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怖ろしい三陸津浪  三つの型種と其破壊力   東北帝大助教授理学博士 林氏の研究【四】

 (C)潮吹き津波(綾里型)
 (1)本津浪襲来の地
    域並に其特徴
本津浪は主として大船渡湾口より牡鹿半島に至る中生代の地質構造を有する地域にまばらに襲来したもので湾口の方位には無関係である。その特徴とするところは次の項によって示し度い。
 イ、本津浪の襲来する湾は細長いのが特徴である。
 ロ、湾の両岸は湾口より湾奥まで大体屏風の様な絶壁が並列している。
 ハ、湾口の水深は大きく湾奥に向って■■■度が減じている。
 ニ、湾奥の部落は大抵V字型の谷合に沿った河段丘に民家がある。
 ホ、本津浪襲来の模様は恰も龍の昇天する如く地峡の■へ襲来した激浪が湾奥の部落へ奔騰して山上の方向へ民家を吹き上げるのである。
 (2)本津浪を潮吹津
    浪と称するの理由(第四図)
 大船渡湾口東岸において外洋に近い部分に立石山が存在してその山稜の太平洋へ向って走った突端が綾里岬となり、西南に向って海中へ没した突端が小黒岬である。この小黒岬に対して、対岸の八ヶ森の峰が南方へ延びて、小路岬を形成している。小黒岬と小路岬の中間において陸地が凹部を形成して深く湾入している。この湾の最奥の陸地は山岳で谷間のV字型になった地域即ち綾里川の河段丘に沿って民家がある。この湾は小黒岬と小路岬を結んだ湾より湾奥へ進むこと約500米で急に細くなって湾の中は殆じて高い絶壁が相平行して湾奥へ連っている。湾の水深は大船渡湾口において約80米でこの小黒岬と小路岬の中間においても約70米である。而して湾奥へ向っては水深が急に減じて湾奥近くには殿児島が存在している。
 この綾里村へ襲来した津浪は丁度潮吹きの如き状をなして全村を粉細し、小学校と二三の民家を残留したのみである。これ潮吹き津浪と呼ぶ所以である。
 本津浪の例は地殻沈下運動帯には少く綾里は特例と見てよいかも知れない。地質的には中生代、而も地殻隆起運動地帯である宮城県沿岸において津浪の惨害が相当甚大であったのは一重にこの型の津浪襲来の結果であって、山田湾外姉吉、歌津村の田ノ浦、十五浜村の雄勝、大原村の鮫ノ浦はこれに属する。この津浪襲撃による惨害の特徴をその代表名綾里を選んで綾里型と呼びたい。
 (3)潮吹き津波の模型は存在する。
 宮城県本吉郡階上村杉ノ下部落の地続きが一部括れて岩井崎となり、気仙沼湾の西口を扼している。この岩井崎の一部で太平洋に直面した箇所が岩礁となって海面へ突入している。この岩礁が複雑な破れ目を作っていてその一つの岩の■隙が深く岩盤の横部の上向きに凹入しているとの凹入部へ突入した海洋の表面波は長年月の間に岩盤に次第に上向きの穴を穿って遂に岩の上部へ天井●を突き抜いた結果今日での波の押し寄せた模様によって約五米の水柱を奔騰せしめる。この水柱の奔騰は大抵三乃至五回目に押し寄せた、海岸の表面波によって起るから大体周期的と見てよい。之によって益々潮吹き津波の存在が明かであり、且つ引き津浪襲来の地帯に疎らにして猶独立に廻し津浪に似て非なる津波の襲来したことが了解出来るだろうと思う。

『本吉郡愛国 連盟』発会式  五月十五日こ  ろ挙行

三陸沿岸海嘯のため無期延期中の「本吉郡愛国連盟」発会式は大体来る五月中旬に挙行する予定で、同連盟の主体をなす在郷軍人気仙沼分会では発会式の当日は多門師団長の臨席を求む可く極力懇請中のところ、多門師団長は来月中旬ころなら臨席する旨この程同分会に通牒があったので、来る二十五日本吉郡在郷軍人分会長会議を開き連盟発会式期日の決定多門師団長歓迎方法及びその他諸般の準備に関し協議を重ねることになったが、発会式は来る五月十五日前後の予定で、多門師団長の臨席は発会式を一層盛大なるものにするであろう。