文字サイズサイズ小サイズ中サイズ大

●被害地実見録 (千葉特派員第四報二十五日小本発)

二十四日普代の妙相寺を発し北閉伊郡田野畑村に入
る。同村字羅賀は全戸三十三流失二十破壊三土蔵一他に
小屋紊屋の類いづれも流失。現戸数十三死亡九十四内
男四十女五十四負傷十重傷三死体発見せしもの三十
九。羅賀島の越にて漁船の流失八百八十畑宅地山林
原野等にて十九丁七反一畝歩この?害価格十五万
〇七百五十円九十七銭。島の越は全戸五十三流失三
十五破潰一土蔵一死亡百三十八内男四十八女九十
一死体発見せざるもの九十一負傷三牛五頭馬二頭
流亡魚網百八十四流失。凶変当日は羅賀島の越両字
の漁夫二十一隻の船に四十余吊乗り込み沖合いにて盛
んに鮪の漁獲中如何にしたりけん流し置きたる魚
網は忽然船の下に巻き付き上漁甚だしき体なるにぞ。
いずれも上審堪えやらざりしも斯る空前絶後の凶災
あるべしとは神ならぬ身の露程も知るに由なく翌
十六日ソコソコに帰宅の途に就きたるに追々海岸
近くに漕ぎ付けると木材家具の類雑乱狼藉として
漂流し来たるを見るより人々はアナやとばかりに打ち
驚き是れ非常ごとにあらず津浪か地震かと気も魂
も身に添わぬまでに手のふしの続かん限り根かぎり
曳々声して陸地に漕ぎ付け見ればアナ浅ましや情
けなや祖先伝来の家屋なつかしの家族影も形もあ
らばこそ滄桑一夜の変相に互いに顔を見合すばかり。
更に言句も出でばこそただ茫然たるばかりなりして
察しやるだに血の涙あわれなりたる事どもなり。
羅賀島の越の両部落は山と山の間に介在しあり
凶変当日は咄嗟の事とていづれも逃るるに術なく激
浪に打たれ砂中に埋まり沖合いに押し流され板や木
材に取り縋りて辛く九死を出でたるもあり。田畑は
漠々たる砂地となり島の越は松島と称する一箇の
巨岩より成り立つ小島あり狂爛の激烈なる恰も猛
獅の口を開きて駈け来たるが如く屋上一丈位も押し
寄せ来たりとこの辺も一体に内福の漁家多く古金
銀等函入れのまま流失したるも少なからず衣類夜具
等海岸に山の如く打ちあがりたるを蒐集しこれを
洗い乾かして警官立ち合いこれを各自に分配し保
管せしめまた打ち上げ家財は役場にて保管し居れり。
此日日本新聞特派員淺水友次郎宮古町有志者某等
と邂逅相伴うて小本に来る。
小本村字中野小成いづれも罹災甚だし小本市街は南方
山手に添えあり中野は海岸の正面に位しありて小
本の流失家屋は中野方面に山の如く漂着し来たりため
に中野の住民は逃端を失え看す看す木材家具等
の下に圧死を遂ぐるもの多し。負傷者は小本の分は
稲荷神社に引き揚げ中野は山手に引き揚げ駐在巡
査役場吏員等は岩泉警察署に急報し同署長は巡査
及び松本医師を同行出張し直ちに救護に着手せり。激
浪の寄せ来たるは前後三回にして当時海面火の
如き光炎々たりしと。
目下日々山の下土手小堰藪等より死体続々発見いづ
れもすでに腐敗して異臭鼻を突く。石井医師は普代よ
り小友までの間を引き受け二三里の険道を往復して
治療に尽力し居れり。薬品は立ち切れ殆んど困難の
処二十四日南北岩手紫波郡書記小屋敷美憲氏人夫
百五十吊を引率し来たり薬品を携帯し来たりたれば患
者等いづれも安心したり。閉伊郡内罹災民重傷者は宮
古高等小学校内に開設の臨時病院に送りたり。
該付近木材流失その他の取り片付けのため盛岡市消防
第一部二部三部四部の組員来たり。普代へは山口藤吉
の組五部と田野畑へ六部は小友へ中野組消防は五
十人田老へこの引率者は橘正三田野畑人夫頭は田
村常吉長谷川徳治。小本村字中野へは藤島徳治この
総監督は小屋敷郡書記にして中野に本部を設けた
り警官郡吏村役場薬局等皆この地にあり。北九戸郡被
害地へは二戸郡福岡地方より人夫を派遣し南九戸
郡へは南岩手郡厨川米内淺岸より募集の人夫大沼
同郡書記監督野田へ出張。また藤田杉本同郡書記は九
戸郡衙へ出張事務を補助せり。為田常置委員は災害
地取調べとして小本に来たり同所より本日九戸方面へ
向け出発せり。
宮古より九戸までの間は食物等売る処なくまた宿もな
し役場救護所警官出張所に付き宿泊は乞うより他
に手段なし。一番に困難なるは鞋を売る処もなし。今
後の視察者は軽便なる食料を用意するも然るべし。
凶変当日には此付近各地に激浪にまじりて鱒、鰈、
鱸、鮑、ほ北寄等の魚介多久山陸上に打ちあげられたれ
どもこれを食するものもなし犬も喰わぬ有様なり。
北九戸種市よりこの付近まで木材家財船舶等の打ち上げ
物漂着物にて沿岸至る処山の如し。

