電 報
●岩 手 縣 の 海 嘯
昨日盛岡發にて當市へ達したる通信左の如し
●氣仙沼警察署の電報
前號掲載後其筋に達
したる電報は左の如し
階上村流失家屋八十五戸、死亡四百二十一人
(十七日午後十二時)
小泉村流失戸數五十五戸、死亡二百三十人(十
八日午前一時仝上)
氣仙沼へ假病院設置負傷者を入院せしむ巡査
五名送れ(同上)
小泉以北にて怪我人凡そ三百人醫師不足赤十
字社より送れ(同上)
●石巻警察署の報告
昨日其筋へ達したる報
告の大要は左の如し
女川村の内女川にて水嵩七八尺乃至一丈屋内
にありて大人首丈け水に埋められ侵水家屋三
十五六戸巡査駐在所慘害に罹り諸帳簿等流亡
したり、女川の内御前濱は灣の正面なるを以
て水勢強く直進し來り二戸と納屋一棟流失、
大原村の内谷川濱四丈餘の增水にて溺死女一
人人家六戸外建造物十四棟流失馬二頭溺死
●亘理郡の海嘯
亘理郡坂元村沿海にも海嘯
あり當初數十回の地震ありて同く海中に百雷の
落ちたる如き音響ありけれは人民驚愕して地震
の前兆ならん抔噂さし居る間もなく海水大山の
如く押寄せ來りて同村字須賀一面に膨脹し床上
を浸したる家六七戸漁舟十四艘破損し磯濱にも
多少の被害あり大波の來襲は都合四回なりしも
十六日朝に至り平穩に歸したれば格別の被害な
しと又山下村民五六十名も彼の大音響を聞くと
均しく避難せしが幸ひに無難なりし由
●死傷看守の氏名
雄勝出役所看守にして行
方不明となりしは男澤儀平山崎英太郎死体發見
菅野久太左エ門秋山好義小塚斧男今野久五郎片
山則次中津山忠之進の八氏にて負傷者は鈴木孝
太夫高橋盛中村鐵五郎草刈親義飯塚長太夫中島
利勝秋塲吉三郎氏家孝太郎の八氏なりと右に付
宮城集治監看守長畠敬吉氏は昨日吊慰として遺
族者及家族を歴訪せり
●行衛不明の囚徒
雄勝出役所囚徒中行方不
明の者七名ありしが其内二名の屍体は近濱に漂
着二名は正に溺死自餘は全く逃走せしならんと
て目下嚴密捜索中なりと
●靑森縣湊村の海嘯
十六日發の報に靑森湊
村大字湊字白銀の民家流失するもの四戸、破壞
するもの八戸、學校一棟其他死亡者三名生死不
明二名とあり其後精査を遂けたらんには之に數
十倍するの流亡死傷ありたるへし尚ほ後報を俟
つて記すへし
●電信局員悉く死す
小博濱は海嘯の爲め局
舎流失局員 悉 く死亡す山田局も全たく潰れた
り(十七日午後三時靑森局發)
●一村悉く流失
久慈より凡そ一里を距る湊
村(戸數八十餘戸)は全部流失又た電柱三十本流
失に付臨機電信機を夏井村に設置し辛うじて通
信をなせり
●福島縣の沿海地方
福島縣相馬地方にも多
少の海嘯は起りしが格別被害はなかるへしと云
へり
●北海道の海嘯
去十五日の大海嘯は獨り三
陸地方のみならず北海道にもありしと見え其筋
への報告に依れば同道日高國幌 泉 村沿海並に
十勝國茂寄村にも海嘯あり又函舘附近にも同樣
海嘯ありしとの事なり
●地震三百回
去十五日の地震に付中央氣象
臺の報告に依れば福岡銚子東京甲府靑森福島根
室函舘境宇都宮山形石巻彦根等の各地にて都合
百三回の地震あり内靑森東京地方最も震動多か
りしが性質は何れも微弱なりそとぞ
●大海嘯に就ての損害
家屋財産の流失田畠
宅地の荒廢等を精算せんには其損害高は非常の
金額に上るべく單に養蠶のみの損失のみにても
餘程の巨額なるべし、就中最も困難なるは鹽入
の田地にて以前の如き肥沃に回復する事は殆と
望むべからず之が爲め破産に至る者も數多ある
べしと云ふ
●本 吉 郡 大 海 嘯 慘 ? 概 况 (六月十七日發郡役所員報)
本吉郡内大海嘯の慘?は未た報告なき部分もあ
りて詳細を知悉する能はすと雖も唯志津川町の
みは本郡役所々在地なるに依り前後の?况を目
撃したるを以て其詳細を報することを得るもの
なり
志津川町の慘?
