復ひ海内の仁人に訴ふ
本縣大海嘯被害者救助費として國庫金の下附せ
らるるもの僅に五萬九千六百餘圓、其一戸に分
配なるべき最多額金四十五圓にして猶被害の輕
き者は逓減せらるべき事本旨前號に詳述せし所
の如し、僅々四十五圓の金以て一時の急を救ふ
には或は足るべし、以て授産の資と爲し將來自
活の道を立てしめんとするには甚だ不足なる事
必しも智老を待て而して後知らざるなり
蓋農業者の天變地異及ひ水火災に罹れる塲合に
は備荒儲蓄法に據り農具料金拾五圓種穀料金五
圓を給せらるるの規定あり、今回罹災者に對し
殊に一戸貳拾圓の救助金を下附せらるるもの想
ふに之に準據せられたるものなるべし、然れと
も漁夫は農民と同しからす、農民は假令災變に
遇ふて家財を蕩盡するも田畑にして流亡を免れ
たらんには拾五圓の農具料は以て耒芸を買ふて
餘りあるべく五圓の種穀料は以て粟粱を購ふて
不足なかるべし、之に反して漁夫の田圃は汪渺
たる海洋なり、之を耕耘するには船舶船具なか
るべからず、漁具製造器なかるべからず、而し
て?に船舶と云へば如何に矮小のものを製作す
るも鋤鍬の類を買ふが如く僅少の金員を以てす
るを得べからず、船具亦然り漁具亦然り、一挺
の櫓一張の網之れを作るに數十金を要す、彼の
農家の鉈鎌の類を具ふれば直に翌日より其業に
就き得るの比にあらず、而して政府當局者は彼
と此とを同視せり、今其理由とする所を聞くに
農民に薄ふして漁夫に厚ふする事を得す其情?
憫諒すべきものあれど政府は一視仝仁を以て公
平に處置するより外なしと、誠に杓子定規の甚
しきものなれど?に一旦决せし所は假使其非を
悟るも悛改するに吝なるは現政府の常なれば此
際與論は如何に囂々たるも窮民は如何に愁訴す
るも、亦進歩黨一派の希望の如く臨時帝國議會
を開きたりとするも到底前議を飜へして充分の
救助金を下附するが如き事は决して之れあるべ
からず、此に於てか吾人は復ひ海内の仁人に訴
へて更に大に義捐金を投して此號天哭地無告の
罹災者を救助せられん事を請はんと欲す、蓋此
際罹災者をして將來自活の道を立てしむるの手
段は唯大方諸君の義捐金に依賴する外なきを信
すればなり
?に救助と云ふ敢て貧民をして富民たらしめよ
と望むにはあらす、唯救助の實を擧け罹災の人
民をして細くも一戸を立舊來從事せし漁業を營
み生計を持續し得る程の金員は必す與ふるを要
す、是特り罹災者一家の爲めに圖るにあらず、
若し救助にして微底せす罹災の民皆流離して戸
口減少し部落衰滅する時は一國の經濟上一大損
害なればなり、乃ち救助の金員敢て巨額を要せ
ざるも以て舟、舟具漁具を買ふに足らざれば救
助の名あるも其實なきなり、今や海洋には魚介
の群集するあるも乘るべきの舟なく、舟あるも
船具なく船具あるも漁具なし、被害地幾多の漁
夫は唯海面を望て茫然自失するのみ、豈憫むべ
きの甚しきものにあらずや、政府賴むべくんば
救助の事固より之に因るべし若し賴むべからざ
れば救助の事一に民間有力の志士に賴らざるべ
からず、是吾人が此に復ひ海内の仁人に訴ふる
所以なり
正誤 昨日本欄第三十九行不充はべし、仝四
十行べしは不充の誤植
雜 報
●藤澤縣會議長
豫報の如く本日縣下海嘯被
害地視察とし出發の筈
●出張
屬後藤雄吉氏は桃生牡鹿兩郡へ淸野
喜左エ門氏は氣仙沼町へ横山技手は桃生牡鹿本
吉三郡嘯害復舊工事調査として昨日出張
●眞宗大谷派崇德會特派員
として海嘯被害
地派遣中なる明教新誌記者安藤正純仝安藤嶺丸
兩氏は歸京の途一昨夜行列車にて寄仙(安藤方)
