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最初の復興委員会  きのう県庁で開会    知事、県議その他を委員に     意見の交換を行う

復興計画最初の委員会は六日午後三時から県庁応接室に
 石黒知事、前田内務部長、吉田、沢■、坂本諸県議、進藤殖銀頭取、福士県農会幹事、佐々木商工会頭、小泉市議、庁内各課長、技術官出席し
石黒知事よりこの度の災厄と応急措置に就いて報告説明し被害は激甚であり県として殆んど手の下しようのない事件であり恒久対策である復興には政府の力をかりるの外ない。よって復興資金は国庫の補助によるか又は一千万円或は二千万円の融通を受くる場合極めて長期の元金償却の方法により利子は政府からの補給によりたい。復興計画に就いて良案あらば提示されたいと述べ各課長より関係施設其の他被害額の報告説明あり意見の交換を行ない案は各課に於て取りまとめ八日午後一時第二回委員会を開き協議することとし四時散会した。

復旧部と恒久対策部の  二部に分けて活躍   復興は飽くまで組織的に    石黒知事対策を語る

石黒知事は震害地の復旧策につき左の如く語る。
 今回の震災並びに津波に対し政府、貴衆両院も非常な同情を注ぎ陸海軍初め全国から多大の同情を賜わり臨時の処置が大体進み居るは感謝に堪えない。県民に代り厚くお礼を申す次第である。
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今後の措置に関しては第一に衣食住の充実徹底を図ることが必要で遺憾ない方法を講じたい。之を何時迄如何なる方法により支給するか早急に考慮する必要があり折角調査中である。第二に恒久の職業につく事で当分の間は復旧事業等に従事せしめて自活の途を辿らせる外特殊の仕事が他にあらば之に従事する様尽力もするし各種事業家、慈善事業家が此地方の人に仕事を与えてくれる事も必要である。親戚等に寄留するものには旅費を支給しても自活の途を得せしめたい。
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第二に罹災民の職業の復旧に就いては従来の職業を続けるものには器具機械を与え生活を建てられる様に考えてやる。恒久的対策としては罹災者の多くは従来水産に従事していたのだから之をモット組織的に堅実に、ドシドシやらせる。夫には丁度幸い水産々業組合が組織されたから之を拡大し全海岸線に亘り指導統制を図りつつやらせる。副業とか工業とかの復興も行なわねばならぬが之も組織的に考えてやらねばならぬ。今度の災害に鑑みて未改修道路の改修、橋梁港湾の完成を図る必要があり鉄道の速成も希望してやまない。
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往宅も今後は防波建築につき考慮を払う必要がある、防波設備をなさず再び建築をなす事は災害を繰り返す事になる。今後は合同の力により更生を図らねばならぬ。組合とか町村とか部落単位とかで産業交通其他の事を進行せねばならぬ。又貯金食糧品の貯蔵を考えねばならぬ。
資金関係に就いては国庫の補助を仰がねばならぬし県費も出すが国から借る低利資金は長期据え置きのものとし利子は国家から補給する様にされ度い。
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今後の計測は県庁員と県会議員とで復興委員会を設け復旧部と恒久対策部とに分けて進める事にする。

惨状見るに忍びず  駆逐艦乗員の減食   釜石を中心に配給

釜石電話)横須賀鎮守府駆逐艦第一隊野風、神風、沼風、第四隊太刀風、秋風、帆風、第六隊雷電の各隊も四日以来本県回航釜石港を中心として救護に活躍して居るが陸上救護隊が交通不便で活動が思う様でないのに対し海洋は好条件に恵まれ活動は活発で陸上救護団の手の届かぬ山間僻地にまで救護が行き届き罹災者から非常に感謝されて居る五日迄に第一回の配給を終わり六日霧島が第二回の配給品を満載して釜石港に入港各所に分配し同日午後大一隊は釜石に第四隊は宮古、第六隊は盛の各署下罹災地に急行したが
 二回迄の軍需配給品は岩手、青森、宮城の三県下で毛布一万三千五百枚、軍服一万着、襦袢一万枚、ビスケット一万二千キロ缶詰一万一千六百キロこの延食数十万食、麦米三万キロこの延食数五万食右の外今回の災害地に対し海軍の高等官判任官一同から白米三百俵、砂糖三十俵、醤油百樽、缶詰二万四千九十キロ、漬物二百樽、菓子五十包を寄贈された。
尚各駆逐艦は悲惨なる罹災者の窮状を見るに忍びず綾里、越喜来では各艦乗組員が減食して食料を配給した右について大一隊司令いなづま艦長川瀬大佐は次の如く語っていた。
 災害の報告を聞いて四日二十四節のフールスピードで飛んで来たが余りにも悲惨な罹災地の状態に驚いた第一回第二回の配給で十日までの食糧には充分間に合うと思う今後の方針は県当局と協議の上引揚げるともどうとも決定する被害状況は岩手が最も甚だしく従って配給も岩手三十五、宮城八、青森一の割合である。