去る六月十五日は朝來風穩かにして晴天なりし
が午前十一時頃(寒暖計七十五度)より濃霧滿天
を蔽ひ海上殆んと咫尺を變せず午後五時頃より
大雨盆を覆すか如く後六時三十分頃雨止みたり
同日は地震十數回あり強震ならされとも鳴動の
時間甚た長く恰も遙雷の如くなりし、後八時三
十分頃に至り波濤の襲來する響きは烈風の樹梢
を度るか如き音せり間もなく沿岸の方に當り大
海嘯ありと大聲絶叫する一刹那海水殆んと二丈
余逆流し來り海岸に沿ひたる字埋地及沖の須賀
なる人家数十棟を押し流し餘流市街に浸入した
り其水勢矢よりも早く其響百雷の一時に落下す
るが如し此時被害者は各々疾走往來し親は子を
尋ね救はんとして絶泣し莊丁は其老を助けんと
號?せり或は漂流せる屋上に救を?ふあり或は
潰倒せる屋内に悲鳴するあり一時に現出したる
阿鼻?喚見るも憫はれの次第なり彼潮水は少時
にして引き退きたるを以て警察吏郡吏町吏は消
防夫其他を指揮し被害者を救助せんとして海岸
に出張したるに埋地と稱する處の如きは數十戸
の建物は云ふまてもなく本吉座と稱する劇塲の
大建築も何時しか影消へて一平沙と化し去りぬ
沖の須賀は人家餘す處僅かに三四戸其他は流亡
或は倒潰せり、直に人命救助に着手したるに漂
蕩せる屋上に餘命を全ふせるものもありたれと
も他は迯れんとして疾走する際潮水に足を取ら
れて溺死するあり或は人家倒潰して壓死するあ
り或は母親の乳兒を抱へて溺死するあり或は其
子を背に負ふて倒れ死するあり實に其悲慘名?
すへからす書くも語るも涙の種ぞかし、而して
猶餘喘あるものは負傷者と共に速かに病院に運
搬し夫々手當を爲し被害者は一時學校を以て假
宿所び充て町長は市内の有力家に於て焚出しを
爲し各々握飯を給し傍ら縣廳に電報を發したる
に昨夜知事警部長醫師看護婦來津直に今朝拂曉
各手分けを爲して被害地に出張せられたり
同町を去る里餘荒戸平磯袖濱淸水濱の如きは尤
も海邊に接近せる處なるを以て其被害も甚しく
人家流失せさるもの殆んと稀なり其人畜の死傷
も押して知るべきなり
附云ふ同日午後遙かに大砲の如き音三回程洋
中に聞へたり而して轟然破裂の響ありたりと
這は志津川にて聞き知りたるものなり北方の
濱々其他高地の村落にて聞きたるもの多し是
れ海嘯の原因なるへし
志津川町字沖の須賀及埋地の被害
流失家屋四十戸余 全潰七戸 半潰廿戸
死亡四十人 負傷二十六人 其他取調中
同町荒戸平磯袖濱淸水濱細浦
流失家屋九十八戸 潰家十六戸 死亡三百余
負傷數不知 馬匹百余溺死す
歌津村
流失家屋三百戸余 死亡六百人余 負傷三百
人 其他取調中
同村は慘?尤も甚しく全戸悉く死絶へたるも
の多しと
戸倉村
潰家二十六戸 死亡百十八人 負傷五十人余
馬匹死亡二十余
十三濱
死亡二百十五人余 負傷者七十四人 流失潰
家七十七 馬匹八十六頭溺死
鹿折村
流失家屋五十戸余 人馬死傷未詳
小泉村
死傷者 大凡二百八十人
大谷村
死傷大凡四百人余 流失及潰家大凡九十戸余
他未詳
