津波とこども 作文集 恐ろしさにぼうぜん 宮城県女川町女川一中 三年 奥山徳子
「皆さま、津波警報が発令になり
ました」と、消防団の人が回って
歩いたのは、確か四時十分を経過
したころと思う。姉がすぐ「母ち
ゃん津波がくるって」というと
「うん地震がないから大丈夫だと
思うげっとも、ほんでも用心にこ
したこどねえがら起きっぺ」とい
うかいわないうちに、二番目の姉
のエコちゃんが、けっそうを変え
てとびおりてきた。
「母ちゃん何してんの。海の水み
なひいて船横倒しになったでば」
と告げた、さあ大変。私はシャツ
一枚にカーディガンをはおり、そ
こらにあったやぶけたズボンにカ
バンを持って勝子ちゃんと役場を
めがけて走った。役場の上の小高
い丘にあがった私は、寒さと恐怖
のため歯がガクガクとして合わな
かった。しばらくして、母や姉も
上がってきた。そこに居合わせた
人が「ここでもあぶないから上に
あがってください」と叫んだ。私
は神社にはいって町を不安な気持
ちでながめていた。
男の人が「あなたの家の向かい
の家三軒流されだよ」と教えてく
れた。母が「おらいの家なじょだ
え」というと「あんだいはまだ大
丈夫だ。だけども傾むいたね」と
いった。母は「物流れてもいいか
らがわだけのこってくれれば」と
悲痛な声でいっていた。母の知り
合いのおばさんが泣く泣く「う
ちの父ちゃんお兄ちゃんいねぐなっ
た」と訴えていた。近所の人が
「大丈夫いま来っから」と力づけ
ていた。私はそれを見て涙がボロ
ボロ出た。どこどこの人が死んだ
というデマがでたのはそのころで
ある。兄や姉達は潮が引いたのを
見計らって荷物を運びにいった。
テレビやラジオはそのころもうな
くなって、タンスやいろいろのも
のがぐちゃぐちゃに重なっていた
そうだ。
役場でおにぎりをもらった。今
までおかずがないと絶対食べない
私も、その時は生みそをつけただ
けでもとってもおいしかった。母
と姉と私は家を見に行った。ひど
いとは思っていたが、こんなに変
わりはてようとは思われずただ水
の恐ろしさにぼうぜんとするばか
りだった。被害を受けなかった人
がいろいろな物を盗んでいったと
聞き、人の弱味につけこんだその
人達が憎らしくて憎らしくてたま
らなかった。
次の日も、あとしまつにかかた
が、どこから手をつけてよいもの
やら、まったく見当がつかない。
やっぱり次の日も盗みをやる人は
沢山いた。「しばらく食糧に不自
由しない」といった人、昼間から
一穀酒をのんでいた人。そういう
人の気持ちは私にはわからなかっ
た。その人達もきっと、今ごろは良
心がいたんでいるだろうがー。