文字サイズサイズ小サイズ中サイズ大

低資貸出に関して  委員会で言質をとる   政局の転換期は四月廿日迄に    政友会総務熊谷代議士談

 政友会総務熊谷巌代議士は本県沿岸震災慰問のため、二十一日午前十一時二十五分盛岡駅通過列車で久慈に向ったが車中で語る。
今回の震災に就ては何とも申し様がない。罹災者諸君に対しては洵に御同情に堪えない。政府では最初震災復旧費を期日もないし財源もないからとて予備費で片付け様としたので知事並に吾々が努力した結果漸く二十三日に関係予算案が衆議院に提出される事になった。当所の要求より削減はされても相当の予算がとれた積りである。小舟は九千隻の予算で一隻百円と見て五割の補助、発動機船は二千五百円として補助五割、小舟の漁具は一隻二十円の割に減ぜられた。漁網は五割だが定置漁業の分は四分の一で以上の不足額は低資を融通する事になって居る。内務省の分は主として土木の復旧費で商工省の中小商工業者に対する補助十八万円かは今回初めて認められたものである。
 大体今日の予算は漁船漁具即ち生活資料の復旧補助とその不足は低利資金を融通する様に仕組まれている。低利資金も据置期間の五ヶ年間は政府で利子の補給をする様要求したが前例がないとて大蔵省では公共団体の分だけを認めた。なお内務農林両省の予算に二万円宛の善後調査費が計上されている、之は将来国庫で復興費を負担する前提であるから此店と低利資金の貸出に関して小野寺、八角両代議士が予算委員会において政府の言質をとる筈である。

熊谷代議士日程

震災地慰問の熊谷代議士は二十一日八木より自動車で久慈に至り一泊して沿岸各地を見舞い廿五日盛岡に一泊、二十六日午後六時二十五分発列車で帰京の予定である。

復興計画に関し  政府に肉迫せん   廿三日の予算総会に    小野寺代議士から

(東京支局郵信)政府は二十日の閣議で三陸震災応急復旧費六百三十万円を承認し復興計画に関する予算は追加予算案とは別に切離して昭和九年度に提案することになったが県選出代議士は二十日午後二時より院内控室に会合の上復興の善後策並びに予算編成の希望等について協議を重ねた結果に廿三日の予算総会に於て小野寺章代議士は
一、公共在団体に非ざる組合個人への融資に対しても国家が五ヶ年間利子補給をなすこと
二、内務農林両省では昭和八年度に各二万円を以て復興計画に関する根本調査を行う予算をくんだが昭和九年度に於て果して復興計画を実施するかどうか
この二項につき政府の言明を求むることになった。

土木課長帰来談

(花巻電話)震災々害復旧工事に関し上京中の上野県土木課長は二十一日午前十時二十七分花巻駅着列車で帰県直ちに花巻温泉千秋閣に於て記者に次の如く語った。
 復旧計画として県当局では災害復旧だけではなく津波の防禦が必要であるので積極的復興計画を得てその方法として道路の改修を計画し盛岡を中心に海岸道路網を完成し津波の防禦として沿岸防波堤を築く事陸上の津波防禦として防浪建築物の建造潮よけ堤防の築造流れてしまった市街地区画整理を行い都市計画を行い原則として十米以上の高地に住宅を建てらせる事に計画しこの予算総額は六百万円を要求したが大蔵省に於て新規事業は全く認めず災害復旧程度に止められ災害復旧費
 県工事 三十九万四千七百円
 町村工事 百三万七千八百円
 合計 百四十三万二千五百円
住宅適地造成金利子補給低利資金貸付金(住宅移転資金)三十四万四千四百円(五ヶ年据置十五ヶ年償還)貸付町村は赤崎、越喜来、綾里、広田、末崎、鵜住居、唐丹、船越、大沢、小本、田野畑の十一ヶ町村であるが然して貸付個所をかえてもよい事になっている。尚区画整理資金を十万円に決定し施行個所は釜石、大槌、山田、大船渡、気仙、田老である而して災害復旧費は国庫補助八割五分交附される事になっている尚昭和八年度施行の土木匡救事業は決定額の外■十五万円増額に決定した。又釜石、久慈、大槌の港湾修築工事の流失分に対しては明年度に於て補給される事になっている。

支払わねば  訴訟   火災保険問題   で加茂氏語る

火災保険問題で上京中の釜石町会議員代表加茂久一郎氏は二十一日午前十時二十八分花巻駅着で帰県直ちに仙台に引き返したが花巻駅で記者に次の如く語った。
 二十日午後三時火災保険協会代表波多野書記長に面談したが協会側では地震に依る火災であるから支払いかねると主張し吾々から地震は遠因で津波が原因であると協調したが結局水かけ論で分かれたがどうも協会側では地震と火災との関係を誤解しているようである。どうしても支払わぬとなれば法廷で争わねばならないと考えているが結局会社側も我を折って保険金全額は支払わぬとしても多額の見舞金は出すと思う。仙台で保険協会仙台地方会の神谷会長に面談する考えで一足先きに来たのである。
と語っていたが氏は震災依頼罹災民救済又保険問題に不眠不休で狂奔して居り可成り憔悴の体であった。