配給着々すすむ 支庁の活動 配給一段落
(宮古電話)下閉伊支庁では県の方針に従い取敢ず十日迄の救済策を第一段とし此の方針によって食料及び毛布等を調達しているが罹災町村に於ける要救護者は戸数一千百十六戸人口九千百九十二戸である毛布は軍部の供給によって各戸四枚宛づつの配給を終り各方面より衣服寝具は続々と送られて来ているので此の方は不足とは云え寒さをしのぐだけには沢山であるが食料の方は十日分の調達が出来ないでいるが七日中には調達し配給を終る筈であり。之が一段落つけば更に二十日頃迄の食糧を調達する第二段の策を講ずることになっている。
要救護者
宮古町 二九戸 一七一人
山田町 三二九 二、一三〇
崎山村 一 七
田老村 二、三〇五
小本村 七〇 四四九
田野畑村 一三七 六八九
普代村 八五 四二二
磯鶏村 四二 二九五
津軽石村 八 五四
重茂村 三八 二二九
大沢村 九五 六一六
織笠村 一 四
船越村 二八一 一、八二一
配給品満載 トラック出発
県配給本部では七日午前午後に亘りトラック八台に被服二百梱食糧品を満載し■方面震災地に発送し一関配給所との情報連絡を密にし配給品輸送に敏活を図るため七日から騎兵二十四連隊電話班の応援を得て盛岡駅と本部間に軍用電話を特設し非常徴発を行なったトラック数を調査し緩急に応じての連絡統制を図りつつあるが現在のトラック配備状況は
盛岡十台、盛五十台、釜石五十宮古百、久慈二十五。その他で非常徴発の自動車並びに救援十時の数は盛岡四十一台、自家用二十三台、一関十五台、千厩九自家用二、沼宮内五、日詰十自家用三、盛十五、遠野十三、釜石十七、宮古三十六、岩泉十九、久慈十二、■米四、二戸十六台等営業用自動車のみでも三百余台に上っている。
救護品の買上額は被服六千九百四十円食糧其他十万円で移動本部及び地方出張員も必需品の非常買上を行い配給を急ぎつつある
政府払下米 宮古方面へ
宮古を中心とした災害地に配給される政府払い下米は七日午後平津戸駅に七百俵他の休養品合せて五十五貨車がおくられたがトラック其の他鉄道以外の運輸機関なくこれが輸送には全トラックを動員してこれにあたらしめることになった。
両艦の配給 地方民感謝
(宮古電話)軍艦厳島は救恤品を駆逐艦小風羽風に分配し両艦は六日午後二時宮古港に入港左の如く配給した軍部当局の救恤品は衣類食料等急速に役立つもののみであるので救護には非常に効果をもたらしており軍部の敏速な活動に地方民は非常に感謝している。
小風 毛布一、三〇〇枚△服三七〇〇枚△ジュパン—八〇〇枚△缶詰九九〇班△ビスケット一二四〇瓩
羽風
毛布六九〇枚△服一、九八〇枚△ジュパン九二〇枚缶詰五三〇瓩△ビスケット六六〇瓩
食器が不足 本部に情報
配給本部で入手した情報によれば被服、食糧品の配給は一部僻■地を除くの外円滑に進渉しているが罹災者が最も不足を痛感しているのは食器類で鍋釜茶 類である。
救助配給船 三隻雇入れ
県にては七日救助配給船として青森県船籍発動機船三隻を雇い入れ左の如く配置附近罹災地を巡航せしむる事になった。
△広吉丸(十五屯船長川村半三郎)久慈へ午後六時入港▲報徳丸(十四屯船長川村豊治)第八正憲丸(十三屯艦長川村長五郎)小本港へ午後八時入港
唐丹村の惨状に きのう大金侍従の驚き 村民かがり火焚いて出迎へ 知事の案内で視察
