逃げ足遅い老人 子供に犠牲が多い 行方不明中の百五十名も死亡? 悲惨な宮城県下六村
地震海嘯による宮城県下の痛ましい犠牲者は、県保安課において調査中であるが、六日午後四時までに判明した数は死者が百五十一名、行方不明者百五十名で行方不明者の殆ど全部は荒れ狂う怒濤に呑まれ死の途をたどったものと推定される。これ等の犠牲者の多くは地震後に来た大津浪のために浚われたもので、その間早きも四十分間くらいの余裕はあったのであるが、明治二十九年の三陸大海嘯の時の経験や言伝いが殃いをなし押し寄せた大浪に呑まれたものが非常に多かった結果で、或いは十五浜村の如く海岸寄りに建てられた漁家の如く避難の暇なく、そのため県下を通じ老幼婦女子の犠牲者が多かった、各村中本吉郡歌津村が最も多く四十一名の死者と四十三名の行方不明者を出し、大原村の死者三十二名、行方不明者二十七名、唐桑村死者二十九名、行方不明者二十七名、桃生郡十五浜村死者二十七名、行方不明者四十一名、本吉郡小泉村九名、行方不明者七名、本吉郡十三浜村死者七名、行方不明者四名となっている。
宮城県下 死者、行方不明者 唐桑村の被害予想以上 六日午後四時まで判明の分
宮城県下の六日午後四時までに判明者は左の通り。
行方不明
△本吉郡 唐桑村馬場、吉田勝造(四二)吉田やいの(三八)吉田保夫(七)吉田まつ(一○)同村只越、我妻長松(七)我妻かつえ(二八)我妻きく(二三)我妻のぶ子(八)我妻ふで子我妻静香(一五)稿葉義冶(四四)稿葉登(七)■谷要七(六一)吉田りえの(八一)吉田りきえ(二五)吉田よし子(九)吉田和也(四)吉田卯之松(七九)吉田とりよ(二九)鈴木とめ(五○)鈴木平治(八○)
負傷者
△本吉郡 唐桑村只越、伊藤清治(四九)吉田敬吉(三○)吉田松吉(二五)吉田敬一(九ツ)村山留冶(二五)吉田丑五郎(五一)
△桃生郡 十五浜村船越荒、高橋たかよ(二つ)高橋うめの(五八)高橋富之助(六四)高橋重五郎(六八)高橋たけこ(二五)高橋たり(八四)高橋ふみ子(一七)高橋みよし(二○)高橋善治(二九)高橋きん(五三)高橋亀吉(五四)高橋吉次(二四)高橋盛(三二)高橋幸治(九ツ)高橋清治郎(四三)高橋廉太郎(一五)
死亡者
△本吉郡 唐桑村石浜、小野寺峻(一九)小野寺幸(一三)小野寺とり(二○)小野寺てる子(一四)小野寺義夫(六ツ)小野寺泰治(四ツ)小野寺みえな(二ツ)同村小鯖三上高(五ツ)小山清(四一)工藤はるみ(二九)工藤すず子(二ツ)千葉興四郎(九ツ)千葉四郎(七ツ)同村只越橋葉りか(三八)我妻かしく(六○)我妻長一(三四)吉田くら(六○)吉田義春(七ツ)吉田つえ子(三ツ)■谷ため(六一)吉田はしめ(五○)
六日午後一時までに判明した宮城県下の震災海嘯による死傷行方不明者は左のとおりである。
死亡者
△本吉郡 歌津村田ノ浦 梶原しのぶ(四七)梶原よしき(二九)梶原元之助(一○)梶原広(五ツ)梶原義勝(二ツ)阿部長治(三九)梶原松太郎(六二)梶原こえの(五二)梶原ふみ子(二五)三浦栄四郎(五七)千葉はつの(三四)千葉徳三郎(四ツ)千葉みつ(八ツ)梶原奥松(七○)岡本周一(五ツ)粕谷くら(六二)梶原良次郎(四ツ)千葉捨左衛門、三浦伝吉(一八)梶原つめ(五六)阿部とり(二ツ) 同村名足 阿部こま(六九)三浦年松(七九)三浦せつ(四ツ)三浦■冶(二ツ)小野寺富治(六二) 同村馬場 今野道之助(三四) 同村中山 阿部三左エ門(七五)及川しん(一三)及川のえ(八ツ)及川末治郎(一○) 同村馬場 三浦久之助(一○)及川としの(六○)及川ひさこ(四ツ) 同村名足高橋節雄(一一)高橋寅之助(四ツ)三浦きし(一三)高橋ちとせ(三八)同村石浜阿部松太郎(三三)阿部たきの(三九)外に仙台生れと称する住所氏名不明の男(四二)位。
