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融資より助成を  県漁連で政府に運動

 県漁連はチリ大津波による漁民
 の被害を調べているが、「伊勢
 湾台風以上の国庫助成」を政府
 に運動することを決めた。
本格的な水産被害の調査は二十五
日から始めたが、あまりにもぼう
大な額になるので赤字再建団体で
ある県漁連は何もできない実用だ
このため菊田隆一会長は二十五日
夜、上京、二十七日午前十時から
東京都市センターで開かれる全漁
連の総会に問題を持ち込み、「融
資より助成を」という要求を政府
に強く要望する。一方、県漁連は
三十日の総会の後で漁民再建大会
に切りかえ、政府や県に対する要
求項目などを決議する。

悪夢の地に立ちあがる被災者

津波に明け津波に暮れた二十四日もすぎて、二十五日の被災地にはようやく立ち直りの気分がみなぎり始めた。人々の打ちのめされた
表情の奥には、この日の明け方まで間断なく続いた高潮の恐怖から開放された安心感が浮かび、県や市町村の対策も活発になってきた。
しかし志津川町、女川町などの受けた痛手は予想外に大きく、被災者たちは立ち直るために欠くことができない救援の手を待ってい
る。以下は被災地その後の表情——。

まず道路を整備  力強い自衛隊の励まし 志津川

 悪夢の一昼夜を
 すごした町民た
 ちはこの日午前四時二十五分の
 津波警報解除でホッと肩の荷を
 おろした。しかし着のみ着のま
 まで高台の小、中、高校に避難し
 た町民の大部分はわが家がどう
 なったか朝まで知らずにいたと
 いう。こうした人々を救い励げ
 ましたのは、急拠かけつけた陸
 上自衛隊員だった。仙台、多賀
 城駐とんの第二十二普通科連隊
 など約千三百人、ほぼ被災一世
 帯に隊員一人という勢力であ
 る。
ます倒壊、流失家屋の木材で埋ま
るメーンストリートの大掃除に全
力を傾け午前十一時には開通させ
た。おかげで町民たちはわが家に
たどりつくことができたが、千百
余の家は以前の場所になく、この
うち二百戸近くは跡かたもなかっ
た。ある町民が語る「本当に何は
なくとも生命が助かっただけでも
よかった」という実感をまざまざ
とみせつける惨状は言語に絶する
ほど。やがて恐怖の海泥に埋もれ
た犠牲者が二体、三体と相ついで
みつかる。食い入るようにみつめ
る人々はみな目頭を赤くしている
家族と別れ別れになった人々、親
類たちなのだ。近隣町村から続々
と手伝いがかけつけ、いっしょに
なって自分の家を探す人々で道路
はごったがえした。押しつぶされ
たわが家をみつけ、ぬれなかった
ふとんの綿をちぎりとるなどみな
が「少しの家財でも…」といった姿
だった。しかし自衛隊員の活躍で
郵便局、銀行が同日中にいち早く
開店した。主要道路もほぼ二十六
日中には開通する。自衛隊自慢の
“ふろ部隊”が二十六日やってく
るし。防疫もやっている。
同町にとっては最大の悩みが水。
このため自衛隊のタンクやびん詰
めの飲料水を乗せた近接町村のト
ラックがひっきりなしに往来、通
信関係も二十四日夕方まで完全に
マヒしたが、同夜から緊急電話三
回線が開通、二十五日朝からは電
報もヘリコプターで運びはじめた

