文字サイズサイズ小サイズ中サイズ大

被害者救助の一法

今回大海嘯の慘害を蒙りし本吉郡各地と附近各
地との間運輸交通甚た不便なる事は現に同地を
巡視せし人士の談話及ひ同地よりの通信に依て
屡々本紙に掲載せし所なり、海潮の爲め衣食の
資を一洗せられて一物をも留めざる者多き地方
へ數多の視察者見舞人等の輻輳する事故物價は
非常の騰貴を爲すのみならず運輸の繼かざる爲
め飯米鹽噌にも欠乏を告け飢餓に迫れる塲所數
多ありと云ふ、此の際被害者救助の一法は日用
必需の物品を廉價を以て賣渡すにあるなり、其
の法有力有資の商賣諸氏連合して一團体を作り
米鹽味噌醤油乾物呉服太物寝具の類を蒐集し之
れを彼の地に送り被害者に限り廉價を以つて販
賣すべし、尤も此時變を利用して暴利を得んと
するよし車馬賃の如き法外の騰貴を爲したる由
なれば運搬の方法も亦團体にて應急の手配りを
爲し鐵道の通する所ろは該會社に引合ふて慈惠
的割引を求め鐵道なき處は車馬を備へ一切此の
非常の變を奇貨として暴利を貪る者の手を經ざ
る様にする事肝要なり、此事固より大仕掛けに
して細少の資金に依て營業する小商人に望むべ
きにあらざれと仙臺市の豪商諸氏數十人連合し
平生各自が從事し居る所の商賣向に就て負擔を
定め正直にして敏腕なる者を撰んて出張販賣せ
しめなば之に依て罹災者を利益する幾何なるや
測り知るべからず、且其販賣の價格を低廉にせ
よと云ふも决して損耗して賣れと云ふにはあら
ず但極めて利を薄ふし贏けを少ふして販賣し以
て他の暴利商を制馭すべしと云ふ迄なれば團体
の損耗となる所は之れあるべからず、即ち慈善
家の美名を得ると同時に商標を世間に廣示し將
來に商利を獲るものにして眞に一擧兩得と謂ふ
べきなり
嗚呼罹災地の生民程世に無慘なる者はなし、?
に海潮の爲めに父母妻子を喪ひ或は田産資財を
失ひ僅に一命を繋ぎ留めしも衣食を給するに謂
ふべからざる困難あるに際し、斯の天災を好機
として同胞の血肉を浚剥せんとする無道不義の
奸商は法外に物價を引上け罹災者をして食を求
むるも食を得る能はす衣を求むるも衣を得る能
はざらしむ、其無慘の?態は宛も地獄の呵責と
餓鬼道の苦しみを一時に受るにも似たらん乎、
此時に當て義氣深重なる豪商諸氏の團体あつて
正當の代價を以て日用必需の物品を販賣せらる
るあらんか是諺に所謂地獄に於て佛に逢ふ者な
り、諸氏の恩德は罹災者の永遠に記臆して終生
忘るる能はざる所なるべし、語を寄す仙臺市の
豪商諸氏、諸氏は本吉桃生地方罹災者の慘苦を
憫諒するなるべく又此の災害を奇貨として暴利
を獲んとする奸商を疾斥せらるるなるべし、果
して然らば諸氏奮起して義團を組織し速に慈惠
的販賣に從事せられよ、被害地幾萬の人民は呼
號働哭して諸氏が救濟軍の到るを待つ者なり