●首藤代議士の談話
嘯災の當時同代議士は
進歩黨の遊説員として關西にありしが東奥海嘯
の變報の達するや直ちに馳せて仙臺に來り遠藤
善夫氏と共に親ら被害地を渉獵し本吉郡より岩
手縣氣仙郡に入り順次被害區域を實査し取調ぶ
る所ありしが進歩黨遊説員の一行が當市を通過
して山形縣に向ふとの通信に接し被害地より來
仙遊説員等に被害の實况を報告し直ちに歸京の
上嘯災善後策を講ず可き筈にて一行とは當市に
於て一先手を分ちしが其後山形なる一行より是
非とも來縣す可き旨の電報に接し本部には書面
を以て實况を報告する事となし一昨日山形に向
け當市を出發せり猶氏の語る處に依れば歸京の
上は直ちに臨時議會召集の事に盡力し以て急速
に被害者の救助及び善後の方法を劃策せざる可
からず尤も今回政府の支出したる第二豫備金の
四十五萬餘圓にては何の補足にも充たざれども
實際第二豫備金の剰す所は五十萬圓に過ぎず實
に餘儀なき次第なり是れ我黨が臨時議會を召集
するの急を説く所以にしてこの議は他の黨派問
題と違ひ同胞の難を救助すると云ふに過ぎざれ
ば平生反目する自由黨と雖も萬々異議を挾む事
はなかる可し言はヾ被害人民の休戚は實に吾々
の双肩に掛る者なれば吾々は身命を賭しても臨
時議會の召集を請求し素志を貫徹せざる可から
ず云々と吾人も氏か言ふ如く一日も早く議會を
召集して善後を策せられん事を望む者なり
●氣仙郡民の不幸
同郡に於る今回の海嘯は
釜石に次で慘?を極めしにも拘はらず盛岡との
交通不便の地たるを以て救助米の如きも本縣石
巻及北海道より購入し殊に岩手縣人の同郡民に
對して冷淡なる丸で他縣人の如く被害者救恤の
義捐を募集するに當りても舊南部藩として同郡
を除きたる如き最も冷淡の甚しき者と云ふべし
之れ必竟同郡は元仙臺領にして自然人民も本縣
に望を属し管轄換の願を差出したる程なれば同
縣人も亦斯の如く冷淡なる所置を爲すに至りし
者ならん然るに如何に同郡民が本縣に望みを属
し居るにもせよ管轄を異にし在る以上は本縣よ
り救助する能はず彼是同郡民は不幸中の不幸を
重ぬるのみ實に憫然の次第と云ふべし最も岩手
縣廳より出張の官吏及運搬物と雖ども一ノ關よ
り氣仙沼を經て同郡に達するを常とする事故今
後は彼等の属望に任せ本縣の管轄と爲さば斯の
如き不幸に陷らしむる事なかるべし地形上より
論すれば素より本縣に屬するを適當なりとす然
れば今後管轄換の請願を爲すに於ては飽まで周
旋の勞を取るべしと首藤代議士は去る人に物語
られたりと
●本 縣 大 海 嘯 彙 報
▲本間耕曹氏
山形縣飽海郡代表者として海
嘯被害者吊慰の爲め來縣されし事は曾て記載せ
しが氏は尚ほ首藤代議士に書翰を寄せて云く今
回の海嘯被害の甚た敷慘?實に驚き入申候就て
我が飽海郡の如き先年震災後未た快復せざる故
充分なる事は如何あらんか計られず候得共酒田
抔は目下奮て各町々にて義捐金募集中に御座候
茲に不肖撰ばれて御見舞に罷出候我が同胞の微
意の有る處御手數なから夫々御吹 聽 奉 願 上
候云々
▲西本願寺の義捐と追吊會
三陸大海嘯被害
者救恤の爲め西本願寺大法主大谷光坦上人は本
縣へ五百圓岩手縣へ千圓靑森縣へ二百圓を義捐
せられしに依り本派東京築地本願寺別院に於て
も大法主の旨を体し救恤金を募集せしに一千五
百九十圓外物品六十八車に達したるが金員は三
縣知事上京歸縣に際し之を托し又物品は氏車便
にて送附し且つ實視慰問として東京より三名の
雌侶を派遣せしむる筈なるが着仙は明日か明後
日頃なるへしと又當市東一番丁同別院に於ては
