文字サイズサイズ小サイズ中サイズ大

二つの耐浪施設  鈴木博士が発表す   花巻温泉で査定会議を開く    本県港湾の一指針     防潮林・防波堤

内務省では海嘯災害地の本県に対し港湾施設の権威者同省技師工学博士鈴木雅治同鈴木武之輔の両氏外技手内務属八名を派遣して調査する所あったが氏等の調査は各方面から注目の的となっている。一行は調査を終え十九、二十日花巻温泉で査定会議を開き二十一日帰京したが鈴木博士は二十日夕刻千秋閣応接間に於て記者団に次の如く発表したが本県港湾施設上の指針となるべきものである。
 海嘯が周期的に来襲する事が判った以上これに耐ゆるべき防波施設を施さねばならない。今度私共が二班に分かれて南北から調査したが耐浪施設の設計は二つに分けることが出来る。
一、砂丘のある所は防潮林の発達を図る工事として浜松を植林する事である。
二、砂丘のない所は次の工芸に依らなければならない
 イ、海に防波堤を築造して災害を防止するのであるが海の深い所は天然の磯を利用して防波堤を築き船溜場に利用すれば一石二鳥となる併しこれは企業価値即ち港湾の利用価値を考えねばならない磯のない所は駄目である我国では防波堤の築造は水深四十尺位までは可能であるがそれも神戸横浜等の大商港の場合のみ可能である本県には磯の発達している所が二三ヶ所あったが此処には何処と何処が有望であるかは言う事が出来ないある一、二の大きな町で大きな防波堤の計画をやっていたが困難であろう岩手県は一帯に水深が急げきに深くなっているようである
二、地形が特種な所即ち両岸が狭ばめられて地質良好で奥地が深く入り込んで港湾利用価値の多い所は鉄筋コンクリート中空堰堤を築き土砂をつめたものを相当高く築造する
三、常時波が襲って来る所は前面に石工的工造物を置いて後方へ土堰堤をかぶせ土堰堤の後に植林地体を置く
四、常時波浪の来ない所例えば大槌町、吉里吉里の場合は土堰堤を築いて前後に松を植えて裏小段を裏へ広く延ばしてこれに松を植える
 以上は住宅を丘の上に移されない場合の対策であるが市区改正をして高い所へ住宅を持って行くのが良策である。気仙郡唐丹村大石部落では二十九年の海嘯後岡の上に住宅を移して今度の災害を免れた岡の上に住宅を移せたならば低い所は常時は漁獲物加工場或は耕地に用いる事である。岡の上に住宅を移せない商港は海岸に添って耐浪建築物を建てれば可成災害を防止する事が出来よう。鍬ヶ崎は防波堤のおかげで大部災害が防止されたようである本省方面でも海嘯の災害に関しては熱心に考慮を払っているから今後は災害を少なくされるであろう。

魚腹のデマに  悩む沿岸地方   手が出た等は昔話の焼直し    漁業者対策に苦心

近頃罹災地沿岸にたらの腹から幼児の手首が出た等々の風評がしきりに出て居るが之等は何れも明治二十九年の海嘯のあった際の昔話しの焼き直しで之が為復興の掛声もろとも再起に死力を尽している。沿岸漁民は折角漁して積んで来ても買手がつかず釜石港でもこの風評にたたられ開業当時百円内外の取引があったものがばったり止んで最近では僅かに十円内外に過ぎず当業者の大きな悩みの種となり、町当局も之が対策に苦心している。

紅マンヂ会  慰問使   五千円配分に   森氏釜石へ

万国紅万字会審陽支部から人類愛会に三陸沿岸震災地に対する義捐金五千円の配分方を依頼されたので同会東北特派森良仁氏は二十一日之が配給のため釜石に向った。

日詰の追悼会

日詰来迎寺並男女青年団聖典研究会では二十日午後一時より同寺に於て勝源院善念寺両住職の随喜を得岩瀬師導師の下に三陸海嘯死者の追悼会を挙行終って慰問使として宮古田老方面に使せし小川金英師の視察講演あった。

五死体中  一人判明   田老潜水作業

田老村の潜水作業は二十日より開始されたが同日は子供三人大人二人の死体を引揚げ二十一日も引続き行われるが右五名中僅かに赤沼イサ(三ツ)一名の身元判明したのみである。

出稼ぎ希望者  田老村に続出   慰問配給品で仕度して出発    災地に移住者続出

復興に余念のない田老村でも漁業期を控えて福島、宮城県方面に出稼ぎを希望する者が相当あるが村当局でも大いに援助し慰問配給品で充分に仕度をさせ旅費迄支給して旅立たせているが既に二十日迄に二十名の世話をしている。なお同村では今次の惨禍により村民のうちに他町村に移住する向もあるので斯くては田老村の再興も至難であると憂慮し種々防止策を講じている。

田老村  散髪歓喜   宮古理髪業組合    奉仕デー

田老村には海嘯前三軒の床屋があったがいずれも一家全滅となり罹災民は既に二十日を経て毛髪ののびるに従い一層やつれた思いを味わせているが宮古理髪業組合では去る十七日時化のため中止されていた罹災者無料奉仕デーを愈々十九日から実行する事になり当業者が交替に出張して煙草を吸う暇もなく押しかける人々を次から次と調髪をなし罹災者達を喜ばせている。

