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評価 救援は恒久的に

 海嘯の跡は情報を聴けば聴く程酸鼻を■むものがある。之に対して県は警備司令部を県庁内に置き全く徹宵で万遺憾なき救援の方法を講じて居る事は職掌柄とはいいながら感謝に堪えないものがあ■県本部の統制ある計画のもとに県の役人達は夜昼の別なく物資を積んだトラックを走らして罹災地に向って居る。三日も四日も相継いで出発する。軍隊に於てもあらゆる犠牲を払って救援の目的を達成せしむべく活躍を試みて居る。連隊区司令部に於ても在郷軍人会に命令して之又車輪の活躍をして居る。鉄道当局に於ても無賃輸送を開始して応援に余念ない。何しろまだ雪道の事とて、意の如き物資輸送が行われず、それに、海岸地は丘陵地不便の地とて配給も大体行き亘りつつあるとは思われるが、徹底を欠くに非ずやと憂慮されて居る。
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 一方民間に於ても非常な奮発で金品の寄贈が日に増し多きを加える事は、所謂石黒知事の同胞共済の精神に依るものであって、感激措く能わざるものがある、何うかこの精神を何処迄も持続して行きたいのである。熱し易く冷め易きは我らの国民性である。けれども罹災者の救護は決してここ一週二週の事ではないのである。半歳も一年も二年もかかるのである。統制本部に於ては決して手落はなかろうと思うけれどもそうあって欲しい。同情者に於ても決して急ぐ必要を認めない罹災者の総数は三十七ヶ町村実に十八万に上るのである畏くも両陛下よりの御下賜金を始めとして全国からの義金決して寡少ではなかろうと思うけれども、何しろ一夜にして、何ものも失ってしまったのである。鉛筆一本から足袋、手拭そんな日用品迄ないのであって、一家の生活を立ててゆく迄に大変な日数を要するかと思う。故にせかず急がず救援を進めて行く事が肝腎なのである。
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 又雪が降って来た。寒さも強からん愛を喪い家を失った同胞の苦痛は更に募るであろう。出先配給部の報告に依ると衣類、布団足袋薬等が最も急を要するといって居る。何うか各位に於ても司令部の報告に依って寄贈品の選定をして貰ったらと思うのである。司令部としては罹災地の状況に依って然るべき指揮を行うよう願いたいのである。

県下郷軍分会  救護徴発施行   連隊司令部の指令で

盛岡連隊区司令部では三日県下在郷軍人分会を総動員し罹災地近接分会員に青年団員を督励し被害民の救護に任ぜしめ、また中央鉄道線路沿線にある分会には罹災民は食糧には窮していないが、衣服寝具には非常な不足をつげているのでそれら救護品の徴発をなさしめ会員の余分にある処からは被害地に急派して労力を奉仕せしめた。尚これら郷軍の指揮に久慈には配属将校山田中尉、鵜住居には鈴木大尉、盛には渡邊大尉、宮古には向山大尉が当った。因に救護品徴発地と仕向先は左の如くである。
 徴発地         仕向先
 盛岡  一戸附近  軽米へ
 沼宮内川口附近   岩泉小本へ
 盛岡宮古山田田老へ
 日詰花巻黒沢尻附近遠野附近
         遠野釜石へ
 金ヶ崎黒沢尻一関附近
         矢作、盛へ
尚盛岡郷軍分会の救恤品徴発は指令をうけた後三時間で七千点を集めたが汽車に間に合わず交渉の結果臨時列車をもって宮古方面に夜中までに配給した結果罹災民は幸に温かい一夜を迎えることが出来た。

