板垣内相に望む
内務大臣板垣伯耳順の高齢を以て晝夜急行三陸
の大海嘯地を巡視せられ炎天熱沙の間に曝露す
るもの凡そ十餘日、備さに罹災者困苦の?况を
視察せらる、是實に三陸幾百萬人民の均しく感
謝する所なりとす、聞く伯は頗ふる情に脆く涙
多き人なりと、今罹災地を徃來し被害人民の困
苦の?悲愁の聲を目賭耳聞し果して何等の感想
を起されたるや、惟ふに賑恤救護の事寸刻も遅
緩すべからざるを知り區處經營其胸中自ら成竹
のあるあらむ、蓋明治維新以來天變地異の民害
を爲したるもの多しと雖未た嘗て今回の大海嘯
の如く慘且烈なるもの之れあらず、眞に是非常
の大變なり、非常の大變に處する固より非常の
手段なかるべからず、乃ち三陸の人民は此際伯
が果斷英决能く救恤の大經綸を實施し以て此民
を瀕死の境より救ひ出されん事を望む者なり
救恤の方法大略二と爲す、乃ち其一は刻下衣食
住の資を支給して飢寒の苦痛を救ふにあり、其
二は産業を授けて自活の道を立てしめ漸次部落
の恢復を圖るにあり、其第一項は縣町村に種々
なる方法の設けあり且つ四方有志の義捐金惠贈
品も尠なからざれば粗其目的を達する事を得べ
きも第二項に至ては一地方の資力の以て能く辨
する所にあらず、是非とも中央政府特別の保護
を請はざるを得ざるなり
三陸罹災の人民其過半は漁獵を以て自活せる者
即ち海洋は彼等が田畑にして船舶漁具は彼等が
耒耜なり、今や彼等は船舶漁具を擧けて流失し
盡せり渺茫たる海洋魚属充滿すと雖も釣を垂れ
網を下すに由なし、而も又罹災者の資力は復ひ
船舶を造り漁具を購ふの餘裕なし、故に彼等を
して自活の道を得せしめんとせば政府は新に船
舶を給與するか或は年賦上納の法を以て一時貸
與するを要す、然らずんば三陸幾多の部落は遂
に恢復の期なく罹災幾萬の人民は永く飢寒困窮
に泣かん、政府若し人民を救護し部落を恢復す
るに意なくんば則ち已む、苟も其意あらんか計
必ず此に出てざるべからず、而して事の成否は
一に伯の决斷如何にありて存するなり
顧ふに尾濃震災事件に於ける公金濫費の物議は
有司をして畏怖卑怯の念を抱かしめ今回救恤を
行ふに就て多少の妨害あるべきを信す、然れど
も成文例規に齷齪とし頭を畏れ尾を畏れ逡巡躊
躇唯言責を免れん事をのみ惟勉むるは胥吏の常
態にして伯の平生與みせざる所なるべし、今や
此の非常の大事を處するに嘗て野に在ては一大
政黨の首領たり朝に立ては内政の大局を握れる
伯の爲す所必ずや磊々落々雄偉正大にして尋常
胥吏の輩の夢想にだも及ばざる所のものあるべ
し、三陸人民の伯に希望する所亦實に此に在る
なり
桶類、釣瓶、柄杓、杓子各種
罹災地の住民桶類のなきに苦しむ、一個の桶あ
れば顔も洗ひ手足も洗ひ膳椀も洗ひ時として衣
帶をも洗ふ其不便不潔思ふべし、井戸の釣瓶は
潮水の井戸を破壞すると同時に皆破壞されたり
釣瓶は他のものを以て流用すべからず、罹災者
大に苦しむ、釣瓶手桶ありて水を汲ひ得たりと
するも柄杓なくんば如何にして適宜に水を使用
すべき、鍋釜あつて飯を焚き汁を煮得るも飯匙、
汁杓子、玉杓子、貝杓子の類なくんば如何にすべ
き、焚立の飯は手握みにて食ふを得す沸騰せる
羹は手に汲て啜るを得可らず、乃ち躅爾たる微
物も之なければ彼等殆と餓鬼道の苦みを享んと
す、之に次て必要なるは椀皿茶碗の類なり是皆
慈善者の至急に惠與せられん事を望む、或云罹
災の人民は大概の不自由を忍ばざる可らず、一
々完備を求んとするは贅澤の沙汰なりと、是能
