罹災三県知事に 御下賜金伝達さる あり難きご沙汰を拝して きょう、大金侍従謹話
大金侍従は五日午前九時宮城県庁着、直ちに四階正庁において、庁内各部課長、倉茂参謀参列の上、三辺宮城県知事、前田岩手内務部長、多久青森県知事に対し、それぞれ御下賜金を伝達。式は極めて荘重裡に約十五分を以て終了、それより知事応接間において、三県の被害状況及び倉茂参謀より師団の救護状況を聴取された、右終了後同侍従は謹んで語る。
つぶさに被害地の状況を視察せよとの御沙汰を拝しましたので、如何なる不便もしのび、幾日をついやしても詳細状況を視察すると共に、御気の毒な罹災者に対し優渥なる御■旨を御伝え致します。なお具体的なことは現地を視察後更らにあらためて申し上げたいと思います。視察の期間は大体十日くらいで、うち宮城県二日岩手四日、青森二日を予定しております、
同侍従は九時五十分県庁発、既報の日程で視察の途についた。
感激して三県代表謹話
御下賜金拝戴の後三辺宮城県知事、多久青森県知事、岩手県内務部長は感激して語る。
三辺宮城県知事
我至■至慈なる天皇陛下には今回震災の被害■ならざるを深く御軫念あらせられまして救恤■として特に内帑の資を下し賜い恵撫滋養の道を御示し給いましたことは洵に恐■措く所を知らぬ次第で御座います
この度三陸一帯の地に起りました、強震は実に近年稀に見る所のもので御座います、従いましてその被害は洵に甚大なるものがあったので御座います、殊に海波狂荒沿岸に時ならぬ海嘯を生じました為に多数の死傷者を出じたる外多くの行衛不明者を出し又家屋の倒壊、浸水、流失夥しく船舟の覆没、流失せるものも亦多きに上りましたことは真に遺憾禁ずることが出来ないばかりでなく誠に御気の毒に堪えない所で御座います。
されば何を措いても先ず以て罹災者の救護慰問に努め進んで復興の途を講じなさればならぬと存じまして事象勃発後時を移さず先ず巡回診療班の活動を促し或は職員を各地に急派して具にその実情を視察せしめ救護の徹底と復興の計画樹立に意を致したのであります又第二師団司令部及日本赤十字社宮城支部の好意によりまして各地に毛布の配布を行い或は本県水産試験場の試験船を罹災地沿岸に派して救護に遺憾なからむことを期し更に又県内に臨時災害善後委員会を組織して災害善後に関する事務を円滑機敏ならしめ他面広く江湖に罹災者の救援を愬うる等災害地付近町村民と共に罹災者の救護慰問に意を致し来ったのであります、然しながらこの事たる予想外の事でありますだけに周到緻密なる用意を以てしましても事功を挙ぐることは容易のことではないので御座います然るに只今は御下賜金拝戴するのを光栄に浴し又親敷侍従を当地方災禍の現場に御差遣相成りましたことは、聖恩の大なる只々感泣の外はないので御座いまして、恐■感激に堪えない次第で御座います。即ち此の聖恩に浴しましたる我等県民は這般の災厄に罹りたる者なると否とに拘らず苟くも生を本県に享けて居りまするものは真に感奮興起致しまして、匪躬の誠を致し同心協力、賑恤救護の目的を達成し進んで災害地復興の実を挙げ以て君恩の厚きに副い奉らんことを■う次第で御座います
前田岩手県内務部長
優渥なる御沙汰を拝しましたことを恐■に堪えません。本県の死傷者数は大体千四百六十人、家屋倒壊流失九千戸に達しています。件では罹災地に五つの救済本部を設けていますので私は午後一時六分発帰県し明日これ等本部代表者を集め、御下賜金を伝達し度いと思っています。
多久青森県知事
優渥なる御沙汰を拝しましたことを恐■に堪えません、私は今夜十時に青森につきまして、明日県庁で伝達指揮を行い度いと思います、被害の程度は他県に比して少いがそれでも死者三十一名に達しています、なお詳細は四日御内意を拝し、さらに調査中であります。御下賜金は出来るだけ広く伝達し度いと思っていますが、大体八戸市外七ヶ村となることと思います。
救恤品を積んで 軍艦「厳島」急航す きょう横須賀を発航
横須賀鎮守府では軍艦厳島に毛布六千五百枚服二万着シャツ一万枚缶詰五千缶ビスケット五千箱を積載し岩手、宮城両県罹災民救助のため五日午前派遣した
悲惨なる一家全滅 または二、三人づつ横死 大槌町の被害も甚大