行方不明者
△本吉郡 歌津村田ノ浦、梶原喜三郎(一九)三浦菊市(二五)梶原勇四郎(五四)梶原己一(一八)梶原甚助(一○)梶原ふみ子(七ツ)梶原あき(三九)梶原としこ(五ツ)三浦鶴五郎(三四)同村石浜阿部とめ(二九)阿部平太郎(七ツ)阿部万太郎(二五)阿部ふじの(三三)阿部うた子(一五)阿部四郎(一○)阿部幸太郎(七ツ)阿部栄喜(五ツ)阿部てる子(三ツ)阿部うめ(六一)高橋幸太郎(五六)高橋ろく(四八)高橋かない(七ツ)同村中山阿部久蔵(六一)阿部長二郎(八四)阿部定雄(四ツ)阿部はつの(二ツ)阿部りき(五三)阿部武志(一二)同村馬場阿部勇助(四八)阿部かのえ(四八)阿部啓憲(一一)千葉あさの(五○)千葉としを(二九)千葉成徳(七ツ)千葉徳志(二ツ)阿部なつ(二一)及川まつの(四七)三浦興六(六二)三浦つめ(六二)三浦よしの(一六)三浦はるこ(六ツ)三浦わゆ(六二)
負傷者
△本吉郡 歌津村田ノ浦、高橋四郎太(四二)梶原一次郎(三三)梶原春吉(二一)梶原きくえ(二五)佐藤みよし(三四)千葉捨次郎(三三)千葉はま(一○)千葉みつえ(二五)三浦ふくえ(四九)同村名足梶原勇三郎(六二)最知重五郎(五一)三浦庄次郎(三八)同村中山三浦ことじ(三六)三浦さかえ(一四)阿部つめの(■六)阿部長太郎(三六)阿部つるえ(三四)千葉勘左エ門(三四)千葉庄七(二○)千葉久之助(五六)
大金侍従一行 雄勝に向う 貞山丸女川よし出動
災害地慰問のため災害地に第一歩を踏み牡鹿郡大原村谷川、鮫の浦等を視察■五日夜石巻町千葉甚旅館に一泊せる大金侍従一行は、六日午前七時自動車で石巻を出発、桃生郡十五浜村雄勝に向った。また石巻署貞山丸は八巻署長以下女川連から雄勝一帯を警戒旁々内務属一行を雄勝に便乗の任に当った
雄勝浜から 歌津へ 侍従一行視察
大金侍従の視察第二日六日午前七時石巻千葉甚旅館出発、県下随一の被害地桃生郡十五浜村へ自動車を飛ばす、夜間の寒さに前日のぬかるみも凍りついて雄勝峠を難なく越え、八時半雄勝部落に着いた成沢村長、鈴木飯野川警察署長途等の出迎えを受け荒れ果てた同村役場において該被害状況を聴取し、次いで村長の案内で焼野原のような被害地を一巡し小学校の被害状況を調査し再び自動車で雄勝峠を越え、飯野川に出て正午過ぎに志津川町に着同町の有力者佐藤弥代二氏宅で午餐を摂った。午後一時発歌津方面に向った。
なお此日本吉郡管内戸倉、横山志津川の各町村では小学校生徒その他約七百が路上に整列して侍従一行を迎えた。
大金侍従に 詳細報告 震災地調査の 国富技師より
中央気象台国富技師は野口石巻測候所長等と共に災害地を視察し一両日中に石巻に立ち寄る予定であるが、国富技師は六日夕刻本吉郡気仙沼町で大金侍従に対し今回の地震と災害に関する■切の調査を報告し唐桑村で地震に関する一場の講演をなした。
罹災地へ蒲団
愛国婦人会宮城支部では昨報の如く六日正午から、事務所に支部長三辺知事夫人、副支部長多門師団長夫人、二見内務部長夫人外役員会員、東北職業生徒、朴沢女学校生徒、長町女子青年団有志等約百名参集罹災地に送るべき蒲団約一千枚の作製にあたった(写真(上)知事夫人、師団長夫人らの蒲団作り(下)女学生も出動)