早くも息を吹 き返す中心街 石巻、女川

 津波が深く
 ツメ跡を残
 した女川町では、二十四日夜臨
 時議会を開いて災害対策特別委
 を結成、二十五日は区長と衛生
 組合長の合同会議をもち、防疫
 に全力を上げることに決めた。
 死の町と化した町並みも早朝か
 ら自衛隊の出動で取り片付けを
 始め、津波の来週いらい二日目
 に早くも中心街が息を吹き返し
 た。一方各家庭はポンプで家財
 道具の塩水を洗い流し、石灰
 をまいて伝染病に備え、また
 災害見舞い客も相次いでいる。
見舞い客も朝からひっきりなしに
駅のホームを埋めた。一部では建
設のつち音もひびきはじめたが、
打撃は予想以上に深刻で商店街は
さしあたり商品の購入資金に困る
といっている。また一般も住宅の
復旧資金がないと暗い表情だ。町
ではこんごこれらの資金ルートの
開拓にのり出す一方、津波の恒久
対策として防波堤の建設を国へ強
く働きかける。現在港の東側に百
五十メートルの防波堤があるが、これだ
けでが不完全なので港の西南部に
三百メートルの防波堤をもう一つつくろ
うというもの。木村町長は「津波
の宿命から脱却するにはこれ以外
名案はない」といっている。
雄勝町では役場に災害対策本部を
設け、炊き出しを行い、二十五日
からは自衛隊がこわれた家や道路
にあふれた木材の取り片づけを始
めた。しかし町の経済力が弱いせ
いかつち音のひびきはあまりなく
まだぼう然自失している。町では
こんど県や国に働きかけて公共事
業を急ぐ一方、住宅金融公庫など
を活用し住宅の建設を促進する予
定。牡鹿半島は二十四日から万石
橋の交通がストップしたため輸送
が途絶した。しかし大原、鮎川な
どは徐々に復興している。石巻市
では一般住宅の被害は少なかった
が各メーカーの見舞いを兼ねた宣
伝カーの乗り入れが活発だ。内海
橋下に折り重なって沈んだ漁船も
徐々に引き揚げており津波の打撃
から回復するのは管内では一番早
い見込みだ。

カキ拾う小舟の群れ  だが漁師の表情は暗い

気仙沼
二十五日の気仙
沼湾は“沼”の
名の示すとおりいつもの波一つな
い静かな姿をみせた。しかし湾内
には数千台のカキいかだや、たる、
木材が散乱して津波のすごさを物
語り、その間を数百人の漁民が小
舟をあやつりながら終日たんねん
に拾い集めていたが、唯一の生計
のかてを失った表情は深刻。まと
もに津波をかぶった気仙沼市鹿折
一帯は船材の巨木、船がいたると
ころに打ち上げられ、交通は寸断
このため自衛隊大和駐とん部隊
の三百人が早朝から出動、船おろ
しや堤防の決壊箇所の土俵積みに
働いた。一方海岸から数百メートルの広
田冠水地帯は農家が苗の水洗いに
大わらわ。それも苗の手入れの前
に打ち上げられたドラムカンや船
の整備という大仕事が控えてい
た。学校も水につかり、子どもた
ちは大掃除に精出していた。川に
運び出した渡り廊下でさっそくい
かだ遊びをはじめる子どもたちだ
けは津波のツメ跡も忘れ明るい
顔だった。なお市では社会課に救
助対策本部をおいて道路の障害物
除去、消毒に当たる一方被害調査
をはじめた。また国鉄は気仙沼線
大船渡線気仙沼−盛間の復旧工
事を始めたが、気仙沼線は同夜中
に復旧、大船渡線については六月
のディーゼル準急運転開始までは
間に合わせたいと語っていた。

本誌をはり出し  県 都民に実情を訴える

 津波による被害がもっとも大き
 かった本件は被害全額がわかり
 次第災害復旧の高率補助、被災
 者への援護措置など政府に強力
 な運動をする方針だが、これに
 先だち二十五日から中央で積極
 的にPRを開始した。
被災と同時に県広報課員を動員し
て災害地のさんたんたる実情をフ
ィルムにおさめ、二十五日早朝か
けつけた広報課員と東京事務所員
が総出で衆院、参院各議員会館宿
舎、厚生、農林、建設各省や自治
庁など都内二十三カ所に十枚の組
み写真とこれを伝える本誌をはり
出した。この企画は大当たりで現
地のなまなましいツメ跡の姿に多
くの議員、公務員の足を止めさせ
ていた。

被害八十億円を突破

 チリ大津波による県下の被害総
 額は二十五日午後五時現在で八
 十三億四千百五十七万円に達し
 昭和三十一年の冷害による大凶
 作八十二億三千万円を越す被害
 となった。
最終被害額はこんご県警本部、郵
政、電通、国鉄各公共機関と調整
して確定するが、さらにふえる見
込みだ。おもな項目別被害次のと
おり。(単位百万円)
▽家屋四、二二九・六▽農業二九九
・〇▽河川一五三・〇▽水産一、
七九二・九▽土木一九八・六▽衛
生三・七▽工場九三七・〇▽学校
一一・五▽商品六四・六▽公益事
業一一四・七

全員協議会開 き対策ねる  県議会

県議会は二十五日、水産商工、農
林、土木の三合同委員会を開き、
チリ津波被害の概況を県当局から
聞いたが、社会党は「臨時県議会
を早く開いて復旧対策に番線を期
すべきだ」と主張、これに対し自
民、民社両党、明政会は「県当局
の専決で復旧対策をどしどし進め
させるべきで、臨時県議会は県の
足かせになる」と反対、結局二十
七日か二十八日に全員協議会を開
いて調整を図ることにした。