(唐丹村にて遠藤特派員発)畏き辺りから御差遣の大金侍従は七日宮城県より矢作着気仙沼沿岸を視察の後午後五時唐丹村大石に到着災害地を視察したが小学校に収容されている罹災民に対し一人一人に丁寧に慰問の言葉をかける夫より船で六時四十分小白浜に至り連日の旅にも疲労の模様もなく約十町の陸路を強行災害激甚の本郷部落に向い詳細に調査しその惨状に驚きつつ小白浜小学校釜石病院小白浜分院の収 の罹災者並に■病者に対し同様慰問した案内役は石黒知事一戸旅団長始め一行十五名で村民達は侍従来村の報に唯感泣し災害の跡数ヶ所にカガリ火をたいて出迎え石黒知事木村助役から実情を聴収大金侍従より罹災者に対し慰問の言葉があった。
一日も早く復興を 有難き大御心に酬い奉る途 大金侍従謹話
(唐丹村にて遠藤特派員発)大金侍従は石黒知事その他の案内で唐丹村を視察したが記者に対し非公式に左の如く謹話した
東北地方は天恵薄く陛下におかせられては日常御■念遊ばされていたが此の度の災害に際しては殊の外御心■を御■みあらせられ審さに状況を調査せよとの御沙汰を拝したのでどんな不便な所でも精査する考です、一歩一歩踏み入るに従って惨状愈々甚だしく始めは日程を作ったが余りの惨状につい暇どり日程も目茶苦茶になった吾々民草は根気限り復旧に務め一日も早く復興をはかり有難き大御心に御■い申さねばならぬ。
唐丹村の復興 困難と見らる 軍隊班からの報告
下閉伊郡鵜住居村の小松大尉から七日午後六時左の如き報告が到着した。
△小柏大尉の指揮する工兵隊は倒壊した家屋の被材を使用して大槌橋を架設中
△平松中尉は派遣将兵家族を戸別訪問し極力調査すると共に在郷軍人青年団員を指揮して被害状況を調査中
△釜石方面は配給物資は均霑して分配されている
△唐丹村は順次回復しているが■交通不便で配給は均霑しないまた復興も村民殆んど死亡しているので急速なる復興は困難とみられる
△鵜住居方面は五日夕から■燈配給は■良好である
△■石部落では復興未だならず暇小屋さえ建っていない配給及びバラックの建設は緊急を要する
△大■安渡、赤浜方面は未だ配給ならず毛布は一戸に一枚の割で小屋掛材料に乏しい寝具は不充分である
△大槌山田間道路復旧は焦眉の急である
△大槌橋架橋工事七日午後五時半完成八日は安土橋及び附近道路の復旧工事
△佐藤小隊は山田織笠工事中
△工事完了後は九日帰隊の予定
◇
盛岡衛戍司令官から災害地に派遣された救護調査班の動静は左の如くである
増田■■八日■盛、江口大尉同小松大尉同、高橋大尉未定、内田軍■未定
唐丹の死亡者
(釜石電話)今回の津波で被害の最も烈しい気仙郡唐丹村の死傷者判明したるもの左の如くである。
死亡庄岸 浅沼とめ 池田宗兵衛 同とよめ 同さとえ 同勝男
小白浜 高山いわ 同ゆき 出羽かつ 中村栄之助 磯崎たか 佐久間市太郎 佐々木留太郎下女
花露辺 大瀧なみえ 佐々木勘七 斎藤信■ 葛西総治郎方母とね 斎藤源太郎母と子四人
△重傷(本郷)板乗清之助 同マン 曽根コデン同サト(死亡)佐々木ウメ 鈴木おもよ 尾形正一 葛西きく 山沢長松 阿部デン 青山トクエ 新沼トヨノ 青山カツエ 鈴木善一 田中チセ 久保ヨシノ同キクヲ 岩崎サキ
哀れ溺死児童 気仙で四十名
(盛電話)気仙郡内小学児童にして今回の水害に哀れ激浪に呑まれいたいけな屍体となり発見されたるもの左の如し。
綾里七、赤崎一二、広田四、小友二、気仙三、越喜来八末崎四
岩泉署下の全滅家族
岩泉署下今回の海嘯で全滅せる家族は左の如くである。
普代村三戸十人
中村武一家四名 熊谷■次郎一家三名 太田六蔵一一家三名
田野畑村一戸五人
畑山寅助五名
小本村十三戸六十五名