    雜    報

●海 嘯 實 視 餘 録 (一)       於被害地 特派員 今泉寅四郎記

 出張中途次の通信は只被害慘?の大綱を擧げ
 たるのみにて一家一人の細事に就ては敢て報
 道せざりし、今日に至りては被害地の大要及
 び死亡負傷者流潰家屋其他の統計等は?に業
 に報道濟 となり たれば爾後日を追ふて斷膓
 悲話或は一部落の慘?に關して未だ世間に流
 傳せざるものを逐載せんとす、然れども其慘
 ?の實際は口猶之を言ふ能はず況んや筆華に
 乏しき余が如きものの到底其萬一を髣髴す可
 からざる者あり、盖し這般の實况は自ら目撃
 足査したる者の外は其想像の果して斯く迄慘
 ?なりしや否やを知る事能はざるなり讀む者
 一寸を測りて一丈を推されむ事を望む
余は明治廿年五月より翌年二月に至る迄職を本
縣収税属に奉じて本吉郡役所に在勤せり去れば
官民とも懇意なる人々多く其懇親を結べる人の
慘害に罹りし事とて他の縁故なき人よりは斷膓
銷魂の度遙かに數籌を抜く者あり、本吉郡書記
諏訪部勝治氏は余が同郡にありし際は同郡十三
濱村戸長として余の同村に出張したる際には必
らず其家に就て宿泊し又氏の郡衙に來る時は必
ず余と一堂に會飲するを常とせり余と氏との交
情は云はヾ水魚も啻ならざりしなり、而して料
らざりきこの老親友が今回余の草する斷膓録中
の人とならんとは、眞に慘絶痛絶
諏訪部氏の居宅は今回悉皆流失せし志津川町の
東裏沖の須賀にありて家は二層樓なり當夜は舊
節句の事とて二人の少女「一は収税屬佐々木慶
治郎氏の長女(六つ)一は家主の女(五つ)」遊びに來
り諏訪部氏夫妻二人の實子と樓下の座敷にて種
々の談話をなし居りし折柄稍強き地震あり氏の
息子(九つ)は平生地震嫌ひの事とて逸早くも外へ
飛び出し間もなく地震も已みしかば家に立歸れ
り斯くて二三回の地震あり何れも前同樣屋外へ
飛び出でしが(他人には感知せざる程の微震な
れども地震嫌ひ故微動をも感じたるならん)其
後も折角震動ありたれども度々の事故自然怖氣
を去り平氣にて居たりしが間もなく外面遽かに
騒がしく溪流の石に激する如き音のすると同時
に不思儀や雨戸の隙間より宛がら龍吐水にて彈
ける如く一條の瀑泉は時ならずして座上に汎濫
せり何者の惡戯なるらんと思ひ居る機會坐がら
床板と共に五六尺も高く浮め上げられたれば扨
は只事ならずと急に小兒等を叱咤して二階に上
らしめ公用に關する重要の書類を集め居る中益
々浮め上られて床と二階の間に板挾みとはなれ
り、氏は今は是迄なりと矢庭に壁の一方を辛く
も破りて屋外に泳ぎ出したるが黑白も分かぬ如
法闇夜の事とて何が何やら一切夢中にて激浪に
捲かれつつ一生懸命となりて泳き回れり或は激
しく頭部を壓せられ又は胸部を打たれたれども
氣丈の氏は猶も抜手を切て稍久しく泳ぎ居りし
が寄幸にも一枚の板の流れ來るを捜り當てホッ
ト一息して方角は分からねど浪のまにマニ流れ
寄り漸やく桑の大樹に縋り付き四方を見回らず
に不思議なる哉我子の聲にて「お父さんお父さん」と
泣き?ぶあり、扨は自身は十里二十里も押し流
されしと思ひしが猶我家の近傍にありしか去る
にても小兒等は確かに二階に上せ置きたるに下
方に聲するこそ合點行かず如何にせしかと案じ
煩らひながら聲を知邊に漸やく捜り寄れば來遊
せる二人の小供と自分の小供の左右より縋り寄
りて喜ぶ樣は感極まりて涙のみぞ出づる、斯く
て落潮の後救助の人々も來りて始めて氣が附け
ば下方に聲せしも道理樓下は跡方もなくなり只
樓上のみ殘りて平屋となりけるなり、何は扨置
き細君と幼兒はと座中を捜せども影も形もなし
或は溺死せしか又は運よく助かりしかと心配の
中に一夜を明かして翌朝見れば無殘や細君は幼
兒を脊負ひ梯子の上より二級目に足を掛け片手
に蒲團を持ちたる儘壓死し居るを發見したりと
なり、盖し女心に何は兎まれ蒲團なくては叶は
じと百忙中に之を取り出し二階に上る間に壓伏
されたるなる可く今二級さへ上り詰むれば無事
ならんに死生命ありとは云へ何ぞ其無慘なる哉
余は諏訪部氏に會ふて之を聞き覺えず貰ひ泣せ
り、猶氏は處々に負傷して滿身紫色を呈し且つ
多分の濁潮を飲みたる事なれば身体は盡とく腫
れ上り唇の色は恰も熱湯を浴せたる鮪刺身の如
し、夫れ氏の如きは實に萬死に一生を得たるも
の幸は即ち幸と雖も其最愛の妻兒を非命に斃し
たる心事を推測すれば嗚呼又嗟噫遂に謂ふ所を
知らざるなり

●第 二 特 派 員 派 遣

被害地慘?實地踏査の爲め本社特派員として出
張したる社員今泉寅四郎氏は本吉
郡志津川町以北小泉驛以南の慘?を實視踏査し
慘害の?况は勿論許多の斷膓悲話を實際に調査
し數百項の新事實を収拾して一先づ昨日を以て
歸社せり依つて第二特派員として社長友
部伸吉氏自ら其任に當り今泉氏の實査
せざる分即ち小泉以北大谷階上松岩鹿折唐桑大
島等及び志津川以南戸倉十三濱桃生郡牡鹿郡の
慘害地踏査の爲め?に昨夜を以て輕装探檢の途
に上れり、被害地の實?を知らんと欲せば本社
新聞を除きて他に其匹なきを確保す

   (欄外にも有り)