融資面で考慮  三浦知事、気仙沼で語る

 三浦知事は二十五日昼すぎ、県
 の救援物資を持って陸上自衛
 隊のヘリコプターで気仙沼小学
 校に到着、次のように語った。
県の対策は決まっており、建設省
とも打ち合わせ済みだ。気仙沼湾
のノリ、カキが全滅的被害を受け
ているが、塩釜、石巻でも相当被
害を受けているので、融資の面で
考慮したい。

保険金の仮払申入れ  県漁船保険組合

 県漁船保険組合は二十五日、県
 を通じて「被害漁船に対する保
 険金のうち一部を早急に仮払い
 できるようにしてほしい」と申
 し入れた。
沈没したり、破損した漁船の中で
保険に加入しているものには契約
に応じて政府から九〇パーセント、組合か
ら一〇パーセントの保険金が支払われるが
申請してから支払い日まで約一ヵ
月かかる。建造や修理がおくれれ
ば夏漁にさしつかえるので材料費
に相当する前途金を出せるよう政
府がつなぎ融資をしてほしいとい
うもの。

母の祈りもむなしく  与平さん、船中で死ぬ

(夕刊■報)北上川で沈没した漁
船の中で十六時間生きつづけて救
助を求めていた「竜丸」乗組員の
及川与平さん(二二)は二十四日夜の
救出作業が失敗したためお母さん
の声援もむなしく、遂に死亡、二十
五日午後、潜水士によって死体が
上げられた。与平さんは口と鼻か
ら多量の重油と水を飲んでいた。
津波がもう少し遅く来れば助かっ
たのに……と関係者はくやしがっ
た。死体はお父さんの久之進さん
(四一)に涙のうちに引き渡された。

行くえ不明二 人の死亡確認

二十四日気仙沼市大島沖で行くえ
不明となった気仙沼市片浜、佐藤
松二さん(六〇)、同松岩体田、小野
寺丑太郎さん(七〇)の二人は二十五
日になって漂流物がみつかり、気
仙沼署は二人の死亡を確認した。

塩釜の坊や死 体でみつかる

既報、津波で行くえ不明だった塩
釜市字台二五佐藤要吉市議の孫進
一ちゃん(五才)は二十五日正午すぎ
自宅付近の海岸で土砂の中に死体
となってみつかった。

犠牲者氏名判る

 県警本部は津波による犠牲者の
 氏名を調べていたが、二十五日
 夜までに判明した死者は志津川
 町の三十四人を含めて四十一人
 行くえ不明者は十二人となって
 いる。
 ◇犠牲者=▽牡鹿町鮎川浜寺下
五、森田久男(二四)▽塩釜市中新田
五三、ペンキ職寺田正(三一)、同北
浜町字台六七、佐藤進一(五才)▽本
吉町歌津名足、船員及川与平(二二)
▽名取市閖上町字町四八〇、漁船
員伊藤三郎(四六)、同二一一、漁夫
山田閖(三五)▽亘理町荒浜隈崎一九
無職佐藤寅松(三三)
 ▽志津川町=南町、無職本田ふ
き(四七)、同無職勝倉久治(五二)、
同女給菅野京子(二五)、大森、無職佐
藤半治(六二)、同漁業高■功(三五)、
塩人、西条まさ子(四才)、同無職西条
しも子(二六)、同無職遠藤たか子
(四二)、同無職吉田常治(六八)、新町
佐々木宗子(一〇)、松原、無職佐
藤孝之助(八■)、同無職須藤みよ
し(三七)、同無職西条ゆきを(五九)
同三浦たえ子(一一)、同阿部とよ
子(一三)、同大場敏正(四才)、同飲食
業三浦みなと(三六)、同無職阿部み
どり(三二)、同商業門間しげ子(四
三)、同須藤はる子(一二)、同無職伊
藤とし子(三〇)、同須藤勝子(八才)、
同須藤信子(三才)、八幡町、郵配人
遠藤彰也(三一)、同無職沼■つね
よ(六一)、同無職阿部いせの(七九)、
同阿部せつ子(六才)、水尻、無職遠
藤はな(五二)、本浜、無職千葉ちど
り(五〇)、同無職西条熊治(七〇)、荒
砥、ぬ職佐藤善吉(七六)、戸倉字雷
前、農佐藤庄蔵(五〇)、同須藤清一(六
才)、入谷、無職西条しげ子(七七)
 ◇行くえ不明者=▽石巻市袋谷
地四〇、農広田友吉(七八)▽名取市
閖上町字町九六、船員平塚清一(四
六)、同閖上町字町住宅一七、同■
中長三郎(六〇)、同閖上町字町一六
七、同大友竹男(四五)▽亘理町荒浜
水神三二、漁夫大和田実(四〇)、同
荒浜隈崎一七二、同田中道夫(三八)
同七六、無職菱田助三郎(六九)▽志
津川町松原、女中佐藤たち子(二二)、
同沼倉信宏(五才)、同八幡町無職沼
倉さき子(三三)▽気仙沼市松崎前浜
九三、漁業小野寺牛太郎(七〇)、同
松崎片浜一七九、同松本松治(六九)

