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罹災家屋移転 の敷地  女川の候補地

牡鹿郡女川町では震嘯災の復興家屋建築委員会を設置し、今回の災害に鑑みて海岸家屋を移転、新敷地に建築すべく区長、学校長外関係者より六名の委員を選定し、十八日午前十時から町役場に委員会を開いたが
 松川町長委員長となり松■校長外五委員出席、石浜■災■の移転すべき敷地の実地調査を行うことになり、直ちに同浜を実地踏査し、同宇高森五十一番畑反別八点十二歩同五畝九歩を適当と認め、小屋取部落は畑八畝余を適当と認め午後から再開し以上の地を候補地と決定した。

海嘯被害地  塩抜督励   十五浜村の桑園は    大部分改植せねばなるまい

桃生郡農会では十五浜村及び大川村の一部の耕地は過般の海嘯に際し■水浸透のため農作物に甚大な影響あるので過般来■■農家の覚■を促して塩抜き方法を励行せしめているが、十五浜村は大部分桑園にして根本から改植しなければならぬものと、一部塩抜きによって充分復旧するものとの一■あり、大川村は■■部落附近の水田にしてこれ等は大部分の手配を終り引続き万全を期することになった。

怖ろしい三陸津浪  三つの型種と其破壊力   東北帝大助教授理学博士 林氏の研究【六】

 (B)三型種津浪襲来
  の様式発生原因に
  関する考察(第五図)
 前項において述べた遠野■地を中心とする花崗岩地■の中央Fと今回の震央Oとを結ぶFO線の北方OD■■部に右廻しの津浪が襲来し南方CBの湾両部には左廻しの津浪が襲来した。而して此BD湾両部の両翼ABおよびDEの部分に引き津浪が襲来した、この津浪襲来地分布の模型図とこれに附随せしめた地図を考慮してABCDE■狭部に相当する金華山より釜石を経て尻屋崎に至る海岸地形をよく注意すれば釜石湾の開口は遠野と震央を結んだFO線の方向にある。而もこのFO線を中心として北へ両石(1)大槌(2)船越(3)山田(4)宮古(5)の各湾を辿る時は各湾の開口はFO線に対して1、2、3、4、5、の順序に次第に傾斜の度を増し、FOの方向から時計の針の運動と反対の方向に廻転した様に順序よく列んでいる。またFO線を中心として、南方へ唐丹(1)吉浜(2)越喜来(3)綾里(4)大船渡(5)六ヶ浦(6)■田(7)気仙沼東湾(8)の順序にその開口はFO湾に対して、傾斜の度を増してFOの方向から時計の針の運動の方向に廻転した襟に順序よく並んでいる。斯様な湾口排列の地形と地質構造の状を批較すると一層面白い事実がある
 しかし 筆者は地質学又は地形学専門の研究者ではない。単に海洋化学の研究に従事していた結果、三陸沖合の海況殊に釜石を■心とした状況に就いて多少の知見を有していたこと、長年月に亘って三陸沿岸並に沖合を航海したり北上山系の山を踏破していたこと、並に今回津浪■に海洋■■をなす可く岩手県水産試験場早池峰丸によって災害地を親しく調査視察するの機会を得たことの■当によって■察せる津浪襲来の経路について一様でないという■実を■見することが出来たのである。而してこの事実の原因を究めようとしたのであるがここに端なくも地殻運動によって形成せられた海岸地形が主因であるということが分った。而してこの海岸地形の形成については地質構造ということが間接的に問題となる。しかし細い地質学、地形学の問題は別として高所から見た津浪襲来の様式について地質構造と地殻運動による海岸地形とを考慮に入れて■■して見たい