配給順調に進む

震害地方面交通路の回復と各県からの救援トラックの来着に相待って県及び各種団体の配給は順調に進■し配給本部では井上農務課長を総務とし庶務配給慰問品停車場自動車発送一関との連絡七係を置き一関町に配給所を特設し久慈岩泉盛宮古釜石の五町には地方出張員を配置し各集点との連絡を密にし全機能を発揮して居り六日午後四時には大船渡久慈宮古小本の四港に食糧衣類を陸揚した駆逐艦入港し救助品を揚陸し海陸呼応して沿岸地帯の罹災民救援の物資配給に全力をあげている。

軍艦の活躍

(宮古にて菱谷特派員発)今次の大津波で最も迅速に且つ応急処置を執り寒気と飢えに泣く罹災民に神の如く嬉しがられたのは軍艦派遣で将兵乗組員の危険を冒しての奮闘は涙ぐましいまでに勇壮なものであった母艦霧島は六日宮古港に向け駆逐艦小風、羽風二隻に毛布一千九百二十枚、服五千六百十着シャツ二千三百四十枚、缶詰一千五百二十キロ、ビスケット一千九百キロを積載して宮古に届けた下閉伊支庁では直ちに慰問救恤品を田老、小本、織笠、普代、船越その他罹災地に配給の手配を為した。

大船渡方面

衛戍司令部より大船渡方面へ派遣の井口中尉以下下士官兵十名は救恤品の配給罹災地実地調査を完了して六日午後一時帰還衛戍司令部に報告したが、井口中尉以下は三日午後十時大船渡町に到着直ちに配給を開始その三分の一を同町罹災民に配給したが四日は早朝から発動機船一艘を見つけて無理に出させ大船渡湾内罹災地をめぐりまず大船渡町対岸の赤崎村生形部落に向ったが約三分の一は倒壊残部は流失又は浸水にて殆んど全滅し罹災民はいずれも山手に避難して衣食に窮している、実情を精査更に大船渡湾口の細浦に向ったが同地は村長助役いずれも罹災して各々倒壊流失し部落の幹部が斯の如きため全く統制を失い救護配給を村役場書記一人にて行っているため罹災民の惨状甚だしく同所に配給品三分の一を配布更に同湾を出でて綾里村に向ったが全村流失倒壊甚だしく就中白浜部落は山手の字大久保の六戸を残し全然流失しその日(四日正午)に至るまで未だ配給品が到着しなかったので同地に配給品全部をおろし且つ山内軍医の救護班を下船診療に当らしめて深夜大船渡帰町五日は広田高田長部等を実地精査して帰還したものである

市青年応援

盛岡市各青年団員及び米内青年等三十一名は七日午前六時五分発で宮古町に労力応援の為め出発する尚岩手郡太田村青年団四十名も同日出発する。

田老村死者多し

(宮古にて菱谷特派員発)田老村の遭難死者は調査につれ予想外に多く山中避難者の帰村も殆んど終り万が一とあわい望みをかけていた家族達も断念の已むなきに至り一方死体は各地に漂着し当局員は古い戸口調査簿に基いて調査した。五日午後六時現在迄に判明した死亡者は実に九百六十名に達して居り結局千名に上るものと見られている。

行方不明依然  一千百七十一名   午後六時現在調

六日午後六時現在被害現在調べは午後九時半非常警備司令部で発表したが左の通りである。
◇家屋の被害 流失二、八三四戸(全八一七戸半三〇七戸)焼失二〇九戸、浸水床上三、一二九戸床下五八三戸
◇人の被害 死者一、四〇〇名、負傷者五六一名、行方不明一、一七一名