山内喜七郎九名 中島吾平三名 ■石広吉二名 熊谷留吉三名 島■■吉七名 及川清之丞七名 三浦源次郎五名 岡留太郎七名 栗谷川あさ一名 加川末治三名 鈴木与四郎四名 菊池清七七名 鉄道工業小松飯場高橋松四郎外十二名
県是製糸の慰問
県是製糸では今回の侵害で県に千五百円、宮城県に三百円、青森県へ二百円の慰問金を送ったが特約組合員に対しては左の如く見舞弔慰をなすべく目下十名の社員を派遣して調査中。
流失家屋一戸十円、破損同五円浸水同五円、負傷者二円より五円まで、死亡者一人十円
満州国より 義捐金 委員会を設置して ひろく募集
(東電)満州国代表公署では三陸地方震災義捐金募集について本国政府と協議中のところ七日ふ儀執政よりも見舞金を若干送附する旨代表公署に通知して来た。又満州国政府は軍政総長張景恵氏を委員長に中央銀行総裁■厚氏を副委員長とする。三陸地方義捐金募集委員会を設置し全国的に義捐金の募集をすることに決定した。
東陸自動車開通
盛岡釜石間の東陸自動車会社は震災後路線の復旧なり八日より従前通り運転開始することになった。
微塵の山田町
特派員撮影
仙鉄無賃輸送
(仙台電話)仙台鉄道局では三陸地方災害復旧の為労力奉仕をなす団体に対し各項により無賃輸送の取扱いをなす事になった。
一、区間 宮城岩手青森県省線各駅と石ノ巻、千厩、気仙沼陸前矢作、平津戸、遠野仙人、沼宮内、古間木、階上、陸中八木又は久慈駅等の相互間
二、等級 三等に限る
三、期間 三月七日より三月二十日迄
四、取扱二件
イ、十名以上の団体たる事
ロ、無報酬にて引続き三日間以上労力奉仕をなすものなる事
ハ、県又は市町村長発行の証明書を所持する事
復興事務局 職制と事務分担
本県では震災地の復興につき十日復興事務局を設ける事になったが職制並に事務分担左の如し。
局 長 内務部長
総務部部長 官房主事
庶務係係長 地方課長
副係長 高等課長
罹災地警察署長、出先官吏、市町村其の他各方面との連絡に関する事項
見舞客の応接、接待、見舞文書の処理其他儀礼的事項震災記録調整に関する事項
他係の主管に■ぜざる事項
◇経理係
係 長 庶務課長
副係長 会計課長、社会課長(兼)
罹災地復興に関する各般の経理に関する事項
◇救護部
部 長 学務部長
義捐金品係係長 社会課長
副係長 教育課長(兼)
御下賜金の伝達に関する事項
義捐金品募集に関する事項
義捐金の接受及配給に関する事項
物資係係長 農務課長
副係長 商工課長、山林課長(兼)保安課長(兼)教育課長(兼)衛生課長(兼)社会課長(兼)物資の調達及配給に関する事項義捐物品の接受及配給に関する事項
◇警務部
部 長 警察部長
警備係係長 警務課長
副係長 刑事課長、巡査教習所長
警戒警備に関する事項
情報係係長 特高課長
副係長 保安課長、高等課長(兼)刑事課長(兼)
情報蒐集及発表に関する事項
高等通報に関する事項
救療係係長 衛生課長
副係長 健康保険課長
救療に関する事項
保険防疫に関する事項
◇復興部
部 長 内務部長(兼)
規■係係長 商工水産課長
副係長 山林課長、農務課長(兼)庶務課長(兼)耕■課長(兼)土木課長(兼)教育課長(兼)地方課長(兼)保安課長(兼)社会課長(兼)
罹災地の復興計画に関する事項
工営係係長 土木課長
副係長 耕墾課長、山林課長(兼)
復旧工事及復興工事に関する事項
其の他各般の技術的作業に関する事項
◇備考 1、震災善後措置に関しては其の他各般の事務存ずべきも夫々庶務細則に定むる各課分掌事務に従い処理すべき物とす