甲斐々々しく  焦土に電柱 釜石   帰郷許可の軍服姿の活動    復興の意気を見る

(瀬川電通特派員釜石発)気仙町方面の震害地を視察した記者は自動車徒歩モーターボート等凡ゆる交通機関を利用して強行的に四日釜石町の山向う唐丹海岸の視察をなした同村は今回の震害地で最も被害甚だしといわれており死者三百八十名で海岸には約三十個の死体が莚をかけた儘放置されてある。倒潰家屋は二十日四十個殆んど海岸通りは洗い流され見るも涙の種であるこの日午後軍艦一隻が食糧を満載して同村沖合に碇泊したので村民は蘇生の思いをしている。それより今回の津波の中心地たる釜石町に赴いたが釜石町海岸通りは一面焼け野ヶ原で大嵐の後の惨澹さを見せている。海岸焦土の中には女学生やお婆さんに至る迄足袋はだしで土運びその跡片附けに忙しい中に特に許されて帰郷した郷土出身の盛岡、弘前の兵士達が軍服姿甲斐々々しく活動しているのが特に目立つ。然しながら何んといっても復興の魁は電信電話で焦土の中を電柱をかつぎ電線を架設する工夫達の活動は特に目立って見える。この結果通信機関の全然なかった釜石から盛岡の一回線が開通し唯一の通信機関となっている。
自然の暴威の余りにも強く大なるに記者は只々驚嘆する外はない凶作財界不況にさらぬだに疲弊せる沿岸の農民漁民に対し更に地震津波火災の凶変を加えた天は何処迄哀れな彼等に■いするのであろうか。

母の名を叫ぶ  一関高女生   悲しみの大   船渡列車

三陸沿岸大津波襲来の三日、大船渡線は不安を乗せた乗客で悲しみの列車であった。郷里全滅の情報に女の乗客は外聞も恥も忘れて終電矢作駅まで泣きを止めず男の乗客の中にはもう家内全滅と諦めをつけてヤケ酒をあおって自棄的なウワ言を連発するものもあり車内は涙でしめり切っている。一関高女の一年生だという生徒は郷里に残してあるただ一人の母親を呼び続けて恰も狂った人のように走っていたのには一層乗客の涙をそそった。三日これ等不安の乗客は矢作駅降者三百三名乗者七十七名宮城県本吉郡地方沿岸へ別れて行った人々は気仙沼駅下車三百十六名乗車三百四十七名であった。

惨澹たる岩泉

岩泉署管内各海嘯被害地■実に惨澹たるもので生残った子は母を呼び母は子を尋ね妻は夫を呼び此の世乍らの生地獄であるが海嘯襲来と共に逸早く岩泉署に於ては非常召集をなし。又岩泉消防組にては直ちに各部員を岩泉署の指揮に依り被害地に急行させた。

山田の惨状  避難者の談 (大槌にて金田特派員発)

山田町から命からがら非難して来た商人風の男が大槌町関旅舘で山田方面の惨状を語る。
 山田町は海岸附近は勿論南町は全部跡方もありませんあまりの惨状でお話する勇気もない船越村は大した被害はありませんが道路は決潰しております。

久慈署六町村 損害七十万円

(久慈電話)四日午後五時現在九戸郡沿岸の久慈警察署の調査にかかる被害は死者百三十二名内溺死と認められる行方不明八十九名溺死と認められる行方不明八十九名重傷者百十七名流失家屋住家百二十八非住家三百十六倒潰家屋住家十三非住家三十九で損害額は種市村十二万円野田村十二万円外六ヶ町村で七十万円に上る見込みである。

衛戍隊将兵 一千円醵金

当地衛戍騎兵第三旅団両連隊では市瀬旅団長西村、田村両連隊長以下将校下士官兵に至るまで夫々醵金して金一千円を集めこれを同旅団在営罹災地出身兵(目下帰郷せしめてあり)家庭満州出征軍人罹災者家庭他師団在営将兵罹災者家庭の救恤慰問金として寄贈することとなったが更に将校婦人会盛岡支部にても金一百円を同目的のため寄贈する事となったが、両連隊より金一千円を寄贈するためには兵に至るまで約五六十銭の醵金を要し英断的美挙である。

福岡支局で 義捐金受付

本社の義捐金募集に関し本社福岡支局では三陸沿岸特に県北久慈警察署を中心として三日から受付けを開始したが本社の号外に記載した義捐金募集の記事を見てイの一番に福岡中学校北斗会員が支局を訪れ少々ではあるが罹災者に社を通じて送ってもらいたいと金七円を置いていったが更に県立一戸高等女学校でも金三十円を同総支局に送附して来た。

近県小信

三陸大災害、最初に来るものはその善後策である、よりよき善後策へ、一瞬のためらいもなく復興への第一歩に踏み込まねばならぬ。

罹災者に対し  盛電が無料点燈   盛岡電燈の奉仕

盛岡電燈では罹災者に同情し
一、一戸当り電燈十六燭光以下一燈を来る四月末日迄無料点火す損料をも含む
一、四月末日迄取付工料も無料
とする事に決定夫々支店に対し通告した。

