五十三の霊よ安らかに 大船渡市 涙も新た合同慰霊祭
大船渡市チリ地震津波の犠牲者五
十三人の合同慰霊祭は三七日に
当たる十三日午前十時から同市大
船渡町池ノ森西光寺でしめやかに
行なわれた。被災地を見下ろす高
台の西光寺には遺族をはじえ、衷
章をつけた各界代表者、一般参列
者約六百人がつめかけ、本堂はも
ちろん約三百基の花輪が並らぶ同
寺けいだいは参列者で埋めつくさ
れた。
祭壇右側には犠牲者五十三人の遺
影がかざられ、いずれも生前の元
気な表情でこの人たちが…と信じ
られぬほど。なかでもいまなお死
体が発見されない大船渡町赤沢松
田政雄さんの二男洋二ちゃん(二才)
の写真がひときわ痛々しい。一日
も早く発見され、かたわらにかざ
られた母親キクさんのもとに——
と参列者の同情を呼んでいた。
式典委員長の鈴木市長が遺族を
慰めはげますことばを述べ、導
師の読経、一般参列者の焼香が
あって弔辞が霊前にささげられ
た。県知事(玉村県厚生部長代
読)県議会議長(鈴木八五平県議
代読)山崎市議会議長、佐々木
市消防団長、佐々木市婦連会長
らが追悼の辞を述べたあと、学
友十人を失った児童生徒を代表
して大船渡小六年宮沢洋一君(一
二)大船渡中三年新沼信之君(一五)
盛小六年梅内三思君(一二)の三人
が胸を打つお別れのことばを読
みあげた。
「この四月ニコニコしながら入学
した弘子さん、滝子さん、勇君の
姿はもう見ることができない。手
をあげ答えることもできるように
あった可愛い一年生だったのに—
どうして津波がのんでしまったの
でしょう。小さな手や足をもがき
ながら苦しんでいったと思うと涙
が出てなりません。しかし、いつ
まで泣いていてもきりがありませ
ん。美しい町をふたび作るためが
んばります。どうぞ安らかに眠っ
て下さい」
と声をつまらせながら宮沢洋一君
が別れのことばを述べれば、遺族
参列者の中からは、これまでこら
えていた悲しみがせきを切り、む
せび泣く声があちこちに聞こえた
弔電披露、読経のあと木口美夜子
さんの父木口重太郎さん(県南バ
ス一関営業所長)が遺族を代表し
て謝辞を述べて慰霊祭を終わった
が、木口さんは「感謝の気持ちで
いっぱいでじが、文化国家にふさ
わしいなんらかの施設があったな
ら、こんな多くの犠牲者を出さず
にすんだのではないかと思うとく
やしい。犠牲者の死をムダにしな
いよう、早急に防災施設を完備し
てほしい」とやり場のない遺族の
憤りをぶちまけていた。
この日午前十一時には、市内の
サイレンが一せい吹鳴され、全
市民が犠牲者の霊安らかにと、
一分間のもくとうをささげた。
被災者たちも、復興の手をしば
し休めてもくとうをささげた。
〔写真は㊤祭壇に飾られた犠牲者
の遺影㊦声つまらせ弔辞を読みあ
げる大船渡小校生徒代表宮沢洋一
君〕
一関—大船渡間も開通
チリ地震津波
で不通になっていた大船渡
線陸前高田—盛間は、去る三日陸
前高田—脇の沢間の開通に引き続
き十四日一関から大船渡までが開
通、二十二日ぶりに平常ダイヤど
おり運転される。十四日大船渡ま
での開通によって今まで陸前高田
—脇の沢に一部列車の運休、時刻
変更があったダイヤも全部規定ど
おりいなり、延期されていたディ
ーゼル準急「むろね」も十四日か
ら大船渡まで延長運転される。な
お盛までは盛鉄局の懸命の復旧作
業で予定より早く十八日ごろ開通
する見込み。