惨たる気仙郡地方 死者実に九百三十五名 家屋、船舶の週質また算なし 被害は予想以上【盛税務署調査】
三陸地方の災害状況は交通、逓信機関不便のため未だ不明の分少なくないが、六日朝岩手盛町税務署長坂忠氏より直接本社宛の電報に依れば、同署で踏差の結果気仙郡下の流失倒潰家屋は千三百戸死亡者九百三十五人、その他船の流失破損数百に達すること判明した
酸鼻を極める唐丹村 死者、行方不明四百卅名 流失、倒潰家屋は二百六十余戸
岩手県気仙郡盛税務署調査によれば同県唐丹村の被害は盛町に次ぐ甚大なもので六日正午までに判明せる死亡並に行方不明四百三十余名に上り、流失倒潰家屋は実に二百六十六石に上っている、なお同署では船の流失破損を調査中である。
現役軍人 家族の被害 仙台分隊調査
仙台憲兵分隊では今回の三陸地方震災につき現役軍人家族の被害状況調査中であったが、六日午前八時までの分十七名あり同隊ではこれが判明と同時に各被害者所属町村に電話又は電報をもって進報しつつあり、関係当局と連■をとり救護並に慰問につとめている、被害者遺家族軍人左の如し。
◇牡鹿郡大原村字谷川浜字一ノ谷二二ノ一野砲二十等兵渥美寛父死亡母危篤家族中生者妹二人弟一人のみ◇同郡大原村字谷川浜歩三一上等兵好光冶三郎父行衛不明甥死亡す◇同郡大原村谷川浜三一ノ一横須賀海兵団四水木村慶三郎住家に浸水家財道具全部流失◇本吉郡唐桑村字小鯖歩四二等兵伊藤熊八住家流失◇桃生郡十五浜村大字船越同一等兵高橋■冶一家全滅◇本吉郡唐桑村大字唐桑小長浜同二等兵鈴木民松被害あるも程度不明◇同郡鹿折村字三ノ浜同二年兵小松国雄自宅被害なし親戚四名死亡◇同郡歌津村泊浜同一等兵阿部■之進自宅被害なし叔父死亡◇同郡同同二等兵鎌田菊郎家屋流失◇同郡十三浜村同二等兵小笠原松男被害大なるが如きも詳細判明せず◇本吉郡唐桑村歩四二等兵吉川稲次郎家屋流失◇桃生郡十五浜村雄勝字小淵一二同一等兵高橋三男家屋流失◇本吉郡唐桑村大字唐桑乙六五同一等兵岡田留之進兄死亡◇同郡歌津村歌津騎二軍曹及川俊亮被害大なるが如きも詳細判明せず◇同郡十三浜村字相川六三歩四一等兵阿部清次郎不住家一棟流失一棟半潰住家浸水◇同郡十三浜村小潰二○同上等兵阿部宇佐美不住家三棟流失一棟半潰船二流失住家浸水家財道具流失◇同郡十三浜村相川五八軍艦金剛三水中島三内家屋流失
罹災した戦死 者遺家族調査
陸軍省では今次震災に遭った現役将兵、派遣兵家族及び戦死者遺族等に対しては深甚の同情を寄せその慰問救恤には最善の措置をとる意向あり、既報の如く陸軍軍事調査委員会長谷寿夫少尉は特に荒木陸相の意を受け井出少佐、大久保大尉を随行五日夜仙台を通過被害地方に向い、状況視察中であるが、第二師団当局でも連隊区司令部、憲兵隊等に命じ、前記遺家族の被害状況の調査を急いでいる。
払下米分配 きょう石巻と気 仙沼に到着
罹災民に配分すべき政府の払下米は気仙沼には七日午前八時十分、石巻には同七時五十分着、係員の手で即時被害町村に分配送することとなった。町村ではこれを送付された役場、学校、寺院等で、各被害者に分配する。なお必要量のあまりに少量の町村に対しては現金を持って支給する。
労力奉仕団体 汽車輸送無料