罹災救助基金  被害町村配当決定

罹災救助基金流用額二十六万九千二百円中県では二十万九十九百三円の被害町村配当額を六日午後十時左の如く発表した。
 気仙郡 大船渡二、〇六七円▽高田二四八円▽気仙二、一三〇円▽米崎七七四円▽赤崎五、七七五円▽吉浜八〇三円▽越喜来五、二一〇円▽綾里一〇、七七四円▽広田五、八七三円▽小友一、七三九円▽末崎一〇、六八六円▽唐丹一〇、九四五
 上閉伊郡 釜石三八、一〇四円▽大槌二九、六三二円▽鵜住居一一、八五七円
 下閉伊郡 宮古一、九六五円▽山田一二、三四九円▽船越九、一八四円▽田老二〇、九九三円▽重茂一、六二七円▽津軽石二二七円▽大沢三、六二五円▽織笠一六三円▽崎山一一八円▽磯鶏一、五五五円▽田野畑五、二四九円▽普代三、五二二円
 九戸郡 久慈九五六円▽野田三〇八四円▽種市二、七四三円▽侍浜七〇円▽中野三三五円▽夏井二〇二円▽長内一二六円▽宇部四五〇▽合計二〇、九九〇三円

町民を救った   三嬢の機転 山田   電話で直ちに急報    被害甚だしい割に死者少し

(山田にて松本特派員発)五日夕山田に向う、山田町の前、大沢村で中央気象台の本田技師、飯沼技手一行の自動車と行き違う、田老宮古方面に行く筈。大沢村では県道筋の家並は殆んど倒壊、木材その他がノコノコと山の手に打ち上げられている。被害程度も甚だしく全村約二百戸の中八十五戸の家屋が倒壊しているが死者は一名
 愈々山田町に入る。この夜山田町役場に行くと玄関には高張提灯がまたたいている、役場で被害につき全戸数一千八十三戸の中流失倒壊三百六戸半壊百七十三戸浸水二百三十九戸被害総戸数七百十八戸に及び発動機破損二十個漁船流失三十一艘、同破損百二十二艘、百数ヶ所の桟橋はキレイさっぱりと流失したがこの損害約五十万円と調査結果を発表した。これによって山田町の水害は釜石町のそれを遙かに越している。通信機関不通で今まで知れずにいた真相が判明した訳であるが損害が多いのに比すれば死者は僅か十名内外に止まったのは不幸中の幸だった。
津波の夜、地震襲来に山田町民は枕を蹴って直ちに飛び起きたが間もなく大槌郵便局から只今沖が鳴っているから津波が来そうだとの報が山田郵便局に入った、山田郵便局の当直交換手沼崎チエ子、内舘アキ子、湊チヨ子さんらは突嗟に先ず念のため一応再び大槌郵便局に問い合せて見ると今度は電話の音波に乗って津波だ津波だと云う声がかすかに聞えて来た、この報に三人の交換手達が直ぐさま百余の加入者全部に津波襲来をつげ町民はこれを聞いて時を移さず隆昌時、八幡神社境内役場等山の手高台方面へどんどん逃げ出したので死者を少なくし得た、大槌並に山田郵便局交換手の気転又偉大なものがある。

断崖の頂で  命拾い   特派員一行   ブナ峠で

(山田にて松本特派員発)五日夕五時四十分頃宮古町山善方『岩五八五』号自動車を伊藤秋治が運転し宮古町を出発し豊間根、大沢村境の県道ブナ峠頂上に差かかるや自動車は不用意にもタイヤにチェーンを附けていなかったので、積雪のために滑り進行不能に陥り車輪がグルグルと二三回空転した瞬間右後車輪がアッという間もなく道路からはずれガラガラと音響を立転覆し出した、幸い崖の中央にある大木に轟然と車体が突き当り奇跡的にも数丈の谷底に転落せずに助かり乗客の盛岡測候所地震係主任二宮三郎氏並びに記者、写真班員、大阪市の会社員らは頭部その他を強打したのみで怪我を免れた一方転覆と殆んど同時に宮古行き『岩八〇八』号自動車が反対の方向から疾走し来ったがカーブの見透しがつかず頂上に来て始めて我々の自動車を認め避けんとしこれ又空転に陥り反対側の掘割に突入してしまった。車体は乗客や駆けつけた附近村民の手で押し上げたがこれが為自動車は約二時間遅れて同夜八時漸く山田に到着した。

