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本社慰問第二班  三陸被害地に向う   トラックに必需品を満載して    引続き第三班を組織

三陸災害地は早くも復興を目ざして雄々しく活動を開始し、各地よりの慰問金品もまた多数災害地に向け送られつつあるが、如何せん、鉄道より遠く離れたる交通不便の地とて救護の進行思うにまかせざる実状に鑑み本社では慰問第二班を組織し、五日夕刻トラックに現品を満載現場に直行した。本社慰問第二班は災害即日出発した慰問第一班の経験により災害に於て最も必要なる品のみを選定したが、即ち
 白米二升入袋   二百袋
 手拭       八百本 
 福神漬缶詰    三百個
 バケツ      二百個
 メリヤス・シャツ 百五十六枚
 足袋大小     五千足
 メンソレータム  百五十箱
 風呂敷      五十枚
 歯みがき及ブラシ 一梱
 用箋       三百冊
右足袋五千足中には市内新伝馬丁馬淵商店よりの大量的寄贈もあるが右の外鉛筆、衣類、毛糸シャツ、同ヂャケッ、マント若干、奈良漬二十貫目樽一個である。本第二班は一路女川に向い同所より海岸伝いに北上するはずであるが、引続き第三班を組織出発せしめる予定である。尚一般義捐金品は社告の如く県市その他及び本社の共同主催で募集中であるからどしどし御寄贈願いたい。

義捐金寄託

▲三陸災害地罹災者に対し仙台東華婦人講より十円、宮城郡高砂村中野宿在家高砂青年振興会より三円五十銭の義捐金寄贈方を四日本社に託されたので市社会課に送り届けた
▲市内東一谷井呉服店ではメリヤス、長じゅばん、ショール羅紗マント其他で十五点
▲同名掛町岩崎呉服店では風呂敷五十枚、中の町ほまれ屋染工場では手拭百五十本
▲国分町本田食料品店より奈良漬二十貫目入一樽
▲仙台駅前高島■店からは衣類十枚シャツ六枚新伝馬町馬淵儀助商店からは足袋五千足
▲東一番丁大原呉服店からは手拭三百本を本社を通じて震災地へ寄贈して来た。

仙台市社会課から慰問品  昨日唐桑歌津方面に出発

仙台市社会課では四日仙台市東一番丁、東二番丁納税組合その他より衣類数百点、佐々重商店より味噌五十樽、森永製菓仙台支店よりキャラメル五千箱を震災地の罹災民に慰問品として受理し五日社会課長は吏員を同伴右慰問品をトラックに積載し本吉郡唐桑村歌津村方面に向け出発した。

本社撮影の  写真供覧   大金侍従に昨日県庁にて

大金侍従は、五日午前九時より宮城県県正庁において三辺知事より県下災害状況の報告を受けられたが、その際本社写真班撮影にかかる災害状況の写真十枚葉を供覧した。

函館市からも多量の食糧  神龍丸四日来航

三陸沿岸の震災に対し北海道函館市から多大の同情を寄せられ、四日午後九時三十分神龍丸に白米二百俵、味噌五十樽、漬物四十五樽を積載出帆、宮古、釜石、塩釜三港に来港配給する。

義捐金募集  全国商工会議所に援助懇請か

仙台商工会議所では三陸方面に対する義捐金募集に関し今六日三浦佐藤両副会頭と協議の上、全国の商工会議所に対し援助方を懇請することになる模様である。

荷車リヤカーで慰問品集め  覚醒会員奔走

覚醒会の大槻、高須、柳、浅野、小幡、芳賀、鹿野、林各理事は逓信局、貯金支局等に奉職しているが震災地の惨状を見るに忍びず同情者の温かい衣類その他の物品を蒐集すべく四日夜仙台署に届け出で、五日から公務の余暇を利用し荷車リヤカーを挽き各方面に出動した。
又、原町青年向志会では市内大町五丁目藤崎前に同情樽を置き幹部出動して大衆に呼びかけ喜捨金を募ることとし五日仙台署に届出でた。

三陸沿岸罹災者  義捐金品募集

三月三日突如として三陸沿岸を襲える震災は其の被害殊の外甚大にして県下の罹災者の状況洵に悲惨を極め同情に堪えざるものあり■に関係者相謀り罹災者救恤のための左記に依り広く江湖の同情に愬え義捐金を募集することとせり希くは事情御諒察の上御拠出あらんことを

一、応募金額は可成一口五十銭以上たること但し団体は一団体を以て一口とすること
二、物品は可成大口に取纏め予め県社会課に御相談のこと
三、受付場所は県庁市役所、町村役場とす
四、義捐金品の受領に付ては新聞紙に掲載し領収証に代うること
五、募集締切期限は三月三十日とす
六、義捐金の配分は主催者に一任のこと
昭和八年三月四日
主催者記
宮城県知事
仙台市長
宮城県会議長
宮城県町村長会長
河北新報社長
在仙日刊新聞社長
在仙東京福島新聞支局長

