廣 告 海嘯被害死亡者追吊會
來ル十五日午後一時執行追吊參拜被下度候
東一番町本願寺別院世話方
今般海嘯の爲に孤兒となりたる
女兒(三歳ヨリ十二歳マテ)宮城、岩手、靑森の三縣下に
て百名を限りて入院を許す就は本院より右
募集の爲めに岡無外、志貴瑞芳の
兩名災害地方に出張致居候間入院希望
の者は宮城縣は宮城縣廳海嘯臨時
部岩手縣は岩手縣廳海嘯臨時事
務所靑森縣は靑森縣廳へ向けて遠慮な
く申込あるべし此段廣告仕候以上
大坂市南區安堂寺橋通二丁目
帝國慈惠女學院
原籍不明
一溺死者 男死体一人
年齢不詳
一丈五尺三寸位 一頸ヨリ上及兩手足共皮肉
脱落シテ僅ニ骸骨ヲ存スルモノニシテ相貌
ヲ認ムルニ由ナシ
但陰部ノ幾部ヲ存スルヲ以テ男タルヲ知ル
右者本月六日午前十一時頃本村大字網地濱小字
白濱沖合ニ漂流シアルヲ發見制規ノ通リ仝村仝
濱共葬墓地ヘ假埋葬取計置候條心當ノ者ハ當役
塲ヘ申出ラルヘシ
明治廿九年七月六日
宮城縣牡鹿郡鮎川村役塲
原籍不詳
一溺死者 男死体 一人
年齢三十五六年位
一丈五尺三四寸位 一齒ハ並
一眼鼻口耳及兩手足共腐敗脱落シテ相貌ヲ存
セス
但陰部ノ幾部ヲ存スルヲ以テ男タルヲ知ル
一着衣紺總ニフランネルノ茶紺縞ノ股引ヲ兩
足ノ下部ニ纏フ
右者本月七日午前六時本村大字鮎川濱小字山鳥
渡海岸ニ漂着シアルヲ發見ス依テ制規ノ通リ仝
村大字鮎川濱共葬墓地ヘ假埋葬取計置候條身寄
又ハ心當リノ者ハ當役塲エ申出ラルヘシ
明治廿九年七月七日
宮城縣牡鹿郡鮎川村役塲
原籍不明
一溺死者 女死体 一人
年齢五十年以上ト認ム
一丈四尺八寸位 一頸ヨリ上及胸部兩手足共
皮肉腐敗脱落シテ骸骨ヲ露ハシ相貌ヲ存セ
ス
但陰部ノ形存シアルヲ以テ女タルヲ知ル
右者本月六日午前七時本村大字長渡濱小字長澤
沖合ニ漂流シアルヲ發見ス依テ制規ノ通リ仝村
仝濱共葬墓地エ假埋葬取計置候條身寄又ハ心當
リノ者ハ當役塲エ申出ラルヘシ
明治廿九年七月六日
宮城縣牡鹿郡鮎川村役塲
廣 告
原籍不詳
男死体一人年齢十五六年位
一身体四尺五六寸位 眼鼻口耳等ノ皮肉腐敗脱
落相貌ヲ存セス
一兩股ヨリ下部ナシ右手存シ モ左腕二節ヨリ
ナシ
一着服等一切ナシ
右ハ本月七日牡鹿郡荻濱村大字廿濱三丁目大網
ニ漂着アルヲ見當リ拾揚ケタル旨届出ニ付檢視
濟之上本村大字狐崎共葬墓ヘ假埋葬取計置候條
身寄リ者又ハ心當リ之者有之候ハヽ當役塲エ申
出ラルヘシ
明治廿九年七月八日
宮城縣牡鹿郡荻濱村役塲
原籍不詳
一溺死者 死体 男一人 裸体
容貌 年齢四十二三年位
一丈五尺三四寸位 一歯上下共並
一眼鼻口耳及兩手足共皮肉腐敗脱落相貌ヲ
存セス
但陰部ノ幾部ヲ存シアルヲ以テ男タル事ヲ
知ル
右者本月五日牡鹿郡鮎川村字金華山小字砂濱沖
合ニ漂流シアルヲ發見ス依テ制規之通仝村大字
鮎川濱共葬墓地エ假埋葬取計置候條身寄又ハ心
當リノ者ハ當役塲ヘ申出ラルヘシ
明治廿九年七月五日
宮城縣牡鹿郡鮎川村役塲