2、局長、部長不在の時は夫々その事務に関する主務部長、主務係長その事務を代決し係長不在の時は副係長(副係長二又は二以上ある時は係長に於て代決者を指定す)之を代決す
3、右の分掌事務は係長副係長の下に属する課員をして補佐せしむるを原則とするも事務の業■に随い適宜他の課長と協議の上その議員をして補佐せしむることを得
4、震災善後処理関係文書には総て○■の印を押捺し時に迅速に処理すべきものとす
非常警備司令部 一月間存置
警察部長室に設置の非常警備司令部は県庁内に震災善後処理部の確
立後と雖も尚非常助員を行って現地に派遣せる警察官その他は当分現地に止まり現地警察官を応援調査警部救護の指揮統制に働く必要あるので今後約一ヶ月間は存置する方針であるが非常警備司令部に即日合体した。衛戍司令部は七日旅団司令部に復帰し以後主として軍独自の調査救護にあたることになった。
被害現在調べ ゆうべ八時半発表
七日午後六時現在の被害状況は午後八時半県中央本部から発表になったが家屋の被害全倒壊七百十四戸半倒壊四百一戸焼失二百十六戸浸水床上二千十三戸床下百八十三戸人の被害は死亡千四百七十七名で負傷者五百五十八名行方不明千百三十五名である。
津波の速さは 一秒十メートル 国富技師の震災地視察談
(仙台電話)中央気象台国富技師は六日午後二時半頃高田町より唐桑村の参上を目前にして語る。
自分は大金侍従と同窓であるからお会いして大津波の予報法を申上げたいと思っていました。今回の地震は北海道より茨城県の沖合に至る大地震帯の外側地震でありこの地方は一ヶ年千回位の地震があからどの地震が津浪を起すが予測することは困難であるが今後は大したことはないと思う。今回の津浪は只越浦のようにY型のところでは大きい普通海上では時速百米位の早さで来るが湾に入ってからは一秒間十米位の早さで丁度自動車の速力であるから防波堤を作り見張番を置いたら相当な予防が出来ることと思う。もっと積極的予防方法を大金侍従にもうし上げたいと思っている。
盛女生家族は無事 釜石へ両教諭視察
盛岡高等女学校震災地出身者三十五名に代って四日朝、釜■地方へ出発した舘下、加藤両教諭は五日夜当地方出身生徒の十三家族何れも無事との報をもって帰盛した同校ではその他、地方の生徒の家族もたいてい生命は取りとめたとの報がはいっているが気仙地方の出身の二生徒の家族の消息はまだ解っていないので心配している。
中村市長の慰問
(宮古電話)中村盛岡市長は罹災地慰問のため上飯坂社会主事を従えて七日午前九時宮古出帆惨害の田老村を訪い■口村長に金一封並びにキャラメル、たばこ等を贈呈し午後三時宮古町に帰ったが八日は磯鶏村、山田を経て大槌、釜石に向う筈、尚村井市議及び盛岡仏教会慰問使上舘全霊師も七日田老村を訪問した。
横田に懲役求刑
社会大衆党横田忠夫以下五名の暴力行為恐奪等の控訴公判第二日の六日は岡沼検事から横田忠夫に対し懲役一ヶ年、以下共犯者に原審通りの求刑あり午後五時半閉廷、七日は河上石川弁護士の弁論があった判決言渡しは二十三日
小屋掛材料千戸分 罹災地七ヶ町村へ
県では七日小屋掛材料第三次配給を行った。材料は釜石大槌鵜住居唐丹綾里広田末崎七ヶ町村に千戸分で全部青森県湊港廻しとし配給量は左の通りである。
◇上閉伊郡釜石板三千四百二十五坪ぬき二百八十三束トタン五百七十一坪六◇大槌板四千百二十坪ぬき九〇七坪トタン五百六十坪◇鵜住居板二千四十坪ぬき百八十八束トタン百四十坪◇気仙郡唐丹板三千七百五坪九十六束トタン二百四坪三◇綾里丸太六百三十四石四板八千七百二十七坪ぬき七百八十一束トタン千八百三十坪釘九十八貫◇広田丸太二百九十九石板四千百十三坪ぬき三百六十八束トタン八百六十二坪五釘四十六貫◇末崎丸太三百三十石二板四千五百四十二坪ぬき四百六束トタン九百五十二坪五釘五十一貫
