雜 報
●本 縣 大 海 嘯 彙 報
●海嘯瑣談(二) 迂 鐵
唐桑見聞
氣仙沼に着せしは午後三時頃なり、警察署に設
けられし海嘯臨時部出張所に侠り山田揆一石井
山治の兩氏に面晤して災後の容子を聽き扨明日
の天氣頗る氣遣はしければ此日唐桑へ渡らんと
舟を尋ねしも島より來れるは歸り去りぬ、氣仙
沼よりは風向惡ければ出さずと云ふに餘儀なく
陸行に决し石割峠の難所を越ゆ、予は少小より
旅行を好み富士筑波箱根足柄伊豆の天城出羽の
三山等を登攀したれば可なり健脚を誇りし者な
るが十數年來は到る處舟車の便なるに任せ歩行
とても久敷試みざりし故僅貳里半余の路に頗る
疲勞を覺えたり、峠を下れば宿の被害地なり役
塲病院の模樣は嘗て記したれば略す、村長及川
信次氏を訪ふ氏は久しく病床に在り起臥人に依
る程の重患なれども助役鈴木某が此度の變災に
死したる爲め病を力めて自ら難民救恤の事を經
營し晝夜痛心せらると云ふ、願くは病勢を增劇
せざらん事を本村の爲めに頭る
此夜は鈴木禎治氏の家に宿し種々の談話を聽り
氏は海嘯の災を知るや先つあらん限りの提燈に
點火して處々に配置せしめ尚人を小高き處に上
せ提燈を振りて古舘の無事なるを鮪立の人家に
知らしめ大篝を庭前に焚て罹災者が難を遁るる
の目標を爲せり、斯て暫くする内に罹災者の火
光を便りに遁れ來る者幾何と云ふを知らす(四
這ひになつて來れる者多かりしと狼狽驚愕の?
想ふべし)多くは素裸なれば年若の女子は流石
に羞て慄戰なから戸の外に彳むも哀れなり、氏
聲を勵まし此塲合耻かしきも何もあるものなら
す早く内に入れと命し軈て家族をして衣服のあ
らん限りを出させて裸の者に與へ濡れたる衣裳
せし者にも着換させ、扨潮水を多く飲み疲れて
吐得ぬ者をば三人掛りにて一人足を揚一人腹を
押し一人は鳥の羽(是は當座に羽帚を破りしも
のとか)を喉へ指入れて泥潮吐出させ其後藥を
與へて安眠せしむ、寳丹二十五六包及ひ他の賣
藥百余包ありしもの皆悉く使用し盡し衣類も家
内あり丈の分皆貸し渡し猶來る者陸續たれば果
ては臺所へ蒲團を敷詰め先きに來れる者に着せ
たる衣服を脱がせては後れて來る者に衣せ衣服
を剥かれし者をば彼の蒲團の上に並べ臥せ其上
より蒲團を掛けて暖を取らしむ其?宛も魚市に
鮪を並へたるに似たりけり、されど此救護に依
て一命を拾ひし者幾十人なるを知らすと云ふ
鮪立の開業醫虎岩玄庸氏は其子息某と共に海嘯
の當夜より負傷者の治療に從事し、家富めると
云ふにもあらざるに數日の間幾多の人に施藥し
て一錢をも収めず、尚日々患者の家を見廻りて
懇切に診治を加へらる、されば一村擧て其德を
稱賛せさる者なしと、仁術を以て世を渡る者は
誰も斯ありたき者なり
前項とは全く反對にて何某と云へるは家大に富
む者なるが平生甚た慳吝にて俗に所謂不受不施
即ち人の世話にならぬ代りに人の世話をもせぬ
と云ふ主義を執り近年環々其身代を太らせり、
されば其主義を守る事も彌環嚴重になり先頃赤
十字社加入の事を或人の勸告せしに、赤十字社
へ出金すれば年分何程の利子になるやと問ひ、
其人赤十字なるものは慈善事業にて利殖の會社
にあらずと答へければ、さらば加入は御免を蒙
るべしとて遂に謝絶せしと云ふ、然るに此度の
海嘯には手痛く襲撃され新築の家屋も腰より下
は家具一切と共に流失し其他納屋舟網共凡そ二
萬圓前後の資財を流亡せしと云、天道是非なし
とは毎々識者の嘆息する所なるが此邊の處置振
を見れば亦上天眼分明を謡はんと欲するなり
人名救助には種々の奇談あり一女子流されて頻
りに助を喚ふ、偶舟に乘て過くる者あり其名を
問ふ、女答へず、其者曰く名を言はざれば救は
すと直に漕き去る、女救を呼ふ事環々急なり、
一人あり之を憐れみ輕舸を飛して海上に其聲を
逐ふ事凡そ千貳三百間にして遂に救ひ還る、助
けたるは鈴木音之進助けられたるは鈴木藤藏の
次女なりしと、其人の義氣愛すべし