 そこで明治三十五年訂正農商務省地質調査所の出版にかかる大日本帝国予察東北部地質図(矢部教授より貸与)による時は岩手県東半海岸に及ぶ地域に亘りて、著しい古生代の地質構造が発達している、この地域を地図上にたどるならば、大体青森県東南部岩手県に近い階上嶽、名久井嶽を結合した線から南へ下って、岩手県に入り笄嶽、沼宮内、烏兎ヶ山、七日町を経て宮城県に入り、登米に及ぶ。この地より方向は転じて、東方海岸に向い、大体海岸伝いに小泉、大谷、気仙沼を通過し岩手県の海岸となる。即ち広田、盛、唐丹を経て宮古地方はるかな黒崎より再び階上嶽に帰る。斯様に広汎な地域の北に第四紀(更新統、新世統)又は第三紀層の地域が連接して、久慈以北尻屋崎に至る地形を造っている。又この古生層地域の南には中生層地域が連接して南端牡鹿半島に至る地形を造っている。
 三陸津浪による被害も甚だしかった岩手県、宮城県次いで青森県の各地方に関する地質構造の大体を諒解して次ぎに最も重要なる海岸地形の問題に移り度い。
 ABCDE地帯において地殻隆起の傾向著しい地方は気仙沼地方(B点に相当する地方)並に八戸地方(DE中間の湾曲部に相当する地方)であって、水路部の海図(NO72)による時は気仙沼湾附近の海は約六米、八戸附近の海は約四米であって他の部分より非常に海が■いのである。BCD地帯は大体沈下の傾向があるが釜石湾(C点)においてその湾口の深さは最大で約八十米である。BA並にDE地帯もその突端に向うに従って多少沈下の傾向があって、牡鹿半島の突端近くでは海の深さ約三十−五十米である。下北半島は大体第四紀の地質構造であるから海岸が渚続きで沿岸の海は概して浅いが尻屋崎附近においては深さ約二十米に近い。
 上に述べた様に地質構造と地殻運動とが三陸地方において特有な海岸地形を造っているのであってここに再び第三章のA項に記した三型種津浪襲来の地理的分布を考慮に入れて、特殊な三陸の海岸地形と津浪との関係を検討するときは興味ある事実の存在に驚くのである。
 廻し津浪は全く三陸地方において最も古い地質時代(江ノ島列島の一部を除く)に成立した地域の而も陸地沈下の地殻運動による結果出来上った海岸地形の地方に襲来したものである。その右旋回と左旋回の方向に襲来する模様と各湾口の方位とを考うれば震央と紡錘状をなした古生代の地層よりなる地域の中央に迸入した花崗岩塊の地とを連結する線によって明かに南北に二分せられている点を特に注意したいのである。
 引き津浪は三陸地方に於て(模型図によって説明する時は)AB地帯並にDE地帯にのみ襲来している。その襲来による被害状況を見るに、地殻隆起の運動によって形成せる海岸地形の著しい気仙沼地方、八戸地方においては引き津浪襲来の模様が代表的である。
 AB地帯には主として引き津浪の襲来があるが、旋廻運動のない点において引き津浪に似ているが、押し寄せる力の猛烈さ並に■■破壊の方向において廻し津浪に相似たる潮吹き津浪が疎らに襲来した地点がある。AB地帯即ち宮城県沿岸の被害が青森県沿岸の被害より大なるは主としてこの潮吹き津浪の襲来によるものである。それで海図によってAB地帯における引き津浪と潮吹津浪襲来の地を検査すると、潮吹き津浪襲来の地は湾口の水深が引き津浪襲来の地より大きいのである。而もその湾形が■■章■項に説明した様に大体綾里型になっている。潮吹き津浪襲来地鮫ノ浦(35米)雄勝(40米)田ノ浦(50米)等の湾口の水深より引き津浪襲来地(水深30米以下)の湾口の水深が小い。これは海図によってよく窺われる。
 以上述べたことを摘察すれば津浪襲来の様式について三型種の存在を認めたが、その原因は主として地殻運動の結果形成せられた海岸地形と震央の位置によるものらしく、地殻運動によって海岸地形の定まにことについては地質構造にも関係があるから地質構造は津浪襲来の様式に二次的の関係があるものと思われる。(終)