震災義捐バザー  遠野聖光幼稚園で

遠野聖光幼稚園の卒業式は二十三日挙行されるが式後今回の震災で困っている幼友達のため園児さん達がバザーを同園に開き純益を贈る事となった。

死者・行方不明  宮古署下の分(完) 行方不明

田老村(続) 木村栄次郎 同泰章 伊茂野長蔵 同タカ 鳥居恵四郎 箱石コノ 鳥居ロク 小向マン 佐々木キヨ 田中彦松 同ハツエ 同勇蔵 木村リン 同芳男 箱石千代松 同彦松 同愛子 伊藤ミナ子 鳥居市三郎 同誠 伊茂野スエ 同キク 中村トメ 同ツヨ 土井ミツ子 橋場セン 同洋子 小松栄助 赤沼ワカ 山崎徳郎 同マツ 同馨 橋本良平 同時雄 松本ヨシエ 鳥居ヒデ 同タモ 同フジ 小林徳蔵 同ミヤ 木村ミヤ 同仁平 同源次郎 鳥居栄太郎 穂高キヨ 同■男 佐藤伊三郎 小松シカ 同勇吉 鳥居タカ 同チヨ 木村又兵衛 同サワ 佐藤コノ 田中ユキ 大沢竹次郎 同カツ 大棒章司 川林ハツ 小林与一 同徳太郎 中洞豊年 鳥居七郎 舘ハル 同ワミ 榎本松次郎
重茂村 栗津龍太郎 渡辺由吉 同ハルエ 八巻実 同ツメヨ 同主計 同コウメ 姉石光臣 同八郎 同ソノ 川端貞郎 槙田清蔵 同クラ 同武雄 中村松 同シマ 粟津五兵衛 同タツ 佐々木松吉 工藤熊吉 同幸松 同サエ 同義孝 姉石勘六 同サノ 川端スキ 同サメ 同アイ 姉吉茂男 佐藤留五郎 同ハナエ 同武志 同忠 上野勝平 同キノ 同サミ 木村正治 同キエ 同千代吉 石川清一 佐藤留男 同テル子 国照治 上野アサヤ 木村■■ 同ヒロ 同桂吉 同クメ 同留太 同キン 同清 同正巳 姉吉安次郎 同キミノ 同由次郎 同好朗 前田与志男 佐々木カノ 姉吉由太郎 同エフ 同キエ 同チヨ 木村辰之助 同キミ 同長吉 同ミナ 同イソ 同広志 同ヒサ 同フン 北村徳蔵 岩間森蔵 柳沢森助 中島丑吉 主浜正二郎 神道万次郎 田鎖直意 水本平蔵 小松倉武 臼間永蔵 菊地徳次郎 加藤六太郎 畠山幸蔵 同チヨ 同久 同和夫 木村ミサ 同カヨ 同スエ 同啓一 畠山卯之松 石林力栄 畠山一郎 山崎四郎兵衛 佐々木幹枝 加藤金吉 飯岡広治 木村源次郎 木村政治 平渡清一郎 新屋良雄 佐々木忠次郎 藤村壮一 高橋安五郎 馬場伴蔵 根市福太郎 外舘豊吉 畠山幸子 同利男 木村綱蔵 同政蔵 同良八 倉沢マサ 同公子 畠山万次郎 松野寅蔵 同寅雄 万徹郎 同昭一 伊藤正雄 山崎伊勢蔵 佐々木辰雄 同チヤ 田中留吉 同普次郎 小林兼蔵 上須賀一 盛合フサ 坂本徳弥
織笠村 昆ミサオ 同ノブ 同サキ
津軽石 柳沢平助
山田町 佐藤丑松
磯鶏村 高浜辰五郎 佐々木チヤ

三陸海嘯 義捐金(廿一日迄本社扱)

一円十銭稗貫郡大迫少年団 六十三円八十銭東京王子区岩手県人会大森久平、木村節雄、川股武雄、小野寺昌一、桜庭進、小野寺平助菅原孝平、粒針保身、坂本種芳小野寺孝助、及川金義、菅原伝、小野寺彦助、氏家繁、石原広光、小野寺芳郎、工藤儀三郎、大森財次郎、千葉正雄、千葉幸雄、瀧川なよ、遠井文治、金子仁太郎、小川幸太郎、石川光孝、小川一二三、石井半兵衛、内藤豊蔵、山川辰之助、猪狩鶴吉、栗林陸明、小川喜三郎 四円奉天省綏中駅飛行十大隊三中隊広田勝雄 八十六銭江刺郡羽田小学校尋三及川ケイ
小計 六十九円七十六銭
累計 三千二百二十四円六十四銭
県扱い(廿日)
三円熊本県葦北農林学校職員生徒三円東京毎夕新聞盛岡支局大沼称次郎 五円十三銭盛岡市尊皇党 五十円台北市仙台同郷会 十円新潟県見附町婦人会一同 一円同両津町北条利平 十円間島百草講日本領事分舘佐藤長吉 五円神奈川県沢井尋常高等小学校職員児童一同 十円島根県増田神理教救助会一百円東京市志田町会 三円十銭小梨村南小梨尋常小学校職員児童一同 百四十五円六十二銭黒沢尻町長取扱 七円十五銭二子農業補習学校職員児童一同 三円五十銭神奈川県三井小学校児童職員一同 三十円宮野目村母姉会 十円巻堀村青年団好摩分団員一同 三円四十三銭山口県三隅家政実科女学校一同 三円七銭舞川村青年団一同三十三円一関町長取扱の分 七十七円一戸町長取扱の分 一円五十銭世田米村菊池清美
日計 五百十四円五十銭
累計 二十三万七千九百四十二円五十六銭