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恒久的施設  樹立に邁進せよ   知事に進言、実行運動開始    政友宮城県支部申合

政友会宮城県支部では十日夜緊急幹部会を開き菅原支部長以下幹部出席、今回の震災に対する復興施設につき協議の結果、
 一時的の応急施設のみでなく積極的に恒久的施設の樹立に邁進し、中央における東北救済会運動と呼応し実績を挙げる様県当局に要望すること
を決議し、委員に大槻、遣水、粟野三県議並篠塚宏、庄司一郎の五氏を挙げ、同委員■同は十一日午前県庁に三辺知事を訪問し決議事項をもたらして意見の交換をなした、なお菅原支部長は中央において、既報の方針に基き大々的運動を起すべく十日午後十時半発には帰京した。

磯浜部落に救  いの手伸ぶ   建築にも注意

一般から閑却された形にあり罹災ご救済の手の伸びなかった亘理郡坂本村磯浜部落は本紙の記事によって各地からシャツ、足袋その他の寄贈品が俄かに増加し、九日には県から毛布が送附されたので罹災者に配布した、家屋半潰のものに大しては金十円ずつを役場から交附して修繕させ、全潰者十名には県から三十円、役場から五十円を交附、バラックを建設させることとなったが今回の海嘯と昨年十一月の水害に鑑み本建築は勿論バラックも防潮林の内側に建築せしむることとなりそれぞれ申渡した。

佐沼町の建築  救援第二班   きのう罹災地へ

登米郡佐沼町建築手組合員十五名よりなる建築救援第二班は十一日正午罹災地へ向った、第一班は六日以来引続き罹災地にあって救援作業中だが、一行は何れもその日暮らしの大工、左官、鍛冶工、石工で自分の家を顧みずこの義侠的建築救援は一般に大感動を興えて居る、
 因に費用一切は組合基本金全部と篤志寄附であると。

バラック廿戸  歌津村に建設

本吉郡歌津村においては村役場が主体となってバラックの建設を急いでいるが田浦十戸、中山五戸、名足五戸を建設と決定、工兵隊の応援を得て十一日から着手した。

荒海岸の  波浪高し   建築材運搬杜絶

流失十一棟(非住家十八棟)全潰四棟(非住家七棟)半潰三棟(非住家一棟)を出した桃生郡十五浜村荒部落は交通不便の土地であるが、復興のため部落民協力して活動中のところ十日夜から波浪高く荒海岸に船を碇泊せしむることが出来ぬためバラック建築材料の運搬が不可能となり部落民は荒れ狂う海をながめて呆然としている。

金菊丸は絶望  田老村沿岸に   碇泊した事実

牡鹿郡渡波町本町五七阿部伝蔵所有の金菊丸(通称勘栄丸)船長阿部八郎(二七)阿部豊三(二三)末永武(二五)木村金助(二六)の四名も船体とともに震災当夜岩手県釜石港附近で行方不明となり発動機船神田丸で捜索中だが十日午後神田丸からの入電では金菊丸は当夜は最も惨状を呈した岩手県下閉伊郡田老村沿岸に碇泊した事実あり船体も乗組員も全く絶望だというので渡波町役場では県当局に対し震災被害として右報告することになった。

鮫の浦で死  体二個発見

震嘯災で寝臥中家屋と共に押流され行衛不明となった牡鹿郡大原村鮫の浦の行衛不明者なほ二十四名あり捜索中十日午後五時半頃同村阿部常雄(二四)が海底捜索中鮫の浦の細田二四阿部忠吉(六八)同一一伊藤ふよ(二一)の両名を同海岸一海里海底で発見した 

唖者の死体引渡

仙台市北七番町四九椅子修繕業岡崎京一(三九)と宿帳に記入し、去る三月二日志津川町の木賃宿佐藤ハル方に投宿した唖者があったが、三日朝の震災で溺死を遂げたので仙台署では北七番町四九阿部まさに通知し死体引取方を申し渡したが溺死した唖者は東京市本所区中野町泉庭三三岡崎徳三■(三七)と判明した。

重傷者死亡

本吉郡十三浜村小指佐々木彦三郎(二○)は海嘯の際重傷を負い石巻町日赤病院で加療中ところ九日遂に死亡し

岩手県人会活動

在仙岩手県人会では去る五日以来岩手県三陸沿岸罹災者への義捐金を全市同県人会より募集中であるが、十二日を以て締切り同日午後七時より合同運送会社で幹事会を開き取纏めて送金すると、尚醵金希望者は空堀丁■卦医院内同県人会事務所又は各幹部へ申出でられたいと。