文字サイズサイズ小サイズ中サイズ大

恐怖の波…暗黒の不安

二十四日未明、一瞬にして巨大な“波の壁”におしつぶされた三陸海岸には、終日恐怖と不安がつづいた。ドッ、ドッ、ドー、不気
味な黒い波の音が夜まで断続して難を逃がれた人々をさいなんだ。宮城県志津川町では町の大半をたたきつぶされ、高台の避難者は
プルプルふるえながら流れ行く家にうつろなマナざしを向けていた。親と別れたこどもの泣き声、肉親を捜す呼び声があちこちに聞え
た。夕方、余波がひいたあとには土台と屋根を残した家々の、泥にまみれた残ガイがあった。被害は大きい−。

まだ不気味に鳴る海 救援品にもウツロな目 志津川町

【志津川で阿部記者】恐怖の一夜
を送る被災地志津川−。一瞬のう
ちに街の大半が泥土に埋まった志
津川町(全町三千二百戸、一万八
千三百人)は電灯はもちろんロー
ソクもない暗黒の不安に包まれ、
町内の高台にある志津川高、中、
小の三ヶ所には身寄りのない人々
約五千人が親子抱き合いながら恐
怖と寒さにふるえていた。
 何もない床板の上に被害跡から
 拾い集めてきたボロ布を敷き、
 一枚の毛布に家族四、五人が足
 を突っ込んで横になっている。
 自衛隊員から分けてもらったわ
 ずかなローソクが大きな校舎の
 中にポツンとともり、浜辺から
 吹き寄せる生ぐさい潮の香にゆ
 らいで、一そう不気味だ。
午後九時すぎ乾パンや医薬品を満
載した自衛隊のトラックがこうこ
うとヘッドライトを連ね街に入っ
て来た。ライトに照らし出された
おびただしい家屋の残がいの山に
一瞬隊員たちもたじろぐ。ウツロ
な目で「救援物資だ」という声
も、もう疲れと気ぬけから声にも
ならず、つぶやくだけだ。
 時々暗やみの中を子供たちが走
 って行き、校舎入口に設けられ
 た水飲み場で水をむさぼり飲
 む。避難する時飲んだ潮水でみ
 んなノドがカラカラにやけてい
 るのだ。この水も山一つ隔てた
 四、五キロ先の隣村から自衛隊員
 や消防団員がわざわざ運んで来
 た貴い水なのだ。
一方、浜辺では力こそ弱まったが
一時間おきに綱民の余波が寄せ返
し、不気味に鳴り響く。望楼上で
は消防団員がヤミをすかして徹夜
で監視していた。横になった避難
者たちは遠く浜辺をうつ波の音に
も反射的に身を起こす。老人たち
は幾度も寝返りを打ち、窓越しに
望楼をうかがっていた。

平静をとりもどす塩釜

【仙台】夜を迎え、塩釜の町もよ
うやく平静さを取り戻しつつあ
る。仙山宣も復旧、見舞客がつぎ
つぎろおりてくる。しかし本塩釜
駅陸橋の下に突っ込んだ市営観光
すわん丸(五五トン)は依然そのま
ま。同船桜田源治機関長(三八)は
「一分くらいのうちにドッとのし
上ってしまった」といまだに信じ
られないといった面持ち。
 四メートルの高波をまともに受けた海
 岸通りには二、三十トンくらいの
 松島湾汽船の遊覧船、巡視船、
 ボートが五隻、道一ぱいに横た
 わっていた。
夕刻ごろから陸上自衛隊東北方面
第二特科群の一一〇大隊三百人が
特車、けん引車、トラックなど三
十数台を連ねて続々到着、町民の
見守る中に作業は進んだ。
町の一角にデンと腰をすえた船は
自衛隊が徹夜で作業、二十五日午
前二時半ごろの満潮をねらって港
に浮かべる予定になっている。

電灯消え、泥の海

連絡の取れない霧多布
【浜中村で杉井記者】北海道厚岸
郡浜中村は二十四日夜になっても
村の中心地であり、被害のもっと
も大きかった霧多布(きりたっ
ぷ)の部落には自衛隊、警察などの
救援本隊が入ることができなかっ
た。半島ののど首のような暮帰別
−霧多布間が低地帯のため橋が流
されて一面ドロ海と化してしまっ
たからである。自衛隊は照明灯を
頼りにロープをわたし腰までドロ
海にひたりながら徹夜の橋かけ作
業を続けた。
被災者たちは高地の学校や寺など
に収容されてわずかばかりのたき
出しで空腹をシノギ、ハダをすり
合わせるように寄り添って着のみ
着のまま恐怖の一夜を迎えた。
「次第に収まってはいるが、津波
はまだ続いている」という口伝え
の津波情報にゆっくり眠ることも
できず、暗やみに包まれた恐怖の
海から目を離すこともできなかっ
た。
 電灯も消え、電話も不通、一瞬
 にして地獄のような惨状に打ち
 のめされたのである。光は遠く
 榊町方面で救援の道を開こうと
 作業する自衛隊の照明灯だけ。
被災者たちは「あすはきっと救援
されるだろう、行方不明の内親も
見つかるかもしれない」というわ
ずかな希望を胸に抱きながら零度
までも冷込んだ寒さにふるえなが
ら夜のあけるのを待った。

