人間の運命を考えさせられた 災害地入りの斎藤内務次官 石巻の宿舎で語る
斎藤内務政務次官は六日災害地視察の第一歩を石巻市から渡波町を経て風越峠の険を自動車で踏破し大原村谷川浜の惨害の跡を視察し更に同地から山又山を約二時間も徒歩、対岸になっている鯨の浦を訪問、親しく罹災者を見舞い、夕刻再び石巻市に引返し石母田市長代理等の訪問をうけた、時間は疲労の色もなく往訪の記者に大要左の如く語った
刻下の財政状態が窮迫し河川港湾その他雑多の要求が各方面からあるので天災地変の復興にも思うように資金が出せない、来年度予算も本年度予算と同様借金があろう、今日第一歩を災害地に入れて見たが当時のような生々しい惨状は復興の途上にあるのではないが、役場の人達にきいて想像することが出来、人間の運命を考えさせられた、鮫ノ浦はあんな狭い湾口になった入江で家屋の流失や被害の大きいのには意外だ、公共の建物、道路、堤防等は差当り至急に復旧することになろう。
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石巻市は石母田市長からよく種々説明をきいたが河口の改修も内校の修築も着手され市制の実施によって益々発展されることであろう、風光は勝れてるからこの方面も一層留意されることと思う。
なお次官は宮城県庁及び岩手県の主要被害地を視察し青森県へは本田鈴木両技師が視察される由である
震災地救護 出張所閉鎖
去月七日気仙沼署内に事務所を置き震災地救護の慰問品、救恤品の消毒配給につとめた県救護出張所は五日で慰問品の運賃無料取扱期間が切れたので、六日を以て事務所を閉鎖した、救護事務開始以来丁度一ヶ月、この間取扱った慰問品は衣類、、被服、薪炭、衣料品等総■数八一、一八一点、この配給内訳左の通りである。
唐桑村 六三、二二二点
鹿折村 四、六七四点
大島村 四、三六六点
大谷村 三、〇九七点
階上村 四、八二二点
大東丸鰹漁場 調査 廿三日朝出帆
三陸沿岸海嘯罹災地への慰問救恤品輸送の任を終え去月廿七日気仙沼村上造船所に上架船体の手入れ機関修理を急いでいた気仙沼水産試験分場所属指導船、大東丸は一切の修理も成り来る十七日下架の上、燃料薪炭、食料を仕込み鰹漁のため二十三日朝気仙沼を出港、静岡県三崎沖合漁場に急ぐことになった。
死体捜査は 最早望みなし 十五浜村荒浜及び雄勝浜の 行方不明者二十八名
桃生郡十五浜村荒浜及び雄勝浜の震嘯被害で行方不明となった二十八名は、その後引続き捜査中であるが、潜水夫や、投網その他沿岸掃海にベストを尽しても最早死体の発見覚束なく殊に荒浜近海は暗礁突起の荒磯でもあり掃海作業は頗る困難とされているが、最近同村大須浜海岸に漂着した死体も腐乱甚だしく、男女の性別さえ判らず、漸くその骨格によって鑑別し得る程度のもので、これ等の腐乱死体は恐らく同村のものらしいとしても素より姓名も判らず、村当局では仕方なしに無縁仏として埋葬している、なお今度の海嘯で死亡したものの死体検案によれば真の溺死者は十名中二三名位のものでその他は海嘯に呑まれた際家屋倒壊或は柱に挟まれたために死亡したので、その証拠には水を呑んでいなかったという事実も、今度の海嘯惨害地の新らしい哀しい物語りとなっている。