く實地を視察せざる机上論者の妄談なり、試に
身を罹災者の地に置て思考一番せば悟了するに
難からざるべし(再宿志津川之夜燈下記之鐵軒)
電 報
雜 報
●本 縣 大 海 嘯 彙 報
●慘 况 一 斑(五)鐵 軒
十三濱戸倉の各部落
十三濱は志津川の東南に當れる半島を指して総
稱するもの、全島戸倉十三濱の兩村に分る、各
部落の名稱及び其被害の統計概略左の如し(六
月二十九日調)
戸 倉 村
長 寺 藤 瀧 波 津 水 折
淸 傳 戸 計
水 濱 濱 濱 谷 宮 邊 立
在来の
戸 數 二十 十二 十一 二二 三二 二〇 七一 六八 二五六
流 失
戸 數 一一 三 三 五 七 二 〇 二 三三
潰 屋
戸 數 三 一 二 一 〇 一 一 〇 九
半 潰
戸 數 四 〇 一 〇 四 二 二 八 二一
浸 水
戸 數 一 二 一 五 一八 一 〇 五一 七九
被 害
総戸數 一九 六 七 一一 二九 六 三 六一 一四二
被害前 一〇二 一七六 一七四 四三五
人 口 一五一 八四 二八一 四九六 一九〇一
死 亡 三〇 一〇 七 二 一五 〇 〇 〇 六四
重 傷 八 一 六 〇 一二 〇 〇 〇 二七
輕 傷 九 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 九
被 害
総人口 四七 一一 一三 二 二七 〇 〇 〇 一〇〇
負 傷
致 命 一 〇 〇 〇 一 〇 〇 〇 二
溺 死
未發見 五 七 一 〇 〇 〇 〇 〇 一三
十 三 濱 村
相 大 小 小 大 小 長 小 月 立 白
鹽 計
川 指 指 室 室 泊 谷 瀧 濱 神 濱
被害前 四三 一五 二二 一二 四三 三五
戸 數 一七 一四 七 一七 一三 二三八
流 失
戸 數 三七 九 一〇 〇 四 〇 〇 〇 〇 〇 〇 六〇
全 潰
戸 數 〇 〇 〇 〇 三 〇 〇 〇 〇 〇 〇 三
半 潰
戸 數 五 一 一 二 七 三 二 〇 四 一 〇 二六
浸 水
戸 數 〇 一 二 三 四 二 四 〇 四 四 五 二九
被害総
戸 數 四二 一一 一三 五 一八 五 六 〇 八 五 五 一一八
被害前 三七六 一一四 一九八 八二 三一〇 一八七
人 口 一三九 一一五 六〇 一三八 一一五 一八三一
死 亡 一五八 一三 二三 〇 一三 二 一 一 〇 〇 〇 二一一
重 傷 六 四 二 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 一二
輕 傷 二七 一一 一五 〇 六 四 〇 〇 〇 〇 〇 六三
被害総
人 口一九一 二八 三九 〇 一九 六 一 一 〇 〇 〇 二八五
負 傷
致 命 三 一 一 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 五
溺 死
未發見 八八 五 一〇 〇 一 〇 〇 〇 〇 〇 〇 一〇四
右の如く戸倉には流失戸數三十三仝潰家二十一
死亡六十四人重傷九人十三濱村には流失六十戸
潰家三戸死亡二百十一人重傷十二人あり其被害
大ならずとせざるも土地僻在し陸には車を通せ
す海路亦岬角を廻航するの不便あり加ふるに災
後船舶に乏しきを以て視察者の足跡多く及はす
と云ふ、予は幸に宮城縣の出張所より貨物を相
川に送る船に便乘する事を得て二十九日の午前
六時志津川を發して十三濱に向ふ舟子は皆今回
の災害に罹れる者なり (未完)
(欄外にも有り)