●惨聞一束

◎海産物の問屋兼田イワなる者濤勢を恐れて土蔵
内に入り錠前を卸したるがその土蔵潰裂流亡して十
七八人の家族後見人某は戸外に逃げて免れたり他
皆揃うて無惨の死を遂げたりと、而してその庭前に
なりしまわり一間ばかりの老欅樹はいづれに行きしや全
く影も形も見えずなりしに。同じ海産物問屋に松前
岩蔵なるまた土蔵に入りて全家族は悉く溺死せり。
◎野田の村長岩本武登氏は鯨波襲来の際最初両脇
に両人の小児を抱えて駈け出したるが保ち負うせず
一人は溺死せしも一人は木材の間に介まりてした
たかに海水を呑みたるため全身脹れ上りたるも辛
うじて命を留め妻女は早くも山に逃げ延びたり長
女の行方を案じ家に取って返したるために溺れ岩
本氏は両脚に負傷しながら傍らの一女を介抱しつ
つそれぞれ救護の事や死体の取り片付けその他の世話を忠実に
指揮したりと如何にも気の毒の至りなりと。
◎久喜には十五才を頭に六才までの四人の兄弟を除
く他全員皆死去したるが皆揃ういも揃って重傷を負
い包帯だらけの体を並べて一室に呻吟し居ると。
◎野田の有吊なる水産家長内義雄(六十年)なる人は過
般宮古の水産会に出席し淺沼郡長と共に帰宅し隣
村なる本家に出向きたる跡にて難に罹り驚き帰り
て見ればただ一円の荒原と変化し家族一人の隻影だ
に留めざるよりただ茫然佇立するのみなりしが同郡
長にはオイ君どうしたと問い右の次第を述べられ
て共に貰い泣き暫時しは泪に咽びたりと。
◎この辺の死亡者中には耳なきもの、手なきもの、
頭首処異にして更にその何人たるを弁じ得ざる
者多しと。
◎大須賀菓子小売商三枚堂なか(四十四)はその母と子供
二人都合四人暮らしなるが海嘯と聞くよりなかは早
くも幼児を背負い左右の手には老母と一番目の児
の手を堅く握り戸口を逃げ去ってようやく二間程も馳来たり
し頃山なす波に追い立てられアワヤと言う間もなく
背中の児は怒れる怒に抜き取られ左右の老母も子
供も手を離され四人は散々になって推し流されたる
がその内九死の中より一生を得たるは■なかのみに
て他の三吊の死体は翌日に至り泥砂の中より発掘
したり。さておなか当時の辛酸難苦を極めたる顛末を
聞くに同人は三人の母子と引き別れてより二三十町
程も沖へ引き流され浮きつ沈みつ苦しみ居る中材木の流れ来た
るに取り縋り暫し息を継き居る間もなく急激なる引
汐に遇うて身は材木と共に蓬莱島(俗に珊瑚島と
云う)の岸頭に打ち投げられ太く肋部を撲たれたれ
ども物ともせず身を起こして島に這い上がらんとせしに
またもや立汐のため足を渫われ何処ともなく打ち流さ
れたるが偶々身辺にハンギリ(大盥)の浮漂せるを
見つけ是れ幸いとこれに取り付き打ち乗らんとしたれども
ハンギリ幾回か転回し転回する毎に潮水を呑み今
や身体も悉く疲労し気息奄々たる折りから立汐のた
めに小枕といえる岸辺に打ち揚げられしかば翌朝に
至り安渡なる圓之助舟に救い揚げられ遂に辛うじ
て一命を助かりとし云う。因みに記す同■なかは体躯
大に肥満し平生歩行さへ自由ならざるその上妊娠
すでに六ヶ月を経過しつつあるにも拘わらず斯る危
難大苦に遇うてなお生命を?せざりしは天幸とや言
わんか上思議とや言わんか。
◎吉里々々村にて海嘯の翌日泥砂の中より乳児を
背負いたるまま死したる婦人の死骸を発見したりと
の届出に掛官は直ちに出張してこれを検ずるに上
思議や乳児は存命し居りしかも些の負傷だにせず
最とも健全にてありしと。思うに是れ引汐の際母は
流れ来る材木等に胸部を打撲せられためにかよわ
き乳児に先立って無惨の死を遂げたるものなるべし。
◎阿鼻叫喚とは九死一生の場合において発する悲惨
なる音声なりとはかつて聞き居たれど余は海嘯の際
は於て始めて阿鼻叫喚という音声を実際に聞き得たり。
そは一人の婦人屋根の上に居て遠く海中へ推し流さ
れし時の実況にしてその助けてケロウ(助けてくれ
えというを方言助けてケローという)と叫ぶ声に哀
れに悲しく淋しく殊に身体は潮水を受けずぶ濡れ
になり居ること故その間にふるい声交じりてその凄きこ
と実に得も言われず越路などは善く泣く真似して
人を泣かすれどもし人をして平生に在りてふとこの
実際の阿鼻叫喚の声を聞かしめなば人まさに凄死
するならん。

