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小路小路に入って  罹災者を激励慰問   感激の裏を大槌から宮古へ    大金侍従の視察

(釜石電話)七日釜石鉱山鈴子旅舘に一泊した大金侍従石黒知事市瀬旅団長の一行は八日午前八時二十五分自動車五台に分乗旅舘を出発。松原の被害地を車上から視察同部落の罹災現場で市瀬旅団長は派遣兵家族長沢松次郎一家阿部ルエ藤原三蔵石森惣吉に慰問の言葉を述べ場所前東前を経て同九時四十分全部落全滅の状態にある両石部落に到着。二本松村長から災害の状況を詳細に報告し石黒知事は災害地の復興は組合組織に依って一日も早く衣食住の完備を計る様にと激励した。同十時鵜住居着慰問品 給状況を視察し大槌に向う大槌町の災害状況は想像以上に惨劇を極め居り住家は一として完全なものなく一行は其の余りにも悲惨で不安と興奮の裏にある町民の思想の変化にいたく心痛し各町の小路々々に這入って罹災者を厚く慰問した。同町は一度災害に見舞われるや通信機関は杜絶し小槌橋は怒涛の流失によって全く孤立の状態に置かれた為に災害の程度が判明せず救護の手続きが遅れたが小槌橋は七日夜開通慰問品が送られる様になったので町民は非常に感謝している安■橋も両三日中に出来上る予定である。一行は架橋作業に当っている小柏中隊長に感謝の意を述べて午前十時三十分安渡へ向った。

一行宮古へ

(釜石電話)上閉伊郡大槌町の災害地を視察した大金侍従一行は後藤町長の案内で八日午前十時四十五分頃最もひどくやられた同町安渡吉里の両部落を親しく視察したが安渡に於て侍従は宮中用の巻煙草十数本を後藤町長の手に渡し消防組青年団その他の団体代表者に分けてやってくれとのことに後藤町長は恐懼して拝受した。尚附近で侍従を御迎え申した十五六才位の少年が三四才位の子供を背負っていたが侍従自ら子供の帽子をとっていたわり慰めの言葉をかけ人目を惹いた斯して十一時半頃上閉伊郡の視察を終り下閉伊郡下を視察すべく宮古に向った。

死体を納むる  何物もなし   宮古以北の惨状に    八戸市会で救援の申合せ

(八戸電話)八戸市に於ては九日市会を招集し今回の震災に拠る岩手県沿岸にして宮古以北の交通不便な港湾を慰問視察すべく協議をする事となった。
 即ち宮古以北の沿岸は殆んど八戸湊を取引の根拠として居る関係から同地方の発動汽船が木炭積込の為め港湾を訪れた結果沼岸部落の悲惨なる情報が判明し下閉伊郡内の島の越部落の如きは只二軒の家丈け残されて居り各地とも交通不便の関係から殆んど救援の手が行届かず、ゴロゴロした死体の始末をするにも箱もなく釘等も勿論ないと云う状態で手の施し様のない有様である事から同市会ではこれ等に要用の物品及食料等を積込み慰問に出発する予定である。同地方有力者の談に依れば岩手県の当局は広範囲の救済で困って居る様だがこれ等宮古以北沿岸の救済は八戸市に根拠を於いて市当局と連絡を取り救援の万全を期すべきだと云って居る。

復興第一歩 釜石■警察署隣川端万助方の■■

岩中生が
 救援志願
  二十名出動
岩手中学校四年生は、試験休みを利用して罹災地へ救援出動したき旨申出でたので、学校当局としても極めて好ましい事とて早速県の方に相談する事になった。尚いよいよ出動となれば、四年生中身体健丈な者二十名を選び、十三日より二十日迄比較的人員の不足している地方へ赴くことになるであろうと

栗谷川訓導葬儀

三陸震災により悲惨なる殉職を遂げた下閉伊郡小本小学校奉職中の市内葺手町栗谷川あさ(三一)さんの哀しき葬儀は九日午後一時より寺の下祇陀時に於て営まれる。

第四回配給品  気仙地方へ   小森本社員指揮のもとに    今朝本社を出発す

東海岸罹災者救援の手は挙県的に伸び慰問品は続々として本社に持ち込まれて社内は所狭き迄に慰問品の山をなしている本社では之等慰問品の内から第四回配給として
 白米五俵、食器十五梱、ゴム靴二梱、雑品二梱、マッチ、枕、足袋、衣類、グリコ各一梱
を取纏め気仙郡一帯に配給する事となり九日早朝小森社員指揮の下に盛岡を出発した。

