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罹災者九千三百余名  再度の災禍にうめく   死傷一六三、行方不明二二七    宮城県下の惨害【四日朝現在調】

宮城県下の震災海嘯被害情報は目下県警察部において調査中であるが、四日朝まで判明したところによれば地震による直接の被害は少ないが地震後間もなく起った津波は本吉、桃生、牡鹿三郡沿岸各漁村を襲い、これにより家屋の流失四七四戸、倒壊二八三戸、浸水一五三七戸、船の流失一一四○艘、生命を失ったもの一三八名、負傷者二十五名、行方不明者二二七名で全部悲しい運命に逢着したものと見られている。これ等の地方は明治二十九年六月十五日(旧端午の節句)三陸大海嘯の惨害を被った土地で、三十八年後の三月三日(桃の節句)に再び災禍を受くるに至ったものである。罹災地は本県において最も交通通信の不便な地方で或は警察電話の架設なき牡鹿半島の如き公衆電話はあっても内海に止まり、外海に面する方面は両者ともになく十五浜、十三浜、歌津、唐桑の各村は駐在所があるが外海の半島部には通信機関がないばかりか■里間車馬も通せず、僅かに徒歩し得るところ漁家連携するという有様で、而も今回の災害の多くは不幸にもこれ等の土地に激震であったので罹災戸数一千六百十九戸、その人員九千三百五人の多さに達し損害またまた莫大である。

屋根に突き抜けそのまま押流される  家族七名を失った鈴木求氏の悲哀   見る影もない十五浜村

桃生郡十五浜村の大津浪は明治二十九年の海嘯に比較し水高六尺も高く、全村海岸部落を総なめにし流失を免れた家屋でも柱がぶち折れ、浪に持ち込まれた材木などで水がひいた跡は、見るかげもない廃墟と化した、小学校や寺院に収容された無数の避難民は寒さに一夜をまんじりともせず、浪をさまって鏡のように静まり返った雄勝湾の岸辺に集まって漂着した家財道具のうちから自分達の持物を選び分けている。一家九名の家族中七名を奪われ奇跡的に命拾いした雄勝浜菓子商鈴木求(三三)さんの語るところによると
 丁度津浪が襲来したと聞いたので、母のちよの(六五)はこの前の(明治二十九年)津浪の時は屋外に逃れたものは皆死んだから二階に上れというので私共も二階に上って居たが、水は二階の上にぐんぐん浸水して家諸共海中に流れ出し浪の間に■漂いながら助けを求めました。その中に弟の武志(二二)は屋根の上に匍い上がり「兄貴しっかりしろ」と叫ぶのですが、老母や女房等幼い子供が私の腰にすがるのでその為皆で死ぬのかと覚悟を極めて居ると屋根の上から弟が屋根板を破壊しここから上れという私が先に屋根に匍い上ると家はその儘激しい水の流れに持ち去られました、私共兄弟二人は夢中になって激浪を泳いで穴岬に泳ぎつき助かりました、
また同村中最も悲惨を極めた荒浜は二十七戸のうち三戸を残して流失し、負傷十八名、死亡二十九名行方不明二十名を出して殆んど全滅し、目下仙台衛戌病院から救護班と日赤支部の救護班が出張負傷者救護に従事しているが、何せ駐在所の備へ付け戸口全部が流失したので死亡者の氏名なども漸く判明した、判った分は荒浜の
 高橋松雄方七名の家族全部、高橋重五郎方一名、福原賢四郎方五名、福原長平方七名、高橋善左衛門方一名、高橋清治郎方三名、高橋甚吉方四名、高橋兼吉方七名、高橋長作二名、高橋甚之助方四名、高橋貞治郎方四名、高橋武五郎方五名、高橋虎之助方三名、高橋じん方五名である

飯米の給与  宮城県で大体六千人   七日には無償配給か

宮城県かの罹災者を約一万人としそのうち飯米給与を必要とする者六割と見て六千人、これに対し一人一日に四合を給するとすれば十日間で二百四十石を必要とする、右所要量の正確な数字は目下社会課において調査中であるが大体前記数量に近いものと見られてをり県では四日中に右に関し農林省と交渉を済ませ、一石十五円とすれば三千六百円でこれを払下げ本五日白米をもって東京より発送するとして七日にはこれを無償配給し得ることとなるであろう。配給方法は未定であるが大体石巻及び気仙沼の二ヶ所に関係町村係員を集めこれを交附することになるであろう。