三陸の災害地民  復興の意気に燃ゆ   不況に喘ぐ者に暴威の痛手    真の復興容易ならず

限りなき悲惨の境地に突き落された三陸沿岸津浪被害地の一帯は悲嘆の底から湧き出して復興へ−の善後方針を樹て畏き大御心に対する感激と、全国よりの慰問救恤に力を得て敢然雄々しくも起つ事になった、災害の取片付け、バラックの建設、漁業漁具の設備、生業資金の貸付等々具体的方針の下にそれぞれ実施に着手されたが、被害の激甚地の復興は、否震災直前程度の建直しまでには二十ヶ年を要してもなお容易に望み得まいと、復興の意気の影には一抹のさびしさが■い得ない実情にある
 漁村の窮状と復興の関係は、被害直前の■情にあるが、最も憂慮されるのは、数年この方、高まって来た不況と今回の被害による二十の窮迫程度にある
而して各沿岸地方は被害前、逼迫せる有利な条件の下に魚肥(魚粕)の製造に努力した、それは昨秋来の鰮豊漁と労働賃銀の低下、更に硫安高による魚肥の好況、これによって窮迫せる経済の緩和と将来への施設を希望し多少の無理を伴う資本の融通を求めて、各浜共魚肥製造に努力をなし、殆ど成果期であったその大部分、大量の魚肥、魚粕は完全に無価値に終わったのみか、災害を倍加せしめる結果となった、災害なき石巻地方、其の他において、早くも肥料上向きを呼ばれて来た事実から見ても重要視すべき問題とされ被害地沿岸町村の復興は相当額の無理し長期の個人貸付でもなき限り、真の復興は容易に望み得ない問題とされている。

罹災者救助金前渡  宮城県の応急策決定

宮城県では左の基準により、罹災救助基金より罹災者に対する前渡をなすことに決定した
一、食料は十五歳未満六十五歳以上に対して米男四合六勺女二合宛
二、埋葬費は死体一個につき金七円以内
三、被服費は一戸四円五十銭
四、就学児童の学用品は実費支給
五、傷病者の治療費一日一人金三十銭
六、労働者に対しては就業準備金として四円五十銭以内。
慰問品の山(上)本社第二回慰問半の災害地に持って行く慰問品の山(下)はトラックに積み込むところ−昨日−

祖先の地を棄て  安易地に移住   桃生郡十五浜村雄勝村民らの協議    復興に、痛ましき事情

桃生郡十五浜村は死亡、行方不明負傷、流失、倒壊、何れの点においても悲しむべき宮城県下の第一位である、村当局は善後対策と復興の計画に全力を挙げているが、倒壊、流失三百余戸の戸口調査のみでも時月を要し、被害程度も正確ないず、単に応急処置のみでも容易でない、いはんや被害各戸の復興方針の如き前途遠く、同村荒部落の如き葉、被害なき残存の有力者等は、前後二回の死の脅威から祖先伝来の地を見限り、安住の地を求めて生業を転向せんとする協議すら進められている程で、前途■る不安な状況に置かれ、雄勝部落の人々は二十ヶ年後には被害前程度に復興出来るだろうか、と被害程度から打算した復興計画の実際を洩らしている。

夜具三千組  宮城県から罹災地へ救恤品

宮城県では五日愛国婦人会宮城支部に依頼して夜具三千組を至急調整し、災害地に送ることになったが、この外さらにメリヤスシャツ二千枚、ヅボン千七百枚毛糸チョッキ八百五十枚、タオル手拭四千本を購入し各町村に分配発送した

知事視察  十五浜方面へ

牡鹿半島の災害によって各方面からの名士が来往しているが四日三辺知事は八巻石巻署長の案内で半島方面に災炭地を視察十五浜方面に向った、代議士佐藤興一、大島寅吉、上野基三、金井正夫の各氏も四日午後十一時半ごろ石巻町から半島方面に自転車で向ったまま仙台税務監督局鈴木鑑定部長も同様視察した。