仙台鉄道局では今般震災害地に向け労力奉仕希望の団体(十名以上)に対し県市町長等の証明あるものに限り災害地へ無賃輸送方針を計画一両日中に発表を見る筈である
海の上を流るる 三戸の家屋を発見 中に一個の屍体も見当らず 軍艦沼風の捜査空し
牡鹿半島沿岸に救護のため警戒中の駆逐艦沼風に対し大原村鮫ノ浦部落民より流失家屋五戸の中に死体があるかも知れぬから捜索方を願いたいと依頼があったので同艦は金華山近海を探索したところ金華山沖五浬の海上で家屋三戸が漂流しているのを発見直ちにボートで右家屋を破壊し屋内を捜索したが、死体は見当たらなかった旨鮫の浦部落民に対し通知されたい旨同艦長より五日午後四時半石巻署に通達されたので直ちにその旨石巻署から部落に通知した。
塩の流失 八百五十俵 煙草の損害一万八千三百余円 釜石、盛両地被害最も甚し 小売人の死亡四名
仙台地方専売局では三陸震災と同時に大曽根副参事を現地に急行せしめ塩並に煙草の販売、被害状況を調査せしめていたが六日までに判明した報告によれば宮古の塩取引所に貯蔵中の塩二十万サロが浸水したため約一万円の損害を受けている外宮古、岩泉の煙草小売人四名が死亡している、なお流失倒潰その他の被害者は
販売所 煙草小売人 塩小売人
石巻 二○ 一○
志津川 六 |
気仙沼 六 三
高田 八 五
盛 五二 一五
釜石 五○ 二五
宮古 二九 二○
久慈 三 一
八戸 四 四
岩泉 五 二
以上で三陸一帯にわたり流失した塩は八百五十俵、煙草一万八千三百円と算定されているがこれ等に対しては逐次新品と引かえの用意があり岩手県唐丹村、田老方面の損傷著しき方面に対しては附近小売人の出売を許可適宜の処置を執らしめている。なお被害小売商人の仮移転に対しては直ちに現地営業を許可する方針で復興の途上にあるバラックにおいて営業を行うものが多い。
食糧の外に 防寒、炊事用具を 宮城県当局配給に苦心
今回の災害について各方面から多大の同情を寄せられているが、気仙沼警察署から県保安課への報告に依ると、僅かにバケツ、杓子等が寄贈されたのみなので町当局と協力し同情の喚起に躍起となり県に具申して来た有様なので、県では慰問品の急速配給に努力し、五日には各罹災地に夜具二百組、メリヤスシャツ二千枚、ズボン一千七百枚、毛シャツ七百枚、タオル四千本を送附し、更に各警察署からの罹災者救護状況報告に基き最善の策を講ずることとなった。各罹災地では食糧には不足しないが防寒具、炊事用具等に不足を生じているようである。
三陸沿岸罹災者 義捐金品募集
三月三日突如として三陸沿岸を襲える震災は其の被害殊の外甚大にして県下の罹災者の状況洵に悲惨を極め同情に堪えざるものあり■に関係者相謀り罹災者救恤のため左記に依り広く江湖の同情に愬え義捐金を募集することとせり希くは事情御諒祭の上御拠出あらんことを
記
一、応募金額は可成意図口五十銭以上たること但し団体は一団体を以て一口とすること
二、物品は可成大口に取纏め予め県社会課に御相談のこと
三、受付場所は県庁市役所、町村役場とす
四、義捐金品の受領に付いては新聞紙に掲載し領収証に代うること
五、募集締切期限は三月三十一日とす
六、義捐金の配分は主催者に一任のこと
昭和八年三月四日
主催者記
宮城県知事
仙台市長
宮城県会議長
宮城県町村会長
河北新報社長
在仙日刊新聞社長
在仙東京福島新聞支局長
余震つづく 但、心配はない 石巻測候所観測