全県に湧き上る 救援の叫び 真心を罹災地へ

盛岡友の会では全国百二十八の各地友の会に印刷物と本紙四日の朝刊を一部づつ輸送し義捐金募集をすることになった。尚集った金銭その他は全部本社へ託して各々被害地へ配給すると
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婦人矯風会盛岡支部では三日夜緊急会議を開き罹災救済法に就いて討議を行った結果早速三大英字新聞、神の国新聞、神の国運動本部全国矯風会支部及び各キリスト教団体に印刷物と本紙四日朝刊を発送義捐金の手配を行った。
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一関町では三日早朝から各種■体総動員の結果一梱五十点から六十点詰めの衣類百二梱を取まとめたので早速午後五時千厩署経由三陸沿岸被害村へ発送したが寄附町村募集左の如し。
 一関五十二梱、山目十五梱、中里七梱、平泉白米八斗一梱、湧津花泉六梱、■■一梱、滝沢五梱、厳美二梱、萩荘六梱
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一戸町役場では三日午前十一時から緊急町会を召集し三陸沿岸特に県北久慈警察署を中心とする各沿岸罹災者救済方法に関し協議の結果取敢ず同日在郷軍人会男女青年団消防組青講生赤十字社員愛国婦人会員等総動員を以て義捐金及び衣類等全町に亘って寄附を求め四日午前五時田頭町長外役場吏員が三台のトラックに左記積載分乗し被害地に出発したが同町は極めて敏速なる行動を執り第二次救済金品を募集中である。
 △久慈方面布団十枚四幅衣類十枚△種市方面布団十枚衣類六十点△小本方面白米五俵精秤五俵味噌五樽(十三貫入)布団十七枚(四幅)衣類四六〇点
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二戸郡浪打村では三日午前十一時から村会を招集し協議を遂げたがとり敢ず布団十枚(四幅)白米三俵種市方面に送ることとなり四日朝出発の一戸町救済トラクに依頼現地に送った。
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二戸郡鳥海村では三日村会を開き協議の上布団二十枚(四幅)衣類百一点を送ることとなり四日朝一戸町救済トラックに依頼して種市方面に送附した。
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二戸警察署では福岡町を中心に郡下各町村に亘り三陸沿岸罹災者に送る義捐金を募集することになり三日突発と共に各方面に手分けして極力寄附募集に奔走中であるが四日までに約三百五十円集った。
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和賀郡内各町村小学校生徒及び職員一同は義捐金を取まとめて十日までに送金することにし四日の校長会議で決定した。
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直ちに三百余点の衣類を送った黒沢尻町では四日午後三時から在郷軍人男女青年団自警団消防組青年訓練所等と協力して第二回慰問金品を募集して発送した。
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黒沢尻警察署では三陸沿岸の災害地に署下核駐在所の巡査を督励し役場其他の各種団体と行動を共にして義捐金を募りまとめて遠野警察署に発送することとなった。
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三陸沿岸のつなみの報に接し和賀郡立花村では取敢えず義捐金三十円を集め四日遠野署長宛発送した尚第二回は区長方面委員の手で村内各戸より十銭以上を集め近く発送する筈である。
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遠野町役場より釜石町に向け四日午後二時掛布団上十五枚大槌町へ向け掛布団六二枚鵜住居に向け掛布団二十枚を夫々発送した。
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県立黒沢尻女学校同小学校では生徒一同より義捐金を募り近く災害地に発送する事とした。
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さんりくちほう大震災に関し前沢軍人分会では罹災民救助のため四日午前十時より緊急幹部会を開き協議の結果さかりに救護球を急派することに決定直ちに出発した。
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(釜石支局発)梶弘前憲兵隊長盛■宮原中佐は四日午前三時来町釜石役場釜石署と協力救恤に働いている。
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(千厩電話)東磐井郡舞川村では青年団在郷軍人分会その他各団体からなる救援隊を組織し一行百名佐藤助役引率のもとに四日午前十時罹災地釜石町に向け出発したが一行は同村出身の罹災地居住者に食料その他を給与すべく各自準備して出発した。
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盛岡市消防組では本県沿岸被害地にと白米三十俵組頭谷■市助氏は醤油十樽(一斗入)を四日寄贈した。
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市では三日の三陸沿岸罹災者救護慰問を講ずるため中村市長の■■を待って緊急市会を招集する筈だが五日午前中に開催の見込み。