被災地その後①
盛岡地方気象台 津波調査まとまる 波高は三陸沖地震よりも低い
盛岡地方気象台は、チリ地震
津波の特徴を調査するため宮
古市内は宮古測候所、宮古市
以北は八戸測候所、宮古市以
南は同台が担当、現地に技師
を派遣して調査していたが、
三十日その結果がまとまった
二十三日午前四時十分ごろ(
日本時間)南米チリ中部(南緯
三七度、西経七三度)に発生
した地震に伴う津波が約二十
二時間を要して東日本沿岸に
襲来したが、津波による異常
潮位検潮儀の記録によれば
宮古が二十四日午前二時四十
七分、久慈では同三時十分ご
ろに現われ、同四時前後から
異常引き潮のあと、同四時三
十分ごろ津波となって沿岸各
地を襲っている。津波の高さ
は農林が宮古市法ノ脇、金浜
の各五・三メートル、次いで陸前
高田市の小友町■■、同米崎町脇
ノ沢の五・一メートル、宮古市赤前、陸
前高田氏小友町三日市の五メートルで、
被害のもっともはなはだしかった大船
渡市では四−五メートルとなっている。
昭和八年の三陸沖地震による津波
の波高は、最高が下閉伊郡岩泉町
■■と田野■村■賀の十三メートル、次
いで同郡田■町の一〇・一メートルだが
今回は■■、■■とも一メートル、田老
が三メートルである事が特徴といえよう
この地震の規模(マグニチュー
ド)は世界最大のもので、盛岡
地方気象台のウィーヘルト地震
■にも■■■八十五ミクロン、
周期四十三秒、南北■五十六ミ
クロン、周期三十一・六秒、水
平動九十二ミクロン、周期三十
二・二秒を記録、その規模は長
野県松代地震観測所の推算によ
ると八・七五となっている。こ
れは昭和八年三月三日の三陸沖
地震の八・五、大正十二年九月
一日の関東大震災の八・二より
もはるあに大きいものである。
今回の津波の最大波高は次のと
おりである(カッコ内は昭和八
年三陸津波の最大波高、単位は
メートル)
▽久慈湊 四・一(四・五)▽
種市 二(六)▽八木二・四(
六)▽嶋越 一(九・七)▽平
井賀 一(八・二)▽■■ 一
(一三)▽田老 三(一〇・一)
▽小本 一(一三)▽宮古市赤
前 五(二・一)▽同法ノ脇
五・三(一・六)▽同金浜 五
・三(一・二)▽山田 三・
一(五・五)▽織笠 四(二・
四)▽大沢 二・七(六)▽吉
里吉里 二・九(六)▽大槌
三・四(三・九)▽安渡 四(
四・二)
▽赤浜 三・四(四・六)▽釜
石 二−三(五・四)▽両石
三・七(六・四)▽大船渡 四
−五(三−四)▽陸前高田三日
市 五(一)▽両替 五・一(
三)▽脇ノ沢 五・一(三・二)
一週間ぶりに登校 被災の大船渡小児童
犠牲者六人を出した大船渡小の児
童たちは、三十日午前九時、各地
区おとに先生に引率され、被災後
初の登校をした。津波から一週間
児童たちの表情からは被災当時の
暗さがほとんどぬぐい去られ、み
んな元気に先生の被害調査に答え
ていたが、寝込みを襲われて死亡
した■多喜子ちゃん(六才)の同級生
である一年二組の児童たちは、さ
すがに寂しそう。ぽっかりあいて
もうこない多喜子ちゃんの席を見
つめて小さな胸を痛めていた。
被災苦に神経衰弱 老漁師首つり
三十日午前九時二十分ごろ、下閉
伊郡山田町織笠漁業八木善七さん
(七〇)が、堂町織笠■火葬場で首を
つっているのを通りかかりの同町
織笠運転手■■徳治さん(二三)が発
見、宮古署織笠駐在所に届け出た
同駐在所の小山巡査らが約一時間
人工呼吸を施したが生き返らなか
った。
八木さんは同町で中流の暮しを
していたが、チリ地震津波でノ
リ加工場を流失、住処を全壊、
このショックで神経衰弱気味だ
った。八木さん方では被災当時
長男善雄さん(四二)が一関の■川
温泉に湯治中で、家族は善雄さ
んの妻みえさん(四一)と長男善政
君(一九)長女シゲ子さん(一一)二男
正志さん(八才)で、復旧作業もは
かどらず、神経衰弱が高じたた
めとみたれている。
在京県人会も街頭募金
【東京支社発】
在京岩手県人
会(東京都杉
並区大沼一ノ五五=金田一京助会
長)の代表十人は、二十九日、東
京銀座四丁目角で、チリ地震津波
被災者救援の街頭募金を行なった
が、三十日集まった九千二十円を
岩手日報在東京支社を通じて、県
災害対策本部へ寄託した。二十九
日は風が強く、ノボリも吹き飛ぶ
ほどだったが、同情をよせる人が
多く、なかには“黒沢尻の出身で
す”といって千円札を募金箱へ入
れていく中年の人もあった。
ヘリコプターで来た慰問品 米軍三沢基地の家族から届く
チリ地震津波による被災者たちに
贈って下さいと、三十日米軍三沢
基地の米軍家庭から暖かい慰問品
がヘリコプター三機で盛岡に運ば
れ、待ちうけた日赤県支部に寄託
された。このダンボール入り救援
品二十七箱はヘリコプターに同乗
してきた三沢警察署通訳沢田栄一
さんによると、米軍用のものでな
く、三沢基地内の千五百の米軍家
族から自発的に醵出されたことが
明らかにされ、出迎えた人たちを
一層感激させた。救援品には子ど
も用とおとな向きのシャツ、パン
ツ、セーター、上衣、下着類など
はいっている。
日赤県支部はさっそく沿岸の被
災地に分け送る手はずを整え、
三十一日現地に米軍の好意を伝
え送る。
〔写真は県警察学校庭に降りた津
波救援物資を運んできた米軍ヘリ
コプター〕
救援物資どっと 大船渡に関西からの第一便
大船渡市盛町浄願寺に設けられて
いる救援物資受け付け所には、ひ
っきりなしに各地からの愛の救援
物資が送り届けられている。三十
日には関東、関西方面からの物資
第一便がどっと到着、この中には
伊勢湾台風の被災地愛知県下から
も十数個が送られ「伊勢湾台風当
時のお礼でしょう、義理がたいも
のです」と整理に当たる係員を感
動させている。
さらに赤痢三人 大船渡市
防疫班の活動をよそに三十日にも
擬似二人を含む赤痢患者3人が大
船渡市内で発生した。赤崎町永浜
漁業熊谷七郎さんの長男勉ちゃん
(五才)大船渡町赤沢大工渡辺武雄さ
んの長男■■■(二八)赤崎町山口無
職今野花代さん(五一)の三人で、県
立気仙病院に隔離されたが、熊谷
勉ちゃんは検便の結果、真症赤痢
とわかった。これで同市内の赤痢
患者は真症二人、擬似六人を合わ
せ八人となった。