愈々今十五日午後一時より追吊法會執行の筈に
て夫々案内?を發せらる
▲慈善家遠藤累造氏
氏は本吉郡十三濱字大
指濱の人にて夙に慈善家を以て知らる海嘯の當
夜激浪怒濤の家を捲いて來り救を呼ぶの聲四方
に起るや雇人夫を指揮し流れ來る數名の小兒を
救助せしめ尚ほ十三濱村役塲書記加藤勇道氏が
未納税徴収の爲め出張滯在中の事を心付き如何
あらんと駈付け見るに危險の塲合に際し居るを
以て直ちに加藤書記を背負再度襲來の波浪に浸
りつつ九死に一生を得て自己の家に伴ひ又家族
に命じて焚出しは勿論衣類等を悉く罹災者に與
へ爾來救助の爲めに奔走盡力し自費を投じ今や
殆と罹災者と同一の有樣となりしも自己の衣服
を脱し自己の食を減じ資産の限り惠與するの决
心なりと之れを聞きし同濱區民は更なり近海の
人々其德に感ぜざる者なしと云ふ而して加藤書
記を救護の際流木に觸れ數ヶ所に痛苦を覺え現
時治療中なり
▲追悼歌
當市の熊耳立哲氏は友人原律平氏
が海嘯の爲め溺死せしを悼みて左の和歌を手向
けられしと
こたひ友人原律平ぬしの十三濱學校にて海
嘯の爲身まかりしとききよみて手向ける
大御影高きにうつしおのれまつ
なみにおぼれし君をしそ思ふ
▲佐藤師の被害地見聞録(つつき)
翌日唐桑
に至り役塲を訪問して來意を告く同役塲は頗る
混雜せり唐桑は非常の慘害にて加ふるに村長は
宿痾の爲め臥床にあり助役某は一家の生命と財
産とを擧けて怒濤に持去られ現今執務しある者
は學校教員なりと又病院を訪問す曹洞宗地福寺
にして院長軍醫吉井寅之助篤志院醫尾崎泰助千
葉進の諸氏其他四名の職員あり今しも此病院を
閉ち氣仙沼病院に合せんとして其忙かしき事限
りなし一職員に付其經過を問ふに開院後患者の
総數百九十にして現今の収容患者十八名を殘す
のみ以て豫後の佳良なるを見るべし此處にて崇
德會員安藤正純安藤峯丸の二氏に逢ふ仍て彼の
一行と合同し合葬墓地に於て追吊讀經を修す近
隣の老幼來り會する者多く感喜して懇ろに予等
に謝せり、之れより先き予等の將に寺門に入ら
んとする時五六人の喃々する者あり近きて之を
見るに二名の死体あり一は女一は男なり入水後
二十日目なるを以て体焜のみ僅かに存し顔貌の
如き其誰たるを知る能はず傍らに一老母あり男
の死体を目し是は我子にもやと云ひしに鼻口耳
目より出血せり是を以て老媼は愈々我子に相違
なしとて引取れり、女子の死骸は十七八歳にも
あらんか顔貌腫上り眼飛出髪半は脱し腹は太鼓
の如く乳は枕の如く上下肢は尾張大根の最も大
なる物に似たり其陰部より内臟を洩し又肉の綿
の如くなれるは魚の爲に食はれたるにもあらん
足の如きは骨を現はし全身は蒼白色にして其臭
氣鼻を衝く人夫皆覆面せざる者なし佛教に説く
所の九想の中の腐爛想たり不淨觀の好材料なり
其所置を問へば曰く査公の檢視を煩はし彼處の
穴に埋むるなりと然るに棺の蔽ふなく雌の吊ふ
なし彼處の穴とは一の合葬地にてあり是の如き
所置は獨り其誰なるを知らざるに依て然るにあ
らず此村民の死体は何れも皆斯くの如くせしと
嗚呼慘なる哉 (未完)
●海嘯瑣談(六) 迂 鐵
町村長の試驗
予雅 謂 く宰相と町村長とは其職務を行ふの彊
域に廣挾の差こそあれ智德兼備を要する資格の
上には毫も差等なし、故に町 村 長として賢良
の名ある者ならは之を宰相と爲すも覆筐の謗り
なかるべく、宰相として庸暗其任に堪ざる者な
らば之を町 村 長と爲すも必す人民の憂戚を貽
さんと、今回被害地を巡視するに及で環々此言
の河漢にあらざるを知りぬ、蓋災後百般の事務
