三陸震嘯遭難物故大追悼会 県民公会堂に集い 二千余の魂を慰む 物故者遺族代表白井文光氏 切々の謝辞を述ぶ
県並びに県仏教会主催の三陸震嘯遭難物故者大追悼会は四十九日の命日に当る二十日午後二時十分から県公会堂第一ホールに過ぐる日払暁一瞬の暴威に失われた二千六百有余の生霊を迎え県内各宗寺院僧侶百余名うち集い厳粛に追善の法要を営んだ。司会者知事代理前田内務部長、湯本学務部長、佐藤教育課長、来賓飯田騎兵第三旅団長国崎連隊区司令官、石黒知事夫人県庁各課長、団体、学校代表
一千余名着席と共に湯本学務部長開会の挨拶あり散華に次いで宗僧の読経あり。幽明境を異にした物故者の魂を慰め終って知事弔詞を前田内務部長、県会議長弔詞は亀島副議長これを代読し中村盛岡市長町村会長弔詞は中村県議代読石黒愛婦支部長の弔詞あり。司会者遺族総代及び飯田旅団長市民代表大矢馬太郎氏霊前に進んで焼香冥福を祈り物故者遺族を代表し白井文光氏
思えば過ぐる三月三日未明突如来襲致しました津浪のために或は家を失い或は親を失い子を失い夫々妻を兄弟を失いました私共はこの一瞬の暴威の前にふるい戦くばかりでありました。天の下された試練としては余りに凄惨なる現実を前にして私共は只々呆然自失何らなすところを知らなかったのであります。況んや失いし肉親のために葬送法要等なすに術なく魂を慰むる由もなかったのであります。然るに申し上ぐるも畏れ多い極みでは御座いますが事直ちに天聴に達し特に御軫念を垂れ給い優渥なる御聖旨をいただき剰つさえ御内帑金重ねるに侍従を御差遣下されまして親しく罹災民一同に御恵みの御言葉をいただきましたこと、この聖代に生を享けし有難さに只々感激感佩その極 に達したのであります。又皇后陛下の御仁慈に感涙をいや増して私共の胸中には只恐懼と感佩とがあるのみでした。
更に県民諸子は勿論のこと広く全国朝野各方面より寄せられたる御懇情御配慮はそこいも知らぬ綿津見にも比すべき有様で私共一同感謝の涙あるのみでございました。かかる広大無辺御慈しみにより私共は自らの力を得て再び起つことも出来且つは夢びの間にも忘れ得なかった故人の霊魂をもここに於て始めて祭り慰むることが出来たのでございます。かくして故人の霊も必ずや安住の地を得たものと信ずるものであります。この喜びは如何なる言葉を以てしてもいい現わすことの出来ないものがございます。
本日は又かくも盛大なる追善の大法要を御営み下されましたにつきましては私共遺族の感激歓喜は今更いうまでもなく遙か境を異にした彼の地にいる故人の霊も如何に喜び如何に感涙にむせんでいるかを考えますと更に更に感激の深まるのを覚ゆるものであります
遭難者の一人として切々の情をこめた謝辞を述べ参列者一同涙を新たにし三時追弔法会を了えた。
(写真は追悼会場)
知事弔詞
維時昭和八年四月二十日岩手県知事石黒英彦謹みて三陸海嘯殉難者諸君の霊に告ぐ。
去る三月三日の払暁突如三陸沿岸を襲える震災海嘯は空しく諸君の生霊を奪い家屋財産を倒壊流失しその惨状言語に絶するものありく嗟痛しい哉。
天災地変は固より人力の如何ともなし能わざる所なりと雖も天寿を全うせずして逝きたる諸君の胸底を推し遺族の心事を察すれば悲痛惨憺転々暗涙を禁ずる能わざるものあり。然りと雖此稀有の惨事天聴に達するや畏くも両陛下に於かせられては特に優渥なる御恩命を賜わる に光栄と謂うべし、余は天恩無窮に恐懼感激し国民の深厚なる同情に感謝し県民と共に不眠不休然も往年の災害と諸君の尊き犠牲とに 鑑み之が復省復興の計画を樹立し今やその緒に就き之が完成の日も遠きにあらざるべし。
諸君亦以て地下に冥すべきなり本日茲に県民相会して大追悼会を催し恭しく哀悼の意を表す。
尚くは来り饗けよ
釜石湾底大変化 浅くなったり深くなったり 浚渫せねば入港困難
釜石町役場水産課では工営所の応援を得て過般来釜石港湾の津波後に於ける変化。主として海深に就て調査中であったが鉱山桟橋、魚河岸間の船舶碇泊ヶ所桟橋から中根暗礁に至る間の二ヶ所について調べた結果一般に五尺位深くなって居り一米五〇の等深線が湾口に向って移動しているそれから護岸側は二尺位深くなって更に沖に向って浅くなっている。桟橋際は三十尺であったのが二十五尺になっている。また桟橋中根を結んだ境は湾口に向って右が浅くなって左が深くなっているためにもし湾内の浚渫を行わねば廻来船の入港多数の漁船を入港させる事が出来ないので釜石の盛■にかかわる問題であると目下内務省に大型浚渫船の出動を申請すべく考究中である。
市来氏海嘯義捐
本社東京支局市来政尚氏は去月二十五日愛娘を■い各方面から香典を受けたので香典返しを廃して三陸海嘯の義捐として金三十円を寄託して来た
三陸海嘯 義捐金(四月廿日本社扱い)
金三十円東京市赤坂区丹後町三市来政尚
小計 金三十円
累計金三千七百八十六円八十一銭