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 臺灣移住を奨勵せよ

宮城岩手靑森三縣沿海數十村に於ける罹災の難
民之を如何に處置せば將來飢寒を免かれしむる
ことを得るやと謂ふに唯臺灣に移住せしむるの
一途あるのみ、移住の事談豈容易ならんや、然
れとも管轄廳有志者之を奨勵し中央政府之を保
護せば其事决して行ひ難きにあらず、望む所は
唯當時の善謀果斷にあるなり、
惟に臺灣は後來大に我内地人民を移殖せざるべ
からざるの處にして其漁業は大に發達を圖るべ
き事項に属す、而して三縣の被害地は從來漁獵
を以て世に聞えたる塲所にして罹災者の中屈竟
の漁夫數千人を有す、乃ち之を臺灣島に移して
漁業に從事せしめんか、一は以て水産の利原を
開きて國富を增加する事を得、一は以て此の不
幸の人民をして衣食を得るに易からしむ、是實
に國利民福を同時に增進するものにて一擧兩得
の方案と謂ふべきなり
罹災地方の實况は見聞せし者の粗了知する如く
彼等は實に居るに家なく被るに衣なく喰ふに食
なき悲境に在る者なり、六親眷属の内其一若く
は二三を失ひ朋友知己を失ひ一家團欒の娯郷黨
隣保の樂を失ひし者なり、凡そ人の故郷を去て
他郷に移るを難かる者は之に由て一家團欒の娯
と郷黨隣保の樂を失はん事を憂るに因るなり、
然るに今彼等は?に其故郷を愛する心情の基礎
たるべき者を全く喪失せり、されば此後依然故
郷に在て生活すると他郷に赴て生活するとの間
に於て娯樂上殆と差違を見ざるに至りしなり、
此の時に當て管轄廳の奨勵有志者の勸諭鄭寧懇
篤を極め政府亦一大英斷を以て充分の保護を與
へなば必ずや奮然起て移住する者多かるべし、
而も斯の如くにして猶且舊巣に戀々たる者あら
ば其は遊民なり惰民なり、遊惰の民は 聖帝賢
相と雖も之を如何ともする能はず、飢寒は彼ら
が自ら求むる所なれば之を放置し、當路者は唯
其遊惰ならざる勤勉敢爲者を救護すべきなり、
且夫勤勉敢爲の者臺灣島に移住して若干の資産
を爲し生活に容易なりと聞かば遊惰する者も亦
奮て移住するの時あるべきなり
嘗て大和國十津川郷の大洪水の慘害に罹るや、
政府は出格の保護を與へて北海道に移住せしめ
しが今日に至ては新十津川の生活舊十津川に讓
らすと云ふ、三縣大海嘯罹災者は衣食住の三を
欠く上に舟なく網なく他一切の漁具なし、其窮
苦の?之を十津川の罹災者に勝る者あり、此輩
到底自活の見込なくして政府の必す保護せざる
べからざる者に属す、而も之を舊地に於て保護
するは之を新彊に移して保護するの國利民福上
大益あるに及かす、此に於てか吾人は一面政府
に向つて一大果斷の處置に出てられん事を希望
し、一面罹災者に對しては其憤勵一番奮て國の
爲め家の爲め决然臺灣島に移住するの覺悟を定
めん事を望む(於唐桑村旅寓鐵軒居士手記)

    雜    報

●慘 况 一 斑(二)鐵 軒

●斷 膓 録(一) 今泉生手記

唐桑村鮪立濱の事なりと聞く、一婦人の年二十
四五歳許りなるもの片手に麻の葉形の木綿切を
堅く握り詰めたる儘死し居たるがあり、是れ己
が子の片袖にて斯る非常の塲合にも親子の情と
して死する迄も吾子を放たでありしに激浪は片
袖のみを殘して無殘にも身体を奪ひ去りし者な
らん、之を見て誰か酸鼻せざらん哉
戸倉村の中水戸邊濱小學校の留守居は夫婦と二
人の子供にて四人暮しなり、嘯災の當夜夫は他
出し女房は子供を寐かし置きて近隣まで用達に
行きたる時激浪は山の如く押し寄せ來りて其家
を見る間に流せしかば女房は辛くも身を脱し胸
部まで浸せる潮流を事ともせず抜手を切て我家
に置ける二人の子供を助けんと夢中に泳ぎ行く
を他の人々漸やくに宥め賺して無理やり後山に
避難せしめぬ、退潮の後ち飛ぶが如くわが家に
歸りて我が小供はと見れば其家は小高き所にあ
りたる故僅かに床下に浸水せしのみにて二人の
小供は何事も知らずスヤ々々と眠り居りたるい
ぢらしさ、女房は之れを見て驚喜の餘り其儘ペ
タリと腰を抜せしが何さま一家四人の無事なる
は目出たかりし。
歌津村田の浦濱の漁夫等は嘯災の當日陸上より
二里許りなる近海まで鮪漁に出掛けたるに案外
の大漁なるより大に喜び勇み居りしが黄昏頃に
至り突然發砲の聲を聞く、遠雷にもやと格別の
思をなさず猶も魚獵に從ひ居りしに陸地の方に
て何となく物騒がしく微かに助けを呼ふが如き
聲さへ聞えしかば扨は砲聲と聞きたるは或は山
崩れにてもありしか、何は兎まれ只事ならずと
直ちに漁具を収め陸地を指して漕ぎ戻りしが陸
上を距る大凡一里計りの處に至りたる時は逆浪
天を拍ちて陸地に寄する事叶はず暫くは茫然と
して陸地の方を打ち眺め居りしに死體の流れ來
る事數を知らず中には未だ息の根を有して助け
を求むる者さへありしかば手當り次第引き揚げ
て頓て激浪の靜まるを待ち漸やく己が居濱に漕
ぎ附けたるに家屋は大半流失して其慘?は實に
目も當てられず驚?の中に一夜を明し翌日海中
より拾ひ來れる死骸を見るに中には女房もあり
吾子のなきがらもありたるより今更の如く泣き
悲しむ有樣、何たる慘?ぞや。
鬼哭啾々などとは平生文章の上に用ゆる熟語に
して實際は眞逆に斯る事もあらざる可しと常に
は思ひ居りしが、萬死に一生を得たる生存者の
語る處を聞くに災後數日を經たる今日に至りて
も夜分に至れば「助けて呉れ々々」と泣き?ぶ聲
は猶耳底に留まりて膓を斷つの思をなすとぞ、
當時の有樣は如何なりしぞ想像するも中々に思
ひ至らざるなり。

   (欄外にも有り)