岩手県上閉伊郡北端に位する人口一万有余の大槌町の地震津浪の状況は不明だったが同地警察署に就て調査したる結果左の如く判明した。
大槌町流失戸敷七十四戸倒潰家屋九十八戸半潰家屋十四戸死者十八名行方不明九名
安渡部落全潰家屋二十九戸倒潰家屋二十二戸半潰家屋十三戸戸死者十名行方不明十二名
吉里部落倒潰家屋二十二戸半潰家屋十三戸死者三名行方不名六名
なお大槌町においては惨死者の内海産物■上野角三(五八)の一家亀三郎(四三)清之丞(五二)いそ(四八)、虎二郎(二○)てる子(一六)しげ子(一つ)の七名が惨死を遂げ又安渡部落では漁師里館きよし、よし子、さめ子、かつ子、みよし、芳雄の六名が一家枕を並べて惨死し同地方の惨死者行方不明者は一人一人というのが殆どなく何れも一家に二人三人宛の犠牲者を出して此の当時大槌町の二大橋は何れも落橋流失交通が杜絶されている。
大金侍従 貞山丸で谷川 鮫の浦等視察
大金侍従は内務省社会局長官、警保局事務官その他と共に五日午前十一時四十分石巻着電車で到着、日和山迎陽閣で昼食をとられ午後一時自動車で日和山出発同二時二十分頃大原村着同地で石巻署水上署貞山丸で災害の最も甚しい谷川鮫の浦等を視察し午後四時二十分ころ大原発石巻到着の上千葉甚旅館に一泊六日は午前七時ころ自動車で石巻発十五浜村雄勝方面に向われる筈。
工兵隊出動 トラック二台に 分乗半島方面へ
第二師団の軍隊出動によって罹災地は力強さを感じてをるが五日は更に工兵隊がトラック二台で牡鹿郡石巻町に来り桃生郡十五浜雄勝方面と半島方面に向った。
慰問金一千円 可決 石巻町から米 日用品発送
石巻町では三日午後二時から召集の町会で牡鹿郡大原村谷川、鮫の浦等各地の津浪被害を始め本吉郡唐桑地方、桃生郡十五浜村等を中心に各海岸地方の災害罹災者に対し慰問金一千円を贈呈せんとの石母田町長の提案に対し、満場一致の可決、日用品、食料品等を買込み四日午後二時頃トラックに積み、先ず大原村地方米その他薪炭日用品等を夫々三台のトラックに分積して夫々罹災地へ向け出発した。
仮工事完成 雄勝郵便局の 通信復旧す
十五浜村雄勝郵便局の電信電話は海嘯被害で全部不通となり、去る三日は山下局長の気転で逸早く山上の安全地帯に電信電話臨時取扱所を開設して、一般民の便宜を■えたが、翌四日正午ごろまで、仮工事完成したので、完全に復活した、なお同浜駐在所警察電話も復活した。
九後浜義勇団 災害地へ向う
牡鹿郡石巻町九後浜義勇団は福田団長以下十余名が発動機船で五日午前十時石巻発牡鹿郡大原村谷川鮫の浦方面に向い災害地救護作業に従事する事になった。
対策を政府に 極力せまる 政、民両党から派遣の 代議士こもごも語る
被害地視察に出張した府民両党代表者中の大石代議士は左の如く語った。
稀有の被害を知った宮城県選出星、宮沢、村松、大石、岩手県選出の熊谷、志賀、広瀬、小野寺の八代議士は一日午後■携えて斉藤首相を官邸に訪問し窮状を訴えて懸念救護方を懇請、次いで山本内相を訪い同様救援を求めたが、内相は目下被害報告を蒐集■取中で、十分救護復興に当るべく具体案を練っているとの答えに接した、更に一行は後酪農相に会見し、取急ぎ政府米の供興方を懇請したが、結局代償延納の諒解を得て至■輸送の取極めをなし、本日石黒長官を訪問した次第である。政府米払下問題については本県はさきに代償延納中の分もあり、知事は年腑償還か、比較的長期に亘る支払方を希望しているが尤もである。なお吾々宮城岩手選出議員は、打続く災害による県民の困憊に鑑み、沖縄県に実施中の如き半永久的大規模な匡救対策を政府に迫ることを議決した次第である云々
永田、本田両代議士は
党を代表して被害地並関係者慰問旁々状況視察の目的でやって来だが、官民一体救護に力めていられることは全く感激にたえぬ。数日間親しく沿岸罹災町村を踏査して被害地方の人々の希望意見等も■取し直ちにこれを本部に報告し、党の救護復興対策を促し、政府に迫る手筈である。多分本事件は政務調査委員会の審議に附されることになろう。議会会期中に応急措置を政府に求めたいものである云々
写真説明 屍体を石油箱や籠や戸板に収容
【岩手県大槌町海竜山江岸寺にて】