伝染病発生に注意

厚生省は二十四日、津波の被害地
に赤痢その他の伝染病発生の心配
があると、各県に通達した。

二階に突刺さる漁船

【志津川で阿部記者】志津川町に
津波が襲ったのは二十四日午前四
時十五分ごろ。高さ五メートルの真っ
黒い波が海岸の防波堤を乗り越え
て銀行、商店などが密集する繁華
街に押し寄せた。警報のサイレン
を聞いて町民たちが戸外に出たと
きは、すでに堤防を乗り越えた高
潮がヒザまで浸っていた。海岸寄
りにあった志津川病院では八十人
の入院患者が二階に避難した瞬
間、階下の窓から濁流が流れ込ん
で、ベッドを跡形もなくひとのみ
にした。二階でホッとした患者た
ちの目の前に四人の女の人が屋根
につかまって流されてきた。看護
婦さんがこのうち二人を二階の窓
に引ずりあげたが、悲鳴を残して
ほかの二人はそのまま沖へ押し流
されていった。
津波はその後四十分ごとに寄せて
は返した。商店などはガラス戸、
商品を洗い流され、衣類などが路
上にワカメのように散乱してい
る。仙北バス志津川営業所前には
波で押し流されたバスが大きく傾
き、パチンコ屋の二階からは漁船
が突き出ている。製材所にあった
材木は濁流に流され、町の道路は
材木でうずまり歩行も困難。銀行
は大きな金庫が残っただけで跡形
もない。電柱はバタバタ倒れ、電
気、電話は一切ストップ、暗黒に
沈んだ廃きょのような家並みはま
さに死の街の様相だった。

倒壊と流失で七百戸 志津川

【志津川】宮城県志津川町の被害
は二十四日午後七時現在、志津
川署の調べで死者二十七人、行
方不明八人、負傷者六十人以上、
家屋流失三百戸、同倒壊四百戸、
床上浸水千五百戸、橋の流失五ヶ
所、船舶被害八百隻、田畑被害百
八十ヘクタール、被災者九千五百人に上
った。

救護班や物資を急送

厚生省は十四日、岩手、宮城、青
森の三県にCAC救助物資(アメ
リカ余剰農産物)の乾パン二千七
百色をはじめ食料品、衣料などを
急送した。また日赤では北海道、岩
手、宮城に日用品と衣料百五十コ
リを急送したほか、各県支部に救
護班を編成し災害地に派遣した。

田に舟が乗上げる  繁華街襲われた

【大船渡で安永記者】思いもかけ
ない大津波の洗礼を受けた大船渡
市は夜になってひっそりと静まり
返っていた。二十四日夜明けから
午前中にかけての恐ろしさはまる
でウソのよう。五十の遺体が運ば
れた西光寺には、まだ引取り手の
ない遺体が十余りならんでいた。
二十四日午前四時十五分、市中の
サイレンが鳴りひびいたときには
すでに第一回の津波が押し寄せ
た。しかも六回もくり返して押し
かけたという。だからサイレンが
二度、三度なるうちには「後を振
り返る余裕もなく走った」と大
船渡小学校に避難していた斉藤ア
サさん(三五)は語っている。
津波は市内随一の繁華街、大船渡
駅付近に上陸した。高さは最高四
メートルを超えた。ほとんどの二階屋が
押しつぶされ、電柱もあちこちで
倒れた。
津波に襲われた海辺に沿ったとこ
ろには人家は一軒もなく、漁船が
数隻陸にうちあげられていた。田
んぼにも船底をみせている小舟が
ある。家の間や道路は流木がぎっ
しり。小野田セメントの貨物船が
大きな船体をぐらりと傾けて座礁
している。
 話によると、津波が来る前サァ
 −ッと潮が引き、海底がまる見
 えになり、五分足らずで波がま
 たきたという。
被災者たちは「津波予報が遅いせ
いもあったが、こうなっては仕方
がない」とあきらめの表情で、不
安を抱きながらももう復興を考え
ている。