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県会議員  長い歳月の間に   恐怖感念薄らぐ    低地に移って再び惨害を被る     最もよき活教訓      災害地視察

 九日午前八時四十五分志津川蔦屋旅館出発、峻坂をたどって九時半頃小泉村役場到着、慰問の礼を致した。途中、高橋■市氏の迎えを受け、東道によって災害地二十一浜を訪うた。流失家屋一九、浸水家屋五、死亡者一五名を算している。
明治二十九年の海嘯直後、高台に住家を移転したが、歳月を閲するに従って恐怖感念が薄らぎ、再び元の低地に移ったため、又しても今回の災害に遭ったものだという前後復興策について最も考慮を要する活教訓だと思う。
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 此所から大谷村に着いたのは午前十一時、此所は明治二十九年の海嘯後、県道筋の高地に住家を転じた者が多いため、被害家屋は比較的少ないが、江近くの砂原の建家は滅茶苦茶に流失倒壊の惨を見ている。然し不幸中の幸であったことは、強震のあった時刻に、森平吉外十数名の漁師が、鮫漁に出かけるため、船の用意をしていたが、強震直後津浪の襲来を予覚し「津浪が来るぞ逃げろ逃げろ」と大声に警告して廻ったので、家屋は失ったが死亡者を出さなかった。
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 階上村は流失三倒壊三、浸水二三戸という家屋の被害であり死亡者一、負傷者三名を出している。気仙沼町に入り町役場警察署を訪い、菅原旅館に少憩、松山平兵衛氏の迎えを受けたので、志津川町から送って来てくれた佐藤弥代二氏を加えて地元議員三氏の案内を受けることになった。
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 本吉郡内で惨害の最も甚だしい唐桑村に向うべく車を進める途中鹿折村の被害を眺めたが、此所は蔵底浜、浪板、大浦、少々汐、梶ヶ浦、鶴ヶ浦の各部落共に被害少なく、鶴ヶ浦において流失家屋一戸四棟、倒壊一棟、死亡、負傷各四名を出し、床上浸水は少々汐の一四戸を数える程度なるは、気仙沼町の被害なかりしと共に、不幸中の幸というべきである。これも鼎浦前面に大島が屹立して自然の防波堤を成しているためだと思う
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 唐桑村は崎浜、松圃、中井、小鯖、中鮪立、舞根、宿、石浜、只越、館、大沢の全部を通じて流失倒壊住家一二六死亡二四(屍体発見)行衛不明三四負傷者七名を算している。只越部落に往って視ると、惨害の跡のいたましさは名状する■にがない、被害戸数六七戸内流失三一倒壊一六死亡者男二女六行衛不明男七女八名という惨状である。
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 更に険路峻坂を迂回して宿部落に到り、村役場を見舞い、長躯して小鯖に向った。この浜は流失二六倒壊一浸水一二戸死亡者男五女三名行衛不明男五女二名を出し、第二甚生丸という四五十噸位の大漁船が、無雑作に護岸を超え人家に突き当ったままになっている光景など、自然の暴威が、一瞬時に巨額の資を投じた漁村を解消し去ったことをマザマザと示している
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 小鯖からの帰途、大沢を見舞うたが、流失一五倒壊五戸、死亡者五名負傷者三名を出しているが、同じ罹災地でも交通機関の関係や余りに僻遠の地にあたるためか慰問の人の往訪もないとて、部落民は一層の心さびしさに泣いていたころとて、一行の慰問を心から感謝していた。(続)=富田広重記=

本社慰問隊  慰問品山と積み   第三班出動    唐桑村には発動機船で輸送     罹災民一同大喜び

本社寄贈の慰問品と、仙台市内各方面からの慰問品を本社のトラックに満載して十日出発した本社慰問隊第三班は十二日夕本吉郡志津川町に到着、同地に一泊の上、十三日早朝歌津、小泉の罹災村役場に慰問品を贈って午後四時気仙沼にし、唐桑村には十四日午前八時発動機船で輸送、村役場に送り役場を通じて罹災者にそれぞれ贈ることになるが、今同の慰問品はメリヤスシャツ、足袋等の防寒具から食料品の外に、一般罹災者が不足を告げているバケツ、皿、茶碗等の食器類が多数にあるので一層よろこばれることであろう。

枕五百人分  石巻真珠会か  ら第一回寄贈

石巻町信仰婦人団体真珠会では今回の震嘯災の罹災民に対し婦人だけに細かいところに留意し、枕五百人分を作り第一回慰問品として発送する事となり、
 十二日午後から幹部千葉きわ女史外幹部約三十名が西光寺の事務所に集い同会の基金から布を買入れ、各会員手拭等を持ち寄り枕掛けまで整え、同夜は徹宵し十三日も総出で一先ず五百人分を作ったが
第二回目には夜具を寄贈しようとのことで有力家の夫人、令嬢達が真心こめて罹災民の夢をまもる枕等を縫う針を運んでいた。

十五浜村に感 冒患者続出  村郡医予防に  奔走

桃生郡十五浜村の海嘯被害罹災者は二千八百名の多数に達したが、昨今衣類金品の慰問品が汎ねく行き届いたので、大部分仮小屋に引きあげたが、打続く寒気のため感冒者発生し、村医及び郡医師会からは引き続き係員を派遣して、罹災民の衛生保健に万全を期しているも、感冒患者の続発についても飽くまで予防しているが、同村感冒は僥倖にも悪性でないのが心強い点だといわれている。

全国町村長会 福井主事慰問

全国町村長会の福井主事は同会を代表して罹災者慰問のため十三日本吉郡志津川に来町、歌津、小泉、大谷、階上、唐桑の各罹災村役場を訪問、慰問の辞を述べ被害状況をも視察の上、十四日岩手県に向け出発した。

本田徳永両女 史災害地視察

婦人矯風会幹事本田トヨ、東京連合婦人会徳永恕両女史は、婦人矯風会千台支部理事池田政代氏と共に十三日気仙沼に来町唐桑、歌津の震災地を視察した上、四日岩手県釜石町方面に赴いたが、一行の視察目的は婦人矯風会で罹災地に臨時託児所の設置或は育児方法の施設に関する実地視察であると、

渡波婦人団体 小学校の義捐

牡鹿郡渡波町婦人団体では全町各戸から震嘯災慰問金の募集に着手したが、各戸三十銭、五十銭と寄贈申込みがあり、近く取纏めの上発送手続きをとることになった、又渡波小学校全生徒で震嘯害によって教科書を失って学ぶことの出来ない児童に対し教科書を持ち寄りこれを寄贈すると共に、各児童も三銭、五銭と義金を持ち寄り、十三日取纏めの上発送した。

惨死者追悼会

三陸沿岸大震津浪のため痛々しくも惨死せる精霊を慰むるため遠田郡内各寺院連合主催で元涌谷村龍淵寺において来る十六日午後一時より追弔法要を行うことになった。