三日来の余震 二百九十回 石巻測候所地動計の動き! 大きかった廿三日
去る三日未明の大地震海嘯以来石巻測候所の地動計には約二百九十回の震動が感じて居り、二十三日払暁の地震は余震の中最も強い方であったが、この地震で桃生郡十五浜村地方は大騒ぎ、夜中に又津浪が襲来するかも知れぬと 早くも避難したものあり、石巻測候所には役場その他から頻々と電話の問合せがあり当直者は電話の応接に面喰ったものだという、
中には沖鳴が明治二十九年の津浪の時の海鳴りと同じようだといってくる老人もあり流言蜚語となって可なり恐怖に脅えたものだ、
尚お同測候所では目下過■の津浪襲来によって被害調査を行った本県■沿岸の模型を約五尺位に造り調査資料としようというので二十三日から所員がコンクリートを練ったり泥まみれで製作中である。
六人がかりで 一尾もとれず 震災後海に変化
牡鹿郡大原村谷川浜の渥美文治は所有漁船に所有者外五名の漁夫が乗込み、海嘯後、始めて本月二十日出漁し、谷川浜近海で漁撈を行ったが一尾の漁もなかったこれは震災後海洋に変化のあったためであろう。
秋保温泉湧出量が 地震以来ふえた 浴客の殺到に活況
秋保温泉は過般の地震以来湧出量が減ったと噂されていたが事実は全く反対で非常に量が増え滾々として沸き出で浴客も殺到しているので地元民らはよろこんでいる、
なお湧出量増加を機に各温泉旅館、商人らは浴客吸引に奔走し秋保電鉄または同社直営の温泉クラブを解放、六月末までクーポンを発売、市街自動車と連絡を取り一致共同千壱千を張ったので活気づいている。
小船十艘で死 体捜索
牡鹿郡大原村鮫の浦では未だ十九名が行方不明で毎日発動機船その他で捜査中だが、同村泊浜漁業組合長平塚喜蔵氏外幹部並に組合員六十余名が総出動し小船十艘をもって沿岸の大捜索を開始しているが十九日午後一時籾五斗入一俵を海の底から引きあげたのみで死体一個も見当らなかった。
震害の復興 着々進捗す 宮城県の救護状況 廿四日内容発表さる
去る三日の震災に対し、救護と復興に全力を挙げた宮城県では、救護と復興の状況を二十四日発表したが、その内容は左記の通りである
一、道路橋梁及住宅の復興
(イ)道路、橋梁等の破壊せるものに就ては青年団、消防組、工兵隊等の援助を得て一応交通に支障なき程度に修繕した
(ロ)災害復旧土木工事に対しては内務省査定官の査定により大体実施■計に着手した
(ハ)住宅■地造成に関しては適地■■中でこれが執行については■割整理組合を設立する方針で都市計画課で研究中、尚お被害町村敷地選定のため委員を推薦するよう指示し二十五日ころまでに取纏めて委員会を開きそれぞれ対策協議の見込み
一、農村復興状況
(イ)小漁船建造は本月十一日一千百七十七隻分建造資金の貸付通知を罹災漁村に発し町村又は漁業組合が建造し漁業者に配布せしめることとした
(ロ)町村現在の造船能力及び材料を調査した結果一ヶ月六百七十五隻を建■し得るに■ぎず、所要数全部を建造するには約三ヶ月を要するが、匠の増加と他県よりの申込みもあり、能力とは月々倍加の見込み
(ハ)造船材料は調査の結果地元にて調達し得るもの六割八分 他より供給を受くるを要するもの三割二分あるが県内大川村針岡の官有杉林の如き約三万五千隻の小漁船材料があり、これが三十分の一払下げで県下被害漁船を復旧し得る
(ニ)櫓材は県内に皆無なるため十八日高地営林局に注文したが在京中の中谷技師より東京市内にて調達し得る電報あったので県は高地営林局への注文を取消し東京市内にて調達することになった
