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地震・津浪襲来の惨! 正視し得ざる釜石  焼失戸・実に三百戸     全町にもの凄き阿鼻叫喚!       死傷者約五十余名

三日午前二時半大激震から約三十分にして津浪に襲われた釜石港の惨状は全く修羅地獄の観を呈し数回に亘る来潮に押流された家屋約二千漁船三百に上り町は倒壊家屋と船で埋まった、その時只越から発火した火の手は無人の野を行く如く同町・所、只越と舐めて行けば、同時に松原にも火の手があがり全町全く火に包まれ必死の消防も甲斐なく、火と水に攻められた町民は阿鼻叫喚の声もの凄く山へ山へと避難したが火と津浪は間断なく押寄せ七時に到るもやまず焼失家屋三百戸以上に達した町民はまっ蒼な顔、充血した眼に恐怖を宿して何時やむともわからぬ火と水と地震に地獄の思いで天を仰いで
いる、なお現在判明した死傷者は約五十余名で死者は八九名に上っている。勿論電信電話は不通、交通網も海岸線は崖崩れのため全滅となっている。釜石警察署では町役場と協力附近町村警察の応援を得て救助作業を開始したが、何分背後を山で囲まれている町とてその困難は言語に絶しているが、まず四箇所に炊出し所を設け、小学校を開放して二万人に上る罹災者を収容したが、沿岸町村共同じ打撃を受けているので完全なる救助は望まれず、町民は不安のどん底に落ち込んでいる。

なし

流失一、二八九倒潰九〇四
 焼失家屋三百戸
  死傷者二六二、行方不明四五
   岩手県下被害【警察部発表】
岩手県警察部では三日午前九時調査の被害状況を左の如く発表した
警察署別 流失家屋  焼失家屋  倒潰    死傷   行方不明
久慈     一一六   −     不明   −    −
岩泉     二六九   −     不明  一一三   四五
宮古     二二三   −     不明   不明   不明   
釜石     三〇〇  三〇〇   九〇〇  一二〇   不明
盛      三八一   −      四   二九   不明
計    一、二八九  三〇〇   九〇四  二六二   四五
古川町の被害は僅少
今朝古川町の地震被害は電燈電話線が所々切断した外隨川寺の石門が倒れた程度である。

浪に呑まれた郵便集配手  雄勝郵便局浸水し   假局舎を山上に移す

三陸方面震災状況につき三日午前十一時二十分仙台逓信局に達した情報によると、
 桃生郡十五濱村字雄勝部落は震災海嘯のため流失倒壊家屋二百五十戸に上り郵便局舎は床上浸水四尺に及び通信事務取扱不能に陥ったので局員はもの凄き大濁流に身を挺し必死の覚悟をもって通信設備一切を六七丁隔った小丘の民家に移しこれをか假局舎に充て時を移さず通信網を回復すべく努力した結果、電話は午前九時より電信は同十時三十分より?務を開始するという超人的な活動を続けているが、同部落で海嘯のため行衛不明となった者八九名内郵便局集配手は局務を了え帰宅の途怒濤に一呑みに呑まれ行衛不明となった
船越村は通信網全滅で存亡一切不明だが同方面への夥しい電信線電柱の倒壊により察するに被害甚大の見込みである、釜石町は震災に加うるに火災、水難を併発し、火災により焼失した戸数二百戸、浸水倒壊家屋十二百戸と算えられる
 宮古は浸水二百五十戸、山田町は同二百五十戸、久慈町は同百戸と報告されている
なお三陸方面一帯の電信、電話網は一時全部不通の状態となったが着々回復し午後二時までには全部通信網を復活した。

物凄い地鳴り  関東大震災以上の大揺ぎ   福島県の被害案外少し

三日午前二時半頃、突如福島県下に強震来襲し、正に家屋も倒潰せんかと思われ棚の上の物品は落下し、動揺する家屋はメリメリと鳴り続く等福島市民はことごとく屋外に避難した程で、福島測候所の地震測定機の針は外れて詳細には不明であるが、同所の調査によると去る大正十二年九月関東大地震より以上の大地震である。
 発震時刻は午前二時三十一分四十八九秒、初期微動継続時間は二○、七秒最大震幅は二ミリ以上で総震動時間は一時間以上に亘り震度は強震であったが、性質は極めて急で水平動が強かった。震源地は金華山東方の沖合で福島県東海岸南北に通ずる外側地震帯の活動と見られるべくそれがために對岸方面には甚だしく感じ時計は止まり不安定の状態で
石城郡中の作方面には小津浪あり同港において海岸に干してあった漁類約一千円に相当する流失の損害あり、小名濱町の測候所の如きは地震測定機は僅かに三ミリ程度のもので、測定することはできなかったが、猪苗代方面は地震のある前から非常な地鳴りあり、但し被害はなかった。小名濱方面も強震の弱と見られたが、強震の後に続いて弱震一回、微震二回、無感覚震動数十回あり、
 午前二時四十分ころ双葉郡龍田村江字■海岸には高さ四尺の津波が襲来し、海岸にあった同所の新安蔦造、鈴木健次郎、鈴木定吉等の所有伝馬船三隻は流失し惨害百五十円、また相馬郡中村町原釜字下谷地海岸に五尺余の津波が襲来、堤防約四十間を決潰、損害二百円、また民家の床下浸水が一戸あり、更に同町原釜字下谷地の安達晋太郎、伊藤■所有の七人乗り漁船二隻流失したが損害百円程度の見込み
なお各警察署に於ては目下被害調査中であるが、割合に少ない模様である。