仙台から三市 に見舞い金

 島野仙台
 市長は二
 十五日午後、市首脳部を集めて
 チリ大津波に対する救援につい
 て協議した。この結果
 ①仙台市から気仙沼、塩釜、石
巻の三市に見舞い金を贈る。金額
は岡村助役の現地視察の報告と、
三十日の臨時市議会にはかったう
えで決める。
 ②市民に訴えて二十六日から義
援金品の受け付けもする。窓口は
市社会課、南北社会福祉事務所の
三ヶ所。
 ③バキューム・カー(便所の汲
み取りポンプ)、看護婦、清掃員、
防疫班など県の要請にいつでも応
じられるよう準備する、の三つを
決めた。

仙台からバキ ューム車出動

仙台市衛
生部は、
二十五日午後、津波被害者救済のた
め志津川町に二台、女川町に一台
のバキューム車を出動させた。
「浸水した家屋の便所があふれて
いるので早急に汲みとってほし
い」と被害町村から県対策本部に
要請があったもので、三台のバキ
ューム車と六人の清掃員は二十八
日まで救援する。

リバーサイド市長 が救援申し込み

仙台市の姉妹都市であるリバーサ
イド(米国カリフォルニア州)の
E・V・デールズ市長から二十五
日午後、島野市長に「援助物資を
送りたいから指示してほしい」と
電報で申し入れがあった。島野市
長は折り返し「何でもよろしい
が、おもに下着、毛布類を送って
ほしい」と返電を打った。リバーサ
イド市長からの電文次のとおり。
このたびのチリ大津波で災害をこ
うむられたことを知り、同情にた
えません。援助物資を送るについ
て指示を仰ぎたいと存じます。

窓 被災地に救 いの手を

 二十四日早朝、塩釜、石巻、気
仙沼、志津川などの県内各地をは
じめ、東北、北海道の太平洋沿岸
を襲ったチリ大津波のもたらした
被害の大きさを刻々新聞やラジオ
テレビで知り胸を痛めざるをえま
せん。不幸にしてこの思わぬ災害
にあわれた方々に深くお見舞いの
言葉を述べるとともに波にさらわ
れて亡くなられた多くの人たちの
ごめい福を心から祈る次第です。
さてきょう二十五日仙台市内を歩
いていますと、学生たちがさっ
そく街頭に立ち募金箱を持って被
災者救済の義援金の募金を市民に
訴えていました。私もこれた学生
たちの善意にうたれ、思わずかけ
よってわずかでしたが、なにがし
かの金額で協力させてもらいまし
た。このたびの災害に限らず、去年
名古屋地方に大損害を与えた伊勢
湾台風のときもそうでしたが、こ
うした学生、婦人団体などを先頭
にした募金はその金額は別として
も、どれほど被災者の方々を気強
くさせるかわかりません。家■道
具はおろか、住む家まで流され、
子どもたちには一冊の本、ノート
も残っていないこれらの人たちの
受けた精神的、経済的打撃は災害
をまぬがれた私たちの想像以上で
しょうし、波の引き去ったいまで
も大半の人たちは、悪魔が残した
ツメ跡を前にただ放心状態のこと
でしょう。そしてこれら気の毒な
人たちに必要なのはまず精神的な
立ち上がりです。そして、いち早
く他からあたたかい手をさしのべ
られることの喜びはまた私たちの
想像以上のことと思います。この
意味でも、こうした運動を県内く
まなく押し広げることが一日早け
れば、被害者が一日早く立ち直れ
ることになり、またこれは隣人と
して私たちの義務でさえあると思
います。皆さん、きょうからさっ
そくお互い呼びかけ合って救いの
手をさしのべようではありません
か。(塩釜・大池)