大海嘯見聞記(2) 後 藤 生 小友から越喜来へ
小友村只出の部落も郵便局より少し下手の田まで波がやってきた。ここも全滅といっていいでしょう。神社は何処でも小高い処にあります、随って安全です、この村の人達も今度は是非高い処に住家を建てましょうといっていた。神社を孤立させずに、神人共に住むという事にしたいものだ。大分長い事流されて不思議に助かったお婆さんがあった。又欲のある老人がとうとうやられたという事でした。
流失家屋 三二 死者一八
馬一〇頭 発動機三 漁船八七十隻
広田村に向う。喜多部落も大分やられて居ます。それでも青年団や消防の人達が一パイの船を砂原から海に送り出して居ます。復興への元気な光景です。根岬も大分いたんで居ました。土木管区の調査に依るが、ここでは浪が五十五尺の高さに上って居る。之が今度のレコードでしょう。泊は漁業組合の鉄筋コンクリーが無事でその他はすっかりやられて居る。漁船八五〇、発動機船二〇、漁具一〇万円という事でした。佐々木組合長が『占用漁業権をこの際認めて頂いて勧銀から融資をして貰ったら』という話しをするのだった。漁業組合は六十六組合とかあるそうだが、これが根こそぎにやられたのです。今迄の負債も四五百万もあろうが、もう抵当物がないとて、見てやらないという政治はない筈だ。経済もない筈だ。この村の罹災戸数一六六戸、救済戸数一二二戸、死者一九、行方不明二六、傷者一一名、損害総額二七万円という数字である。赤崎、綾里に次ぐ大被害村である部落別にすると
被害戸数 家族 非住家
泊 四二 一〇六人 四二戸
中沢 一三 二九三 一二
根岬 二四 一四四 三五
喜多 一一 四一 一七
長洞 八 五〇 八
大陽 七 二二 八
中央 二〇 一〇六 一八
末崎村細浦に入ってくると、両磐方面からの救援隊の人達で身動きもならぬ程である。国沢家政女学校長が女子青年団をつれてやって来た。被害も大変である。後でさかりで奥田教育課長から聴いた事であるが、この村ではあまりの惨事に茫然自失して四五日の間は何事もし得なかったという事である。部落別に被害を見ると
罹災戸数 流失倒壊 死者
船河原 八 一二 一〇
峯 岸 三六 四九 二
細 浦 三〇 四三 一
中 野 三三 四八 一
小細浦 一三 三二 一
小河原 一 一 —
門之浜 七 一五 —
泊 里 二九 三八 五
碁 石 一 一 —
平 — — 一
小 田 — — 一
計 一五八 二三九 二二
船は大三九、小四一〇隻、要救護人員八八七名
在満兵近藤正二君、小松幸三郎君の家は流失したが家族に異状なかったのは不幸中の幸い。但海軍兵村上幸三郎君の家では母と赤ちゃんと残ったがお母さんは、気がふれているので村上君を何んとかして家におくようにしてくれという陳情があった。
大船渡町は見た処大した被害もなさそうだが役場での話しを聴くとここは三陸沿岸中第一の鰹製造の多い処で(年額四〇万円)その製造場が全滅して居るのである。これを早く復旧せぬと廻来船がやって来ないので町が衰亡するという事だった。何事も杓子定規をしたがるお役所としては、何うかとするとこういう処を軽視せぬとも限らぬ復興計画は適切妥当にやって頂きたいのである。此町の数字は死者二、傷一、全潰住家三〇、非住家二五流失漁船七九、破損二五である。それから盛り署を訪ねると奥田課長を始め署長、警察官達は昼夜兼業の活動で疲れた顔をして午めしにうどん一パイづつほおばっているのだった。綾里と赤崎はこの郡随一の被害地であるが、幸いにも綾里は駆逐艦一隻を占めて甘くやり赤崎も駆逐艦の積荷半分をせしめ配給百パーセントの成績その後県では船を徴発して海路より物資を輸送して居るとの事だった。
残念だったが綾里、赤崎を見残して私共は盛から越喜来に向った。ここも大分ひどいが、波打際にある小学校が大津波■貪へといった顔をして厳然と残って居るのが気強い感じを与える。
東海岸の復興に 産組大飛躍を企画 支会、産組関係団体が連合で 救済復興対策協議
産業岩手支会、県購連、県信連、県糸■連合の東海岸罹災地産業組合救済復興対策協議会は十四日開催の予定であったが都合により十六日に延期されたが右会議に於て応急策恒久作を樹立し東海岸復興は産組からの指導を与える筈である。尚支会では会議終了後直ちに罹災上閉伊、気仙、下閉伊、九戸各郡別に組合長、理事を集め協議会を開き指示することになった。産業組合は農村には非常に発達を遂げているが漁村方面は比較的熱意がなく産組拡充に困難を感じていたが今次震災を議会に徹底的に進出を図るべく企図しているから今後の活躍は非常に注目すべきものがあろう。
漁船修理の継資金は 速やかに融通す 応急資金として十万円は出す 黒澤連合会長談
三陸大海嘯を受けて漁村産業組合は徹底的に潰滅され、これが復興はかなり困難と見られていたが各漁村共更生の意気猛烈に起り復興気分が溢れている。県信連より資金を融通している赤浜、船越、米崎等各漁業組合は県当局の尨大なる復興計画により近く救済策が講ぜられるのでこれが実現を非常に期待しているものの応急策が小漁村に実施されるまでは二三ヶ月は要するではないかと見られ盛漁期を迎え焦慮している有様で漁船の新造は到底間に合わない模様とあって至急破損した漁船の修理をなす外途なしとしてこれが継続資金の要求が盛んに起り県信連に続々資金借入の申込みが到着しているが信連では実情を精査の上速かに融通をなす筈である目下の予想では応急資金として十万円位出るものと見られ準備中である。黒澤連合会長語る。
罹災組合の貯金は七万円程あるがまだ払い出しの要求は少なくこれから出ると思う本日までは非常貸出しは二万円に達しているが応急資金は十万円以上貸出される筈で尚恒久資金としては出来るだけ便宜を計りたいと思う産業組合の偉力は充分に発揮する。
追加予算重要 費目
東電)十三日の大蔵省議で内定した昭和八年度追加予算案中経常歳出の大部分は大蔵省所管の昭和七年度及び八年度追加予算に伴う公債利払い額約六百十五万円で臨時部に於ては内務省所管の北海道救済費九百三十万円、災害復旧費七百万円、外務省の救恤金三百万円海軍省関係の海軍公廠資金補足三百万円及び農林省の乾繭補助費二百万円等が重なるものである。