北海道浦河海岸にも津浪

北海道庁に達した情報によれば三日午前二時三十二分発震と同時に浦河郡様似荻伏村海岸に津浪ありこれがため家屋流失二十五戸、半潰十四戸、浸水三十戸、死者一名、行方不明四名、漁船流失十四に及び沿岸一帯混乱を呈している。

漁船二隻難破  漁夫一名津浪に浚われ溺死

牡鹿郡女川町江の島齋藤慶之助所有発機漁船蓬莱丸(十九トン)同宮が淵利吉所有漁船神明丸(一九トン)動共に難破、また同字木村新一所有漁船薬師丸乗組漁夫木村庄之助(二七)は津波に浚われ溺死した。

女川駐在所の書類全部流失

女川町字尾浦の巡査駐在所は流失した、鈴木駐在巡査は病気のため家族とも石巻で療養中のため不在だったが書類は全部流失してしまった。

漁船は木ッ葉微塵  その後発見せる男女の屍体十余   釜石町の被害情報

遠野中継釜石電話によれば釜石町の倒潰家屋その後判明せる数は実に二百戸に及び焼失家屋五百戸流失家屋二百五十戸にしてその後発見せる屍体は男女十余名、釜石に襲来せる津浪は同地水上出張所附近には一丈五尺の大津浪にして大小十四、五回来襲した、その際五百余隻の漁船木葉微塵に粉砕された主なる倒潰及び流焼失建物は富士館、緑館、尾崎神社、信用組合盛銀支店、殖産銀行支店、内務省土木出張所棟である。

女川小学校休業

女川町小学校は一時間授業で三日は臨時休校した。

地震、津波の被害

(1)決潰せる堤防(2)海岸に吹き上げられた汽船(3)水浸しの家で布団干し(4)肥料丸〆を海に拾う船の出動−以上女川地方−(5)強震と共に米の重みに倒れた農業倉庫−佐沼町−

震源地は金華山沖  百五十キロの海底   余震があろうが心配なし    丁度六年目の強震

今日の地震につき石巻測候所の観測左の如し
 強震時 三日午前二時三十一分三十九秒一、初期微動継続時間二十秒一
 最大震動 二十三ミリ
 総震動時間 二時間
 震度 強震 壁に亀裂を生ずる程度
 震源地 本所(石巻測候所)を去る約百五十キロの金華山東方沖合
右について野口所長は語る
 本朝の地震は夜半の事とて非常に人心を動揺せしめたが幸い震源地が海底にあったために陸上において思った程に被害の少なかったのは先づ不幸中の幸といわねばならぬ、尤も金華山から志津川に至る本県本沿岸地方に四百乃至七百程度の小規模な海嘯があって可成りの被害があったが、外側地震帯に起る大地の特徴として、今でも度々海嘯を伴ったもので本回のも其例にもれなかった、斯うした地震のあった後には小さい余震を伴うのが常であるから今後も時々小地震を感ずるであろうがこれは一度緩んだ地盤の安定上起るものであって大した心配にはならない、尚今度の強震は昭和二年八月六日金華山沖合にあった強震以来初めてのもので、丁度六年振りのものである。詳細は取敢えず所員を被害地に派して目下取調べ中。(三日午前九時)

地震としては  一流中の大   針が外れて終った    中村博士の観測

今暁の強震に関し東北帝大向山観測所で中村左衛門博士は左のごとく発表した。
 発震午前二時三十一分四十二秒四、初期微動継続時間四十秒震源は仙台の東微か南約三百キロ、総震幅八センチ五以上、継続時間約一時間以上、弱震の強、
 右の如く総震幅は八センチ五に達しこれを大正十二年関東大地震の総震幅六センチ五に比して実に二センチも大きく向山観測所では地震計の針がはずれて了った位である。
右について中村左衛門太郎博士は調査のため出張すべく三陸地方の地躍を案じながら語る。
 震源は仙台の東方海上約三百キロで稍南に寄っている。今度の地震も矢張り外側地震帯の活動だ。仙台地方では希有の大地震で従来ちよいちよい起っていたものとは性質が違う、地震としても一流中の大きなものだ。大体震源が海中に在るものは揺れ方は大きいが家が倒潰するようなことは余りない。その代り必ず海嘯を伴うことを免がれない。このことは従来の東海道地方においても例が見られる。今回に続いて大地震が起るようなことはあるまいと思う。これから直ぐ志津川から宮古方面へ出かけ積るりだ。