を裁理するは單に德望のみを以てすべからす、
又單に智能のみを以てすべからず、要するに德
望と智能とを兼備したる者にして始めて能く處
辨する事を得べし、故に部落災後の形?を一見
すれば町村長の賢愚能否を鑒別するに難からず
乃ち此大海嘯は町 村 長の適任試驗を行ひしも
のにて而も此試驗の成蹟は町村長の眼中へ確實
に影寫したれば將 來町 村長を撰擧するに於て
尠なからぬ環を與へたるを知るなり
孤兒保育
被害地到る處に孤兒を引受け保育する故申込ま
るべしとの慈善者の廣告を見る、其厚情は誠に
感すべきものなれど將來被害地恢復上第一の急
務は人口の繁殖にあり、則ち孤兒の如き實は他
の地方より連れ來りても保育し度程にて此際一
人たりとも他地方へ連行かしむるは縣下將來の
經濟上重大の關係あるなり、町村長たる者篤く
此点に注意し目下孤兒を世話するが面倒なりと
て土地の寳を輕々敷他人に與ゆるが如き處置に
出つる勿れ、若町村の力に堪へすは縣會に請願
し救育費を仰くも可ならむ
災後の田園
水田には全く肥土を洗ひ盡され苦土を顯はせる
あり又沙礫を夥多しく送入されたるあり是等は
何れも恢復に困難ならむ、單に潮入となりし分
は一二年間減収すべきも用水のかかり充分なれ
ば容易に恢復すべしと云ふ、且沿海の地素より
水田少なければ其被害の高は割合に少額なるべ
し、麥圃は潮水の爲めに莖稈を押伏せられ其?
絲を並へて燒鏝を當てたるが如きものあり是等
到底苅る事を得べからず、好し刈取りたりとて
穂は?に腐蝕せしが多からむ、桑田も亦害を被
むれるあり、潮水のかかりし樹は終に枯死する
もありとか、其を豫期してか幾頃の桑圃を全く
切倒せし處をも見受けたり
石を轉し樹を矩く
水力の大なりし事は大石を數間の外に轉し又は
幾抱の大樹を根より矩き去りしにて知るべし、
潮勢の凄ましき事遂に其幾馬力に匹當するもの
なるやを知るべからず
桶と箱
被害地は一般漁獵塲なる故巨大なる桶又は箱を
埋め肥料溜を具へたる家多し、然るに桶は堀出
されて流亡せしもの多けれど箱は無事なるが多
し是實に不審なりと父老の語れり、方圓の二器
水に對する抵抗力に如何なる差違ありて一は堀
出され一は無事なる事を得たる乎理學家の考案
を聽きたきものなり
雨中薄暮の巡視
舟唐桑を發し大島を一巡し明戸に侠り上陸せし
は午後四時頃なりき、此處より中島岡野の兩氏
は舟にて氣仙沼へ引返し予は齋藤松岡の二君と
共に明戸を經て大谷に向ふ、明戸へ上陸せし頃
より雨降り出てしが大谷に侠れる時は風さへ加
はりて雨は環々 甚 し、三人共に草鞋掛にて翠
てより歩行の用意は充分なりしも海邊の横吹雨
に衣裳の沾ふには少く閉口せり、加ふるに大谷
には宿すべき處なき故津谷迄是非行かねばなら
ず、日は暮かかる腹は減る雨は強くなるに固よ
り飲食する所もなければ休憩する處もなし、一
方は海にて一方は山、目に見ゆるは人を燒く煙
りのみ耳に入は岸邊を洗ふ濤聲のみ、此間の景
? 「今夜不知何 處 宿。 平沙萬里絶人烟。 と古
人の詠せし趣致ありき、津谷に侠れるは八時頃
なり、此夜は被害地取片付に赴く人足の同宿せ
し事とて入浴すべき樣なければ水浴を行ひ早く
酒早く飯と急かし立熱酒一壜暖飯數椀を喫して
漸く人心地となれり、斯吾等は途中にて多少の
苦を喫するも旅店に着すれば酒飯の設あり、以
て勞を慰むるに足れど罹災者如何と顧みれば終
日勞働して而も歸るべきの家なく食ふべきの食
乏しきなり、嗟憫むべき哉
正誤 昨日本欄末段「其美冠玉の如くなるも」
は「尾生孝巳の行あるも」の誤りなり