(ホ)各町村の進行状況は
坂元村 船材、船具材を福島県より調達、同村にて建造進行中
大原村 船材調達中で、建造困難の分は県に一任の見込み
鮎川村 目村には建造の手続中
十五浜村 船材、櫂材は営林局より払下を受け自村において建造の手続中であるが櫓材は県に委託
唐桑村 船材船具共、地方より調達の上目村にて建造し得る見込み
御嶽村 船材は地元にて調達の上自村にて建造し、櫓材は県外より調達の見込み
志津川町 船材は町内にて調達可能、櫓材は県外より購入の見込み
渡波町 地元材料は本月中に調達し、他は全■県内にて調達の見込み
大谷村 船材は村内産のものを既に調達済み
(ヘ)小漁船以外の発動機船、漁具、販売所、製造■、倉庫、養殖設備、船■、船揚場、案■の被害復旧に関しては、予算成立するや急速供給出来る様、既に借入申請書を徴しつつある
一、農業関係復興状況
農具は平鍬ニ挺、唐鍬一挺、三本鍬一挺、ホーク一挺、ショベル一挺、鎌三挺を一組とし農家一戸に対し各一組宛三月十六日より配給し二十五日配給終了の見込み、種籾は農家一戸に対し一斗八升宛とし目下配給手配中で馬鈴薯は農家一戸に対し四十貫宛とし配給手配中
一、罹災家屋建設状況
建す 建 築 竣 功 数 起 工中
町 築る 見 込 数 本
村 を世 本 バ バ バ
名 必帯 建 ラ 建 ラ 本 ラ
要数 築 ッ ッ 建 ッ
と ク 築 ク 築 ク
十三浜 四九 — 四九 — 六 — —
小泉 二〇 一五 五 — 二 — —
歌津 五四 — 四九 — 一三 — 一〇
戸倉 九 — 九 — — — —
唐桑 一〇三 八二 二三 — 二三 五 —
鹿折 三 三 — — — 二 —
大谷 六 六 — — — — —
階上 四 四 — — — — —
大島 六 六 — — — — —
女川 五 — — — — — —
大原 四〇 一七 二〇 — 一 — 一五
十三浜 二〇八 一八 一九九 — 六七 一 三七
坂元 一〇 — 一〇 — — — —
計 三一六 一五一 三六四 — 一一二 八 七一
罹災者救護
更に救護状況を見ると、罹災救助については目下町村長より申請取纏め中で内現在まで引続き食料救助中のもの七百七十四世帯、四千四百八十二人で小屋掛費、就業費その他に就ても二十五日頃には指令を発する見込みである、次ぎに医療の状況は、救護班は現に二班出動中で、(内一班は本吉郡方面、一班は桃生、牡鹿方面)他に防疫、医務嘱託三名が唐桑、歌津、大原方面に出張治療を■け負傷百四十三名、疾病六十九名を診療中である、
一、廿二日迄県で受領した義捐金は六百三十二件、七万七千五百五十七円七十二銭、各方面より贈られたる慰問品で仙台駅前出張所で受領し配給したる総個数は五千二百四十二個で救恤金の主なるものは左記の通りである
衣類八万四千三百一着、其他の衣類二万二千八百二十二着、夜具一千五百四十三枚、毛布三千八百五十八枚、白米四千二百九十九瓩、味噌八百九十貫、醤油百九十五樽其の他である。
罹災者義捐金(本社寄託)
金一円加美郡東小野田青年団上区班、金一円五十銭、同東■■区班金二円九十銭、長野県更科郡■信田村赤田少年団、慰問品一包高知市■■■東■■恵、金六円■■郡■■町築館二業組合、金五円神奈川県平塚相■紡績宮城県人会男十部一同、金九円同婦女会内大崎よし中村ゆき、土井とみ子、目黒しゆ阿部けさよ、佐藤みよの、目黒けさを、目黒はるよ、金四円八十銭加 郡小野田村東小野田女子青年団、裁縫学校