寝具、食器  依然不足   きのう発送

県配給本部では八日午前午後を通じトラック六台と汽車便にて釜石盛、宮古、久慈、岩泉の五方面に衣類百二梱、藁フトン三百その他食料品等を発送したが罹災者で依然不足を感じているのは寝具、鍋釜の炊事用具に食器類である。

被害調べ  ゆうべ九時発表

東海岸災害状況八日午後六時現在調べは八日午後九時左の如く発表になった
 被害戸数七、六〇九戸 被害人口四七八二〇人 流失家屋二、九五五戸 全壊家屋六三八 同半壊四一〇 焼失家屋二一六戸 床上浸水二、〇二四戸 床下浸水一九〇戸 死者一、五二二人 負傷者六六五人 行方不明者一、一一五名

軍人家族罹災者

八日午後三時現在出征軍人家庭の罹災戸数は百三十八戸内地部隊入営兵家庭は四十五戸と判明した。

更に二千俵 政府米発送

七日石黒知事から政友会熊谷総務宛政府貯蔵米二千俵の払下げ方に関し尽力ありたき旨来電あったので熊谷総務は後藤農相へ電話を以て交渉し即時災害地へ政府米を発送せしむることになった。熊谷氏は災害発生当時一千俵の政府米を急送させたたので今回輸送の二千俵を加え都合三千俵を送った。

尾崎神社で  復興宣言祭   焦土に雄々し    く二十八日

釜石町郷社尾崎神社は龍宮舘を残したのみで鳥有に帰し山本神官は書籍、家財、考古学資料等一物も出さず同氏私有財産のみで約一万余円の損害を蒙った。尚尾崎神社丈けの損害で十万円の巨額に上る見込である。幸い神輿並に御■台は難を免れて釜石署楼上に移御された七日夕刻盛岡八幡神社宮崎社司、遠野同神社菊池社司両氏は県郡神職会を代表して慰問に来町八日午前十一時より清祓祭を挙行二十八日は復興宣誓祭を行う事になった。

親の心子知らず  岩泉方面との情報を絶った   奇怪な仙逓係長

震災地岩泉地方と県との連絡は同地岩泉署の警察電話が不通となったので九戸郡葛巻駐在所まで県から警察電話を利用し葛巻岩泉間を無料で公衆電話を利用させられたいと仙台逓信局長に許可を願った処快諾を得たが奇怪にも岩泉郵便局に出張中の逓信局文書課佐藤庶務係長は無料使用絶対不許可を唱え県より再三再四逓信局長の諒解を得たにもかかわらず八日に至るも使用せしめずその結果岩泉方面の災害状態は殆んど県に到達せず救護情報蒐集に大支障を来してる。

患者の総計 二百六十人  日赤救護班  の活動

日赤岩手支部では医院看護婦等二十名を以て救護班を編成し釜石、山田、小本、種市の各町村に分派したが救護所開設以来七日までに患者総計二百六十一人延人員四百五十人を救護した。

盛電宮古支店が 電燈無料奉仕

(宮古電話)盛岡電燈宮古支店では罹災者に対し電線取付け及び一ヶ月分の電燈料の無料奉仕をなす事になった。

平尾賛平氏寄附

レート化粧料の本舗平尾賛平氏は三陸沿岸の震火災に同情し■に東日東朝を通じて義捐金を送附したが本紙に依って漸次発表される被害の激甚なるに益々同情本紙を通じて更に金百円を罹災各地に分配され度申し込んで来た。

ウサギミルクも

東京ウサギミルクのマンロー商会より今回の震災害地へ慰問品としてウサギミルク廿五打を送って来たが本社では直ちに夫々各地へ向け発送した。

記念舘慰問週間  三陸震災写真も公開

記念舘の三陸大震災慰問週間は八日から第一第二両舘で開催されているが映画は日活時代劇『悲恋真陰流』現代劇『霧の夜の客間』『一心太助』尚特別上映として電通社が機上より撮影せる三陸震災の実況をも公開する。