石巻測候所の観測によれば昨今引続き微弱ながらも余震が一日五、六回づつあるが、五日は約十回に亘って余震があり、五日午後一次まで引続き百六十二回に達している、その中人体に感ずるのもあったが、多くは人体に感ぜず、地震計にのみ記録されている、なお数日は一日四、五回乃至十回位の地震があるだろうが心配するまでの地震はあるまいと。
余震があって幸 若しなかったら却って不安 石巻測候所川添技師談
三日の強震後余震多く直後には二十五、六回あり昨今はなお五、六回づつ石巻測候所の地震計に感じているが、五日午後から六日午後一時まで一昼夜に九回余震があった強震に怯えた地方民は恐怖に駆られているが右につき同測候観測所川添技師は左の如く発表した
余震の多い三日四日ごろは一日二十六回も記録したが引き続き余震があり昨今はズッと減っている、大地震後余震の多いことは人心に恐怖を興えているが然し地震学上からいえば大地震によって乱された地盤が安定に帰っていることを示すもので却って静止状態にあるかまたは余震がたまにしか無いという時は最も警戒せねばならぬこととなっている、主震の何十分の一にしか当らない余震は右によって却って安心してよい訳である。
東北帝大病院 第二回救護班 震災地へ
東北帝大病院では三陸大震津浪に第一回救護班が即日現場へ急行したが更に第二回の救護班が内科、外科、婦人科の各医局員、看護婦に依って組織され自動車九台に分乗、医療品、食糧品その他の救済品を満載し五日午前九時大学病院を出発、志津川、釜石、宮古の三方面へ急行した。
中、小学生から 義捐金募集 学童は三銭か五銭 中学生は五銭か十銭
宮城県教育会では県内の小学校及び中等学校児童生徒等が、罹災地への義捐金品募集に当ることになったが、金は小学校児童一人三銭乃至五銭、中等学校生徒五銭乃至十銭とし、品物は教科書及び雑記帳で、教科書は各学年各種一冊とし、以上締切は来る二十五日。なお前記義捐金の募集は時日を要し救済金交附は至急を要するので、教育会では取敢えず三千五百円を借入れ、本吉方面は香川視学、牡鹿方面は山本教育会主事が七日これを携えて出発、十二日までに罹災児童一人につき三円、負傷、死亡等の場合は五円位を贈る事になった。
救援美談 費用一切自弁で 罹災者に家屋提供 同勢三十余名向う鉢巻で出発 佐沼町同業者の任侠
登米郡佐沼町佐沼建築手組合員三十余名は六日朝九時羽黒神社前に勢揃いし、罹災民救援のため向う鉢巻紺の抹被姿も凛々しく本吉郡唐桑村の罹災地を目指しトラックで勇ましく建築救援壮途に向った。総指揮官は組合長の佐々木利八郎氏で、何れも握り飯に■味噌、軍用金携帯で向う十日間の予定で罹災民に家を造ってやるという。一行は大工職、左官、石工、鍛冶工、屋根職鳶職等何れも建築関係業者で正真正銘の建築救援隊である。罹災地後は数名ずつ部落に配置して復興資材なき人々のめたに昼夜兼行で家屋を建ててやるというが恐らくこれ任侠的建築救援隊の乗り込みは罹災民から多大の感謝をうけるだろう。
大原村二部落 死亡者五十九名
行方不明者三十二名
大金侍従の慰問派遣に天恩の深きに感泣した牡鹿郡大原村字谷川、鮫の浦の各部落民は悲しみと嘆きの中にも有難き聖慮の程を拝しては溢れ出る感激の涙にひたったことである、安藤助役は
村人が歩行にも困る悪路を、波浪遠くへだて交通全く恵まれない一寒部落に陛下の御使を恭うすることは開■以来のことでただ感激の涙に暮れることです、