階上村
死傷大凡四百人余 流失家屋大凡九十戸余他
未詳
松岩村
死亡二人 潰家七戸 馬匹死亡二頭
唐桑村
死傷大凡三百人余 他未詳
大島村
死傷大凡八十人余 他未詳
以上は唯今迄到着したる各村の報告に依り其概
畧を取調へたるものにて未た詳報の至らさるも
のあり今全郡死傷者を實査せしならは殆んと三
千五百人以上なるへしと云ふ詳報は尚聞込次第
續報可致候
●雄勝區海嘯景況(社友特報)
本月十五日午後五時頃より一天漸く曇りて雨を
催し仝六時十分頃に至り雷鳴を聞くこと二聲忽
にして劇雨篠を衝て至る黄昏に及んで雨稍や弱
かりしも仝七時五十分頃迄は霏々として間斷な
し八時半雨収まり霧漸く深く地震ふ事數十回に
及へり
十五濱村雄勝區の海嘯は午後八時頃にして激浪
怒濤山を爲して仝區人家等を襲ふ事十有三回家
之か爲に流失し或は破潰し人之か爲めに死し或
は其行跡を失し僅かに其危難を免かれたるもの
にありても海水家屋内に侵入し衣類米穀酒油悉
く鹽水の浸す所となり其流失潰破の慘害を蒙り
たるものにありては住むに家なく食ふに粟なく
親を失ふもの子を尋ぬるもの等其被害慘憺の實
况は筆舌の能く盡す所にあらず同區戸數百七十
三戸の内流失及潰家の數四十余戸死亡者三名行
衛不明のもの十三名なり
集治監出役所は監舎大に破壞し看守の死したる
もの一人行衛不明のもの七名囚徒の死亡二名行
衛不明のもの五名他の囚徒は一時他に繋留し目
下其處置方法を講せり
十五濱尋常小學校舎は激浪の爲め一間余後方に
壓流せられて傾斜し床板柱梁等所々破壞し諸器
械は過半破損に歸し書籍帳簿の如きも大半海水
の浸潤を受け殆んと其用に適せざるに至れり斯
る混雜危難を極めたるの間に於けるも辛ふして
御眞影?に 勅語謄本は安全の個所に奉遷せり
同校は不得止目下臨時休業を爲すに至れり其他
各分教塲は未だ確報に接せさるも異?なきもの
の如し
仝村船越の内荒區も亦雄勝區と同時刻に侵害を
受け其慘?同區と異なるところなく荒區戸數十
六戸の内十戸は流失潰破の災に罹り死亡及行衛
不明のもの通して二十七名に達し其他の實况雄
勝區同一也、而して同區に於て最初行跡を失し
たるもの四十四人なりしも高橋長五郎外三名は
牡鹿郡出島沖に於て救助せられて上陸し外六名
は大須濱に漂着上陸し高橋松太郎外八名は千辛
萬苦を嘗めて住區荒に上陸したりと行跡不明者
内には一戸九人或は六人等擧て之か災を受けた
るものあるを以て同區の慘害は雄勝區に勝れる
ならん
仝村被害の急報に接するや郡廳よりは郡書記二
名を派遣し被害取調及救護の方法を盡力せしめ
居れり而して災害を受けたるものの内飢餓に逼
るもの六百名に達せしを以て村役塲吏員及警察
官吏等と協力し目今焚出救護を爲さしめ居れり
以上の外納屋の流失潰破に歸したるもの兩區通
じて數十棟被害豫算金額其他目下調査中に候、
仝村桑濱名振等も多少の害を蒙り大川村長面に
於て熊谷榮助なるものの居家災害を受け同人死
亡せりと云ふも未だ確報に接せず
(欄外にも有り)