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ああ此海の災厄{評論}

一、
 三月三日午前二時卅一分廿九秒強震が我が岩手県を襲った。そして東海岸一帯は海嘯となり聴くも恐ろしい悲惨事が出来した。山なす激浪が人をのみ家屋の倒潰三日午後二時迄に判明せるもの二千に及び中には全滅を伝えられる町村さえある。釜石の如きは津浪の外に火災さえ起って焼失五百と云われる。漁船という漁船は怒涛にさらわれて全きもの一隻もないと云う。電話不通で実際の被害が何処まで深いものであるか、予想を許さぬが、東海岸は瀕死の状態に置かれた事は間違いのなき事実である。その損害程度一千万円以上と称され、県当局は全力をあげて救護に努め衛戍各隊より救護隊出動赤十字支部よりも診療班の派遣あり、東京方面の各団体よりも救護隊が派遣される事になった。海軍よりは飛行艇、軍艦の出動あり全く戦争以上の惨禍である。時も時まだ春浅くして寒さなお耐え難き時である。家を失い、食に窮し、妻子兄弟別れ別れになって、而も
明日の生業につく望みなき人達の身の上を思うと、筆さえ取り難いのである。一夜にして東海岸三十四ヶ町村は経済もなく、教育もなく、自治もなくなってしまったのである。何と悲惨極まる事ではないか。
二、
 一体ならば三日は桃の節句で、祝杯をあぐべきのに東海岸の人達にとっては、恐ろしき呪いの日であったのである。思えば三十八年前の三陸大海嘯も端午の節句の日であった。不思議な運命ではないか。世界三大漁場の一と唄えられる我々の海は、実は魔の海であった。こういう不幸は世界広しと雖も、我々を除いて外にはなかろう呪わしき海ではあるのだが然しその海を措いて外に我々には生活の途がないのである。茲に至って同情の念禁ずる能わず。
三、
 而も岩手県は凶作につぐ凶作を以てし、それに一昨年より銀行破綻に遭遇して而も休銀の整理案が今日、一も出来上って居らないのである。全国最悪の岩手県である処に又この大災厄である。岩手県は全く息の根を留められたと云ってもいいのである。而も我々は若い■土将兵二千を彼の満洲に送って居るのである。彼を思い之を思うと感慨無量である。岩手県民は歴史始まって以来これほど重大な時期に遭遇した事は無いのである。我れらは如何にしてこの最大難関を突破して行くべきや。哀れなる之等海岸町村民の喪心をねぎらい、その自治と教育と経済とを復興して行くべきや、真に県民一致の時だと信ずる。総べての争いをやめて、被害地の救済に当り一日も早く明るい生活を取戻してやらねばならない。希くば県民各位此際暖衣飽食の贅沢をやめて我が同胞のために出来るだけの援助を与えて貰いたいのである。海岸を滅ぼして岩手県がある筈がない。海岸を救う事が全岩手県を生かす事である。荒涼たる海岸に、悄然として立つ人達を想うとき誰か同情の念なからんや。