と深く感動していた、二部落の現在の調査で行方不明のものは
鮫の浦字細田二四阿部忠吉(六七)長男の妻とくよ(二六)二男喜一(二七)二女きよみ(二四)三女とき子(一七)長男武男(七ツ)二男三千雄(三ツ)の一家七人が無残の死を遂げている、鮫の浦一一伊藤善太郎方妻つぎ(四五)養子の妻ふよ(二一)細田二六伊藤つや子(二二)伊藤兼吉方伊藤さつ(五六)長男丑蔵(九ツ)二男重治(七ツ)三男寅雄(五ツ)鮫の浦細田五九阿部庄八方妻しめ(六八)長男貞雄(二九)同人妻とよ(二三)長女よしえ(二五)同夫留冶(二八)貞雄二女ふみ(五ツ)三女すずえ(二ツ)留冶長義男富(二ツ)同五六良蔵方妻阿部りえ(六一)長男妻ひさ(四○)雇人菊地幸一(二六)来訪者阿部栄治(六○)同細田四○三余敬之助方阿部せい(六二)谷川浜一六良助長女三浦もり子(一五)同脇入三○阿部とみ(四五)とみ甥阿部一郎(八ツ)同吉光万蔵(六四)中井道甚弥妻渥美さく(五八)
等で各部落では其後連日底曳で死体を捜索して居り毎日のように発見している、負傷後死亡及び死亡等を合せると両部落で五十九名である。
娘一人を残して 一家は全滅 跡方もなき歌津村 県吏員の視察談
宮城県下の罹災町村中被害最も甚だしい本吉郡歌津村の罹災状況視察に出張した県吏員は五日夜帰来したが、その談によれば、
同村字馬場は死亡者十一名、行衛不明者二十一名、負傷者十名石浜は死亡者二名、行衛不明十名、負傷者四八名、田浦は死亡者二十名、行衛不明者九名、負傷者十六名、港は死亡者三名、行方不明者二名、負傷者一名、名足は行衛不明者一名、負傷者一名で最も悲惨なのは一家八名全滅したもので嫁一人を残し一家七名が死亡した。同村に全壊家屋百三十三戸、半壊十二戸浸水家屋五十戸である。負傷者中目下医者の手当を受けている者二十名、バラックを建てて居住しているもの七十六名通学児童中救護を要するもの八十名、学用品の支給を要するもの五十名罹災民中被服を給興したもの三百二名食糧を給興したもの百九十三名である。
第二師団の救護班 高田へ移動 鈴木軍医らの行動機敏
第二師団派遣、鈴木軍医以下の第二救護班は三日以来気仙沼地方に出動、罹災者の救護に不眠不休の活動を続けているが、五日より岩手県高田町方面に移動し、救護につとめている。同地方は第八師団内に属するが、僻遠のため八師団の救護班が到着しないので、被害の甚大だった同地の罹災民の救護班の到着を待っていたが、鈴木軍医以下の第二師団救護班が非常の場合、管轄、権限等の問題を顧慮せず、機敏なる行動によって救護に赴いたので、高田町地方の人々に感謝されている。
義捐金募集 仙台署市内自警 団幹部と協議
仙台警察署では仙台市内各自警団幹部と協議の上罹災地への義捐金を募集することとなり、六日から各自警団において活動中である。
トラックで実費 で提供申出
宮城県自動車協会では罹災地への食糧其の他の輸送に使用のトラックが不足なことを知り六日岩崎、清水、加藤三氏が県保安課に出頭実費提供を申出たが出発に際しては県土木課から砂利の供給を受けこれを罹災地に運搬、破損した道路の応急修理に便する事となった。
東北帝大に 県から謝意
東北帝大総長は三陸地方震災と同時に惨害各地に向け見舞の電報を発し引続いて第一回第二回の救護班を各地に急行せしめるところあったに対し三辺本県知事は六日正午頃代理に清水谷学務部長をして本多総長を訪問の上厚意を謝するところがあった。