山崎事務官来県

文部省山崎事務官は七日午後三時二十一分一関駅着で来県震害状況を視察する。

常彦丸(大阪)  津波以来不明

(釜石電話)船籍大阪市常彦丸(一千五十トン乗組員二十名)は三日未明津波の際気仙郡越喜来沖合にて行方不明となったので六日海軍省から釜石に碇泊中の軍艦いなづまに打電し来った。

死亡者調べ

六日午後十時現在官公吏、有力者小学児童の死亡は村長、助役、収入役、町議各一名宛、村議七、三等郵便局長、土木技手、山林技手各一名宛、小学教員男三、女三、小学児童三四四名

三万円の金庫  掻払った怪船   例の赤崎流失事件

去る三日の津波で三万三千円在中の金庫を流失した気仙郡赤崎村有田組事務所ではあの騒擾の際でもあり午後七時頃になってそれと判り此の旨盛署に届出でたが避難した某の話によると午後二時頃船籍不明の発動汽船稲荷丸が同村の港で金庫をかっさらい逃走したという奇怪な事実を話し同署の耳にも入ったので此の旨県刑事課に報告したので刑事課でも捨て置けず県下は勿論全国各地に手配した。

罹災地初の  傷害事件   津波で頭が変になり    実母を殴る

(宮古電話)罹災地最初の傷害事件—下閉伊郡重茂村大字乙部伊藤次郎(二四)は五日午前十時半頃自宅台所に於て実母ひで(五七)の左頭部を長さ二尺五寸直径二寸五分の薪で殴打し人事不省に陥れた急報に接した係員が駆けつけ同人を取押え直ちに宮古に護送して保護留置をなすと共に被害者には医師の手当てを加えて居る、右次郎は昭和六年歩兵第三十六連隊に入営中精神に異常を来し翌七年帰省し自宅にて療養中であったが暴行の原因は同日次郎が母ひでに体の具合が悪るいから医者にみせて呉れと云ったところ、ひではお前は医者にみせても薬を呑まないから駄目だと云われそれに津波で精神がみだれて居たもので右の行為に及んだものである。

記念舘慰問

市内記念館では今回の震害地の罹災民救出の一助として八日より十四日迄第一第二両舘を開放し本紙愛読同情映画慰問の夕を開催し純益金は全部罹災地に贈る事となった因みに料金は最低十銭となす由。

帰途車中で暴行  被害者は国士舘柴田氏

(東電)六日午前六時五十五分上野駅着青森発常磐線廻り急行二〇二列車が五日午後十時三十分仙台を発して間もなく仙台から乗車した政友会から派遣された三陸地方震災地慰問使上野慕三、永田良吉、金光■夫の三代議士及び仙台から同行した佐藤庄太郎代議士の一行は食堂車から泥酔して二等寝台に帰りあたりかまわず放歌高論し傍若無人の振舞いを続け同乗車客の安眠を妨害するので寝台車にあった之又震災慰問の帰途にあった国士舘舘長柴田徳次郎氏がその不謹慎をなじり注意すると上野代議士は何を生意気だといきなり所持のステッキを振りあげ柴田氏を滅茶苦茶に殴り柴田氏は非常に憤り帰京の上告訴する旨宣言し証拠物件として前記ステッキを押収した。

保険金即時払開始  保険契約者各位へ

御当地大震災に対して茲に謹んで御見舞申上げます就ては御当地に於ける弊社被保険者にして不幸罹災御死亡の各位に対しては今回特に本店より係員出張簡便迅速に保険金の即時払を開始致しましたから左記臨時出張所若しくは弊社仙台支店へ直ぐ様御申出を願います。

 昭和八年三月   東京市日本橋区小網町    安田生命保険株式会社   仙台市大町四丁目    安田生命仙台支店

本店臨時出張所 釜石町 釜石代理店 岩手商工内
        宮古町 宮古代理店 坂下八郎方

御地方激震並ニ海嘯御見舞申上候

 一、保険金即時支払
 二、保険証券担保最高額貸付
右手続ニ就テハ代理店又ハ仙台支店ニ御申出被下度候
 昭和八年三月
  東京市日本橋区江戸橋一ノ十二
   横浜生命保険株式会社
  横浜生命保険
   契約者各位 御中

謹而 震災御見舞申上候

罹災者保険金即時支払
 当支店又ハ代理店ニ御申出被下度候
 御下命次第直ニ社員参上可仕候
  昭和八年三月六日
   仙台市南町三九
    仁壽生命仙台支店
     電話三五四番
 三陸罹災地契約者各位