宮城県の死者七十五名  行方不明六十九名   負傷者二十二名の氏名    昨日午後四時まで判明の分

五日午後四時まで判明した宮城県下の震災海嘯による死傷行方不明者は左のとおり。
行方不明者
△牡鹿郡 大原村谷川三浦もり子(一五)阿部とみ(四五)阿部一郎(一一)吉光万蔵(六九)渥美さく(五八)阿部忠吉(六八)阿部とくよ(二六)阿部喜一(二七)阿部きよみ(二四)阿部とき子(一七)阿部武夫(七ツ)阿部三千雄(三ッ)伊藤つき(四五)伊藤ちよ(二一)伊藤ちや子(二二)伊藤さつ(五六)伊藤並蔵(九ツ)伊藤重治(七ツ)伊藤次雄(五ツ)阿部せい(六二)阿部しね(六八)阿部貞雄(二九)阿部とよ(二三)阿部よしえ(二五)阿部留治(二八)阿部ふみ(五ツ)阿部すずえ(二ツ)阿部美輪(六一)阿部りえ(六一)阿部しさ(四○)菊地幸一(二六)阿部栄治(六○)(三十三名)
△桃生郡 十五浜村、福島とく(七一)福島良治(九ツ)福島■郎太(三ツ)福島せよ(五六)福島とよの(七ツ)福島繁(三ツ)高橋五郎(六ツ)高橋とみえ(三六)高橋藤助(三ツ)高橋たつ子(九ツ)高橋正吉(六四)高橋ゆき(五九)杉山政芳(一九)■藤のぶ(四ツ)(十五名)
△本吉郡 小泉村二十二浜佐藤足之進(四ツ)里館賢蔵(六九)中館とめ(五四)中館賢之助(二四)及川茂七(六四)小野寺新治郎、布野長四郎、佐藤もとの(二七)佐藤定雄(六ツ)
十三浜村小指、阿部きく(一九)阿部たけこ(四ツ)阿部重■郎(八ツ)遠藤たつ(五七)遠藤昇、阿部まつの(四六)
唐桑村、伊藤謙蔵、伊藤正雄、伊藤万吉、小山善雄、工藤すめ千葉忠雄(二十一名)合計六十九名
死亡者
△本吉郡 小泉村、佐藤定吉(三三)佐藤しめ(五六)佐藤のり(一ツ)中館よし子(一九)中館とも子(七ツ)小野寺はな子(二五)小野寺さとえ(二三)布野広(一二)
唐桑村、鈴木留蔵、千葉良平、千葉庄助、津野尾はるみ、佐藤すずえ、鳥羽己代作、小山千代志、伊藤のし、伊藤庄助、高橋栄之進
大原村、阿部ふよ(四二)阿部よし子(四ツ)阿部みさ(五六)伊藤寅治(七ツ)伊藤ゆき(七四)上杉明(八ツ)伊藤ふじ(五五)伊藤寅松(七八)伊藤強信(三ツ)
十三浜村、遠藤善之助(六五)佐々木甚助(五六)遠藤徳之助(六九)阿部■男(九ツ)小野寺みちえ、小野寺隆、小野寺幸一、小野寺とめ、小野寺良夫、小野寺なつ子、小野寺太一、小野寺みえ子、吉田勝蔵、吉田やえの、吉田安雄、吉田なつ、工藤はる吉田せつ、吉田まつ、伊藤八千代
戸倉村、遠藤あや子
階上村、佐藤いな(四十九名)
△牡鹿郡 鮎川村鈴木伊三郎(一名)
△桃生郡 十五浜村、鈴木きよの(六二)鈴木とめ子(五五)鈴木たま(三○)鈴木とみ子(二五)鈴木みえ子(二五)鈴木けえ子(七)鈴木とき子(四)鈴木勉(二)高橋しん(四二)福島せの(三三)高橋しづか(六)高橋達(五)高橋東(一○)福島長平(六一)福島とめ子(二二)福島たつ(四○)高橋けつ(四八)高橋みね子(二二)高橋■雄(二九)高橋よしみ(一六)高橋保(一五)高橋正之助(六三)高橋まつえ(一二)高橋ふみ子(四)高橋忠一(六)(廿一名=合計七十五名)
負傷者
△亘理郡 坂本村、星久治(四二)星つるよ(六九)大和なつよ(四八)飯塚まさよ(三二)飯塚とみ子(一四)大和はるの(一六)大和きくえ(三ツ)七名
△本吉郡 小泉村 佐藤もり子佐藤きみ子、小野寺喜内、日野久四郎、日野まつ子、日野はつ中館まつの、小野寺健次郎
十三浜村 阿部とくよ(二四)阿部とよ子(八ツ)阿部新之丞(阿部新之丞(二八)十二名
△桃生郡 十五浜村 菊地正志(三一)永沼たま(五三)今野博(二五)三名=合計二十二名

タオル毛布  愛婦本部で急送   岩手県へ二千円

愛国婦人会では三陸沿岸震災地に対し取あえず岩手県支部に金二千円を電送しタオル一万枚、毛布五百枚を岩手、宮城両支部宛送附した、なお罹災地を除く全国各府県支部に対して救済金の送附方を伝達するとともに罹災地出身軍人留守家族並に遺族救済につき考慮中である。

日蓮宗活躍

日蓮宗宗務院では今回の三陸沿岸地方大災害に際し災害特派慰問使として岸本随仁師外二名を派遣取敢ず慰問義捐金として本日宮城県に百円、岩手県に百五十円の寄附を申し出で直ちに罹災者慰問のため被害地に赴いたが、同宗本部では全国の信徒より義捐金を募集して救済慰問の実を挙ぐべくその準備に着手した。