丸太二千二百三十三石板一万三千二百九十石ぬき千四百七十四束トタン千五百七十五坪釘百九十五間である
非人道的な報復 材木を買われぬ腹いせか黒沢氏 復興材料運搬拒絶
県では罹災地復旧工事を極力急ぎつつあるが応急対策として罹災民バラック材料を青森 湊港より廻送すべく二戸郡福岡町黒沢治助氏の経営する湊材木店より購入した所右材料中張板が両側を削って居らず応急使用に耐えざること判明したのでこれを取止め八戸市の某材木店に変更注文し海路運搬せんとしたが肝心の運送船がなく致方なく前記黒沢治助氏の経営する湊出張所の運送店に運搬方を依頼した。処同店では材木を買って貰えない腹いせにか突如これを拒絶する態度に出でたので一刻も救済を急ぎつつある。非常時にかく悪らつなる手段を講じた同店の行為に対し県当局では非常に憤慨し七日午後一時県警察部を通じ二戸署並に青森署に厳重取締られたいと依頼した。
各団体慰問使 愛婦の宗像女史
愛国婦人会盛岡支部では既報の如く慰問品百三十包みを募集し罹災地へ発送したが七日東京より慰問使宗像ツタ子理事が金千円毛布五百枚タオル二百ダース持参で同社会部の若槻雷八郎氏を伴い来盛した尚被害地慰問は主事の帰還を待っての事にすると
国防婦人慰問使
七日午前盛岡連隊区司令部に国崎司令官を訪れ金三百円と慰問品を贈った日本国防婦人会大阪支部の藤田幸福本眞子の二女史は八日午前山田線で宮古に赴き自動車で釜石を訪ね各地罹災民を慰問被害状況を視察し九日遠野を経由し東京へ帰る筈である。
江口元起氏調査
東北帝国大学理学室江口元起氏は地震並びに海嘯の被害状況並びに地震地の地質変化等を調査のため六日来宮したが宮古久慈間を十日間で調査し更に八戸迄赴く筈。
震災地外町村に 吏員派遣を命ず
九戸下閉伊上閉伊気仙四郡の震災三十六ヶ町村を除く全部町村長に内務学務両部長連盟の通帳を発し震害町村の罹災調査のため吏員の派遣を七日命じた。
町を救った交換嬢 ちえ子さんあわれ 美談の裏に此悲話
(山田電話)死者八名の内最も可哀想なのは山田郵便局の殊勲の交換手沼崎ちえ子(二一)さんの家族で兄の海産物商熊太郎(三一)は中風で臥床中の父松蔵(六五)を背負って境田の自宅から山の方面へ逃げ出す途中水魔に呑まれてしまい更に熊太郎長男熊次郎(六つ)君は津波と同時に行方不明となってしまった夫にも拘らずちえ子さんは町の人々の為に他の局員と共に郵便局附近迄水が来る迄通信連絡の為に働いた遺族はちえ子さん母のぶ(五〇)と弟の■良(一五)永昌(一二)の四人になってしまったこの■■な女丈夫ちえ子さんの遺族の為■い救援の手を待たれている次に中野町菓子商佐々木■郎(二五)君は常に高台の櫻山に別居していたがその夜実家を案じて下山しその足で鈴木弥市郎君宅に行くとて去った儘死体となって浮上ったあとの死亡者は皆独り住居の人達であった境田の漁夫佐藤■太郎(五〇)川向の佐藤■松(七一)同石山ゆう(四五)同高橋なつえ(五八)の四人が犠牲となった。
◇
恐ろしい海嘯襲来の夜、山田郵便局に当直し大槌局から津波襲来の報を受けるや直ちに電話各加入者に急を告げて避難させ家屋被害に比し死傷少なからしめ山田町民から感謝されている山田局交換嬢、右から湊チヨ子(一九)内舘アキ子(二〇)沼崎ちえ子(二一)