越喜来小学校  八日より開校   力強き更生の第一歩    鈴木教職員互助会理事帰庁

県教職員互助会鈴木理事は気仙郡下被害地に出張八日二千円の非常貸出を行い帰庁して語る。
 学校の多くは閉校しているが、越喜来小学校は八日より開校し力強く更生の一歩を踏み出して居り心強く感じた。今後教育関係の救援は学用品であろう。教科書其他の■■である教育会でも■■各府県教育会の応援を求め■つもりである。

諸井鉱政課長談

(仙台電話)釜石鉱山の災害■■■■のため出張中であった仙■鉱山監督局諸井鉱政課長は八日帰仙したが釜石鉱山の損害状態について語る。
 釜石鉱山専用の鉱■の一部損傷其他■■輸送クレーン等に被害あり■■は凡そ五万円に達する模様であるが鉱山当局は時節柄注文殺到に追われているため三日以来一■の休止を行ったのみで今日では全く常態に復し■鉱能力を■■に■■してあるのは喜ばしい。

吉冨少将来県

仙台第二師団司令部付吉冨少将は仙台連隊区司令部高橋少佐を随え八日午前十時七分着列車で来関、大船渡線で出征家族慰問のため気仙沼に向った。

復旧には極力  軍部も支援   谷少将視察談

震災地視察中の陸軍大臣代理谷少将の一行は八日一旦帰省し午後三時二十分発で青森県に向った谷少将は語る。
 五日夕現地に到着以来強行を続け沿岸罹災者の被害状況を踏査し陸相代理として慰問した震害は想像以上である。罹災地に於ては県の学務部長を始め各機関の出張員は文字通りの東奔西走を続け郷軍青年団員等と協力復旧に努めて居りその活躍に感激した。東京から■■■うの■と共に■■自動車が釜石に■■されたのに出会ったが真に敏速な行動である。罹災地はその後天候に恵まれ食糧、被服の配給も概ね順調に進み工兵隊の活動で海岸道路も殆んど復旧した私の意見であるが本県海岸の交通路はこの際最も完備し置く要を認める派遣軍人遺家族出征軍人には陸相に代って厚くお見舞した現地にある軍隊は陸海共に不眠不休の努力を続けて居り今後も軍部はその復旧に出来得るだけの支援を行う意向である。罹災地郷軍に私から要望する所のものは未曾有の天災とは云えこれに意気を沮喪する事なく第一線となり復興に力を致すべき事であり現に海■奔弄の後に更生の意気に燃えながら復旧作業に不体の軍人会員を多数見受けた事は不幸中とは云え快心の至りだ。

防潮林の必要  西沢農林省  技師の談

元本県山林課長の西沢農林省技師は八日震害地視察のため来盛し県庁で打合せの上釜石町に向ったが技師は語る。
 農林省では全力をあげて本県の復興にお力を添えることになっている。来県の途次高田松原を視察して痛感したことは恒久的海嘯防対策として是非この際海岸に防潮林並びに保安林を造る事である県も充分留意し居らるるであろうが本省ではこの方面に力を注ぎたい。

出先県官疲労  斉藤■帰る

丹羽社会■長官に■■し沿岸罹災地を視察した斉藤■は八日午後三時十四分着で帰 した同氏は語る。
 丹羽長官と沿岸を■丸で視察した田老村には上陸して踏査したが全部落は大海波にもみにもまれて家族も死体も一しょになり■をなし僅かに残った寺院の周囲は死体に埋まって居り惨状目も当てられなかった長官もただヒドイの一言で言語に絶した被害に唖然として
■かれていた出先の■官も不眠不休の活動を続け疲労困憊しきっている様子であった。

今回震害及海嘯に因り父千次郎儀 死亡に際しては御懇篤なる御悔下され御厚情の段忝く奉存候
 混雑の際御尊名伺洩有之べく謹んで以紙上御厚礼申上候
  昭和八年三月八日
      九戸郡夏井村
       小坂製材所
        小坂八十四郎

今回の震災害に際しては大方各位の御見舞を辱うし誠に有難く厚く御礼申上ます。
尚支局員一同は何等の差障もなく報道の任務について居りますから御放神下され度一々御礼状差上べきの処混雑に取り紛れ御尊名伺洩れ等も御座いますから略儀ながら紙上をもって御礼の御挨拶を申上ます。
 釜石町大湊
 岩手日報支局
  菊池吉太郎
  金田 耕郎
  小笠原忠治