
の命をうけ、 肥後の國』
皆々『熊本の城主』
淸兵衛『加藤肥後守淸正なるわ』
淸正鎧の上へ陣羽織をき、 薙刀
を杖に出て來るので三成びつく
りする、 三成は淸正にやりこめ
られ、 家來運平切つてかヽらう
としてもみ合つてゐる所へ、 家
康、 利家 「暫く々々」 と聲をか
けて登城、淸正と三成のこの塲
の爭論を 兩人が 預ることにな
り、 兩人のすヽめで淸正は開門
する、 あとへ幸藏主來り、 秀吉
の御心の解けたことを知らせる
淸正『スリヤ大政所樣、 松殿のお
執りなしにて、 淸正が御勘氣御免
下さるとか』
淸兵衛『大慶至極に』
皆々『存じまする』
淸正、 家臣一同と共に幸藏主に
お禮する、 淸正、 幸藏主ととも
に法華經の功力に相違ないと話
し合ひ、 君前に伺候せんとする
と三成の臣運平鐵砲をもつて出
て來て、 淸正ににらみつけられ
て倒れる、 幸藏主と顔見合せて
淸正 「ハハヽヽヽヽ」 と朗かな
笑ひ —幕—