保険金は支払わず  約款を楯にとる会社側   気の毒な三陸地方の罹災者

三陸地方の地震に伴い同地方の一部には出火を見たが、火災保険会社としては保険約款に従って、その火災が地震に直接原因すると間接に原因する場合とを問わず、保険契約者には気の毒ではあるが絶対に保険金を支払わない由である。

塩釜港混雑  自動車道路杜絶して   罹災者輸送に三陸汽船躍起

三陸沿岸の被害について宮城県保安課に頻々として照会があり、殊に岩手県方面は道路亀裂し自動車の交通杜絶したため三陸汽船会社の船便によるため遥々盛岡から来塩するものもある。三陸汽船会社では四日午後一時三十分発の定期朝日丸の外に午後二時臨時船として白金丸を発航したが、両船とも釜石方面への見舞、救助客に建築材料、慰問品を満載出帆した。汽船出帆前の海岸前の混雑、家族親族等の安否を気遣い憂色を面に浮べて待合室にいる乗客、関東大震災当時を想起せしむるものがある。

貧弱者に  無料点灯   宮城県電被害一万円    全部点灯可能となる

宮城県電の被害程度は現在までに判明の分は約一万円に達する見込だが、これ等被害に対しては各出張所を督励し極力復旧につとめた結果、四日朝までにほぼ全部点灯可能の状態に達したなお被害のため、生活救助を要するものに対しては、町村長の申請により、来る五月末日まで無料点灯をなすこととなった。

地震と同時に  海嘯を予知   逃げ延びた志津川町民    本吉郡沿岸津浪襲来状況

本吉郡沿岸の津浪襲来の状況は、午前二時四十分頃強震あり、三時ころ歌津村字馬場、中山、名足、石浜、十三浜村相川、小指は高さ四丈位の大浪押し寄せ志津川町細浦清水は一丈二尺、志津川町は八尺、戸倉村波伝谷、藤浜、寺浜は八尺で三陸大海嘯の時よりは五尺くらい低い大浪であった。
志津川の海岸の居住者は地震と同時に大津浪が来るものと予感し小学校丘陵地にいづれも着のみ着のままで避難したがその数二千名に達した。志津川町清水、細浦の海岸に居住の人々は全部落の丘に避難し生命には別条なきを得たが住居は浸水或は倒壊し罹災者は親族知己を頼りその救護を受けている。
歌津村は津浪の襲来が非常に早かったので避難の暇なく死傷者も多かったが辛うじて避難したものも家財道具はことごとく流失し住むに家なく食うに食物なく大浪の引去った跡に呆然として立ちつくす有様は悲惨の極みである。
戸倉村波伝谷、藤浜、長清水部落は海岸にある六戸が大浪のため逃ぐる暇なく倒潰した家屋の下敷となったが溺死した一名を除くの外奇蹟的に生命を拾い減水を待って屋根を破り避難した。
十三浜村の被害は立神、小泊、相川、小指、大指の五部落で、相川部落では二十七戸流失、二十戸倒潰、小指部は四戸流失、小泊部落三戸倒潰、立神部落は二十四戸倒潰し死体の発見されたもの四個、行方不明八名で全部死んだものとされ、四日各戸一名を人夫として出勤、死体の捜索につとめている

ハワイにも  激浪襲う   三陸地震の響き

【ホノルル三日発電通】三日ハワイ島コナ海岸地方は高さ九呎にも達する近代の激浪にさらわれ約五千弗に上る損害を被ったが、この激浪は三日日本の三陸地方を襲った激震の影響によるものであるとホノルル港内も波浪高く各船の出帆人■も約五時間避難した。
惨死した一家を護る近親 (1)小学校舎前漁船二隻(桃生郡十五浜村勝雄)(2)雄勝浜家屋倒潰の惨状(3)家屋の下敷となって惨死した一家を護る近親の人々(雄勝浜)(4)十五浜村荒の小川に倒れた家