海底の異変 呼吸が困難となって 這出した下等動物 地震か津浪の影響かの疑い 今後に残る貴重な研究興味深き踏査
今回の三陸震災に関し波浪と動物生態を調査のため斎藤報恩会から派遣された東京帝大生物理学教室の大淵真龍、高松正彦、同古生物学教室の野村七平の三理学士は、生物学教室の助手二名と共に一行七日朝仙台出発、雄勝浜に向い主として宮城県沿岸被害地を調査中であったが、一行は多大の収穫をもたらして十一日夜帰仙した。一行の談によると震災直後の各村では老婆等が一団となって海岸に集い行衛不明となった家族の屍体が一日も早く打ち寄せられるよう和賛等を哀れに唱えて待つ有様や、葬式等の様子を見て胸打たれ、如何に学問のためとはいえ最初は津浪前後の魚類その他の生態に関して■くに忍びなかったという。一行は雄勝から女川、大原と南下した後、北上にて唐桑村、大谷村等の海岸について調査を遂げたが、生物学上得難い幾多の資料を取穫し特に下等動物と津浪の関係についてはわが国生産学界に新しい問題をももたらす事となった。右について大淵、野村両理学士は交々語る。
今回の調査に依って興味ある幾多の事実を発見した。大体十三浜の半島を境界としてそれから南方に当る女川、大原等には魚類が夥しく打ち上げられていたが、半島から北の唐桑、大谷、階上の各村沿岸には魚類は打ち上げられていずに下等動物が莫大の数に上って打ち寄せられていた。北の海岸では大汐等のとき底引網を用いなければ取る事の出来ない深海の底に棲息する星虫、海牛、ゴカイ、ナマコ等が打上げられていたが、十三浜辺を堺にこういう現象を見たのは、北部が津浪が甚だしかった為めか、海底の関係が最初からそういう分布であったかは今後の調査を待たねばならない。これ等の下等動物は海底の砂の中に穴を掘って澄んでいるのが地震によって穴の入口を塞がれ呼吸困難となった結果、匍出したところを津浪で打ち寄せられたものと思うが、この地震のためか津浪のためかも重要な研究問題だ。兎に角平常は用意にハガせない鮑等が夥しく打上げられているなど今回の津浪が海の底にも及んでいることがわかる。南方の海岸では汀から山手へ三百米位の距離までオコゼ、ヒラメ鰻、タナゴの類が打ち上げられそれらの死んでいる場所は海岸から段ダラになっている高サ四米位の畑や田で浪の高サが推測された。北部地方の下等動物も同様の状態で貝類の数は何百万という有様であるがウニなどは田甫の中に何万となく生きたまま散らばっていた。今度津浪の調査で大体分布を知ることが出来たが今後は採集にも便利な訳である。
なお関東大震災の時、三崎臨界実験所の報告によると岩礁の変化に依って海草等が枯死し。同時に水が腐る為め魚介類の棲息状態が変ったといわれているが。それらも今後研究する筈で斎藤報恩会では今回の調査が全国的に前例が無いので今回採集の標本を他と区別して保存すると共に、如何なる程度の波浪でかくの如く下等動物が打ち上げられるものか今後も継続して調査研究する事となった。