震災日誌
南海大地震後既に一ヶ
月、尊い幾多の人命と
夥しい家財を一瞬にし
て烏有に歸したがこの
間交通、運輸、通信、
電氣等起訴機關の活躍、
町村当局、警察署その
他各團体の目ざましい
奮闘に幾多の美談の花
を咲かせつ丶復輿への
足並は漸次整備されて
いつたがこの未曾有の
大惨事に際し關係当局
は、社會は如何に動い
たか今世の記録として
此慮に卑本中心の震サ
イ日誌を收録する
×
十二月二十一日 午前
四時十五分南海大地震
、大邊路地方数千
戸被害、この中串本
町は流失九九、倒壊
五〇、半壊一一三、
浸水一四一一(床上
一〇一四戸、床下三
九七戸)死亡八負傷
四二罹サイ者總藪五
五五六名
▽サイ害救援本部を串
本國民學校に設置、
炊出開始、罹サイ者
收容(青年會女子部
婦人會活躍)
▽青年會夜警開始
▽シンサイ第一報無電
にて縣廳へ(串本警
察署).
▽電柱五七本修理なる
(關西配電)
▽電報は問■見以遠不
通、電話は古座、潮
岬のみ開通(串本局)
▽串本國民學校々舎三
丸○坪使用不可能
▽縣知事より罹サィ關
係者へのメツセージ
飛行機より投下
▽本祇支局壁新聞活動
開始
二十二日串本町内大
半点燈
▽義捐金募集(町内各
團体連名)
▽串本營團浸水米搬出
▽青隼會警防闇倒壊家
屋整理着手
▽縣警察部、赤十字看
護婦、各社ニユース
マン多数海路来串
二十三日 浸水井揖戸消
毒開始
▽緊急クシ本町協議會
でシンサイ對策
▽町内全戸点燈'
▽阪大病院救護班来町
▽町當局の罹サイ者へ
の配給計畫なる
▽郵便船田邊勝浦間開
始
▽縣知事のメツセジー
に對しクシ本町會満
場一致戚謝電報可決
二十五日 早川、齊藤
両代議士、川上知事
来町
▽大衆丸よりの救援物
資(大阪府寄賄荷揚
完了)
▽クシ本交換會リサイ
者救護に起つ
二十六日 小野代議士
来町
▽田邊勝浦定期航路開始
二十七日 クシ本江住
間点燈
▽シンサイ見舞電報受
付五四〇〇通に達す
(串本局)
▽串本交換會純益三〇
一八圓を町へ寄附
廿八日、義捐金、物資
配給開始
廿九日 新宮クシ本間
鐵道開通
▽西郡地方事務所震災
封策本部クシ本出張
所開設
卅日 海外引揚者中の
羅災者へ越冬被服配
給
卅一日 クシ本田邊間
鐵道開通により紀勢
全線打通成る
▽京都府寺田村青年團
一行来町慰問餅九三
四ヶを寄贈さる
一月一日 天皇陛下御
名代竹田宮恒徳王殿
下震災状況御観察の
ためクシ本町御通過
に際し矢倉町長有田
、駅より乗車、車中震
災状況を言上
▽京都市青年團救援隊
来町
▽役場吏員總動員にて
雨中救媛罐詰揚陸作
業
▽橋抗、錦富ヘヂーヂ
ーヲイ散布
▽クシ本青年會全町夜
警開始
五日 リ災關係町村復
興對策協議會(徑済
課長出席)
八日 シン災復興町民
大會開催
十日シンサィ者同盟
結成大會
○京都市よりの救護物
資をリサイ地へ無償
配給十一日 大阪シンサイ
復興同盟からクシ本
へ醫師團派遣、無料
診療
○田邊市同胞援護會か
ら救援物資入荷
十三日 那賀郡聯合青
年會から救援物資入
荷
十四日 クシ本國民學
校後援會役員會(校
舎復興、二部授業へ
の協力方懇談)
十五日 コレラ豫防接
種
十六日 シンサイにて
復興中の本紙再刊β
十七日 流失資材蒐集
勤労作業(片輪海岸)