県南沿岸の惨状 大船渡、気仙、綾里その他各村 流失数百戸に及ぶ (さかり署午前八時報告)
大船渡町 字崖下四十戸流失、同町全部家屋浸水し堤防は一ヶ所約五十間決潰した同じく県糸工場慰安所倒壊し同町紅葉舘の小児二名行方不明となった。
気仙町 長部々落四十九戸流失し米崎村字沼田村四戸流失し七名の死傷者を出した。
吉浜村 十二戸流失十五名死亡し全壊家屋二戸を出し橋は三つ流失し道路二ヶ所十三町破壊した。
越喜来村 字宿の流失家屋は四十戸で行方不明一、死亡一、全壊家屋一である。
綾里村 二百十五戸流失死傷は不明
大槌も倒潰出火す
(大槌発午前六時入電)大槌町は釜石以上の倒壊家屋あり火災を出して延焼中。
船越田の浜全滅
船越村田浜部落は全滅した。
さらわれた二十名
(宮古町五時十分発)警部補派出所以南家屋全部二百五十戸流失船越田の浜方面は全滅した模様人畜に被害はなく港内停泊中の船は全部流され乗組員の生命安否が不明であるが通信不通となったので不明である。
(同上)三日午前五時迄に判明せる所に依ると波はサラワれたもの約二十名、倒潰家屋は新川町佐々木幸八、佐々木新六、野崎徳助、伊藤弥七郎中井喜助方並にセメント瓦工場、尚鰯粕乾燥中のもの殆んど流失被害額甚大である。
行方不明数名(宮古)
宮古電話)宮古町常安寺は崩壊した発震後約三十分にして一丈位の津波が押しよせ浸水家屋は二百戸位、流失したもの二三軒あり、二三人行方不明となった直ちに警察官非常召集を行い警戒に当った。
山田百戸倒潰
(宮古町四時五十五分報告)山田町には百戸の倒壊家屋あった。
遠野も出火 火の手盛んに延ぶ
(遠野電話)遠野町では発震と同時に出火し、あまりの恐怖のために消化に努めるものなく火の手は盛んに延びて釜石方面から海鳴りがきこえ■々恟々としている。
中央気象台 発表
発表時間午前二時三十二分十四秒初期微動継続時間四十秒、震度は■■■であった。震源地は金華山沖東方海上で海底の変動により津波が起り四尺乃至七尺のものが三陸沿岸各地を■った。
行方不明 七名 宇部久喜小袖
(久慈署八時十五分報告)宇部村字久喜小袖で六戸流失、三戸倒壊納屋十棟流失し行方不明は七名■■■艦は四隻が転覆流失した。
大波三回 宮古測候所談
(三日午前三時四十分電話)測候所談−目下計算中で正確なお話が出来ませぬが大体発震時は二時三十二分で■■のために地震計の針が■■して用をなさぬ有様であり局三時十一分第一回の津波が寄せ来り海岸地区の住民は山へ避難中で只今まで三回の波が寄せているが次第で波涛は弱って来ているし人畜には被害がないものと思われます何しろ暗夜のtまえ見透しが利かず目下人を発して被害状況を■るのは三四回に止まる筈です然し発震時のような強い揺り返しはもう来ないから心配ないです。この地震は大正十二年九月当測候所創設以来の強震ですが、恐らくこれ位の地震が盛岡に於ける最大限だと思います。
県鳩首凝議
県では石黒長官、森部警務課長、斎藤保安課長は赤十字岩手支部病院主事と共に警察部長室に本部をおき五時半より救護方法其他処置について緊急協議中(午前六時)
郷軍を動員 連隊区の救助
罹災地救助に際し連隊区司令官並に術戊司令官と協議し毛布救急品其他■急物資の配給方を講じ在郷軍人を■接警察署に応援せしめて食糧寝具等の挑発配給に従事せしめることとなった。
遠野署から救援
県警察部から遠野警察署へ指令を発し警部補一巡査部長一巡査五名二日分の食糧携行救援に急行せしめた。
兵坦部沿岸各地に
沿岸被害地方救援の兵坦部は千厩遠野釜石宮古岩泉久慈に作った。
主なる罹災 家屋
釜石町罹災の主なる家屋は釜石土木管倶財務出張所焼失し釜石■■所は流失した。
義捐金募集 大津波の惨禍より 東海岸を救え 大方の同上に待つ
今暁宮古沖合大地震に続いて本県東海岸一帯に海嘯起り殊に釜石町は地震と同時に火事起り水火の災一時に襲来して同町一帯は挙げて阿鼻叫喚の巷と化し全町全滅に瀕して居る本社は率先して起ち之等被害者に対し義捐金品を募って贈ることになった大方の■同を待つ。