●僧侶の義挙

西磐井郡興田村西光寺住職石川
眞龍氏は一昨年戦争に際しては非常の労苦を嘗めて
南海岸即ち宮古山田釜石盛等の諸港を初め西東磐
井を奔走し恤兵の大義を奨励せられしが今回彼の地
上幸にも海嘯のため惨傷見るに忍びさるの報に接
し直ちに近隣字西舘小山組合有志二十二吊を説き被害
地負傷者扶助料並びに吊慰の微意として米一石を盛
事務所に寄贈せり。なお同師は実地被害地を吊慰の為
本日出発視察の上当村有志はもちろん西東磐井各郡村
を奔走し救助の策を講せらるる決心とは寔に感?
なり。

●内國保険会社

仙台支社支配人田邊正四
郎及び小岩昌の両氏県庁に出頭村上参事官に面会し
被保険者一族全く死亡したるものは後の事とし取り
敢えず生存して書類一切紛失したるものはそれぞれ
取り調べて保険金を下げ渡しまた此際詐欺の法を以て下げ
渡しを乞うものあるときは甚だ上都合の次第に付き
これ等の取り調べを願いたしと依頼する所ありたり。

●海嘯と疫病について

今回の海嘯について更に
コレラその他の流行病発生すべしと心配するものな
れど従来の経験によれば津浪は洪水と異なり潮水
なるがためか田畑を?ずること洪水の上になるも
疫病を生ずる憂えなしに現にリスボン、マドリット両
府の如きも疫病流行地なれば海嘯の年には発生せ
ず。また岡山県の海嘯の時も同様疫病流行せざりし左
れば三陸地方の被害地にも流行病は発生すまじと
シタリ顔に説くものあれど甚だ安心ならず注意の
上にも注意すべきことなかりかし。

●郵船会社の義挙

本紙前号略載の如く三陸被
害地は殆んど運輸交通の道絶え金品を罹災人民に贈
らんとするも急需に応すべきもあらずして徒らに
義人の心を痛ましめたるが日本郵船会社また此に見
る所ありて急に重役会議を開きたる結果七月三十
一日までの間汽船千歳丸を全く被害地往復の用に
供することとなり乗客寄贈品は勿論商品といえどもおよ
そ罹災地方に送るものは悉く運賃を半減と定めた
り。而して千歳丸は絶えず萩ノ濱函館間にある筈な
れば神戸小樽間の定期航海船に搭せるものは萩ノ
濱にて乗り換えそれより被害地宮古、釜石、八戸等に
赴くを得れど最も便利なり。同社がこの義挙のため直
接に?失する所の金額はおよそ一万円以上に達する
見込みなるも現に他方に在りて多分の収利ある千歳丸
を引き揚ぐることとなれば其当然に得らるべき運賃
を精算する時と同社の?失は二万五千円以上の巨
額なるべしという。

大海嘯大惨害救恤義捐人吊

一 金九円七十一銭
東和賀郡和賀高等小学校生徒百六十六吊分

金二十一銭宛 古川文左衛門 伊藤吉治
金十五銭宛 平野善六、小澤喜惣治
金十二銭 阿部新介 金十一銭 相澤安蔵
金十宛 池田幸七、加藤正次郎、及川銀太郎、石
橋賢齊、村井宗一郎、柳佐平、野村仁平、柳澤平八
郎、高田昭造、佐藤文治、瀬川直夫、佐藤二郎、吉
田昌作、阿部正次郎、郡司萬蔵、畑田安右衛門、米
谷一郎、岳間沢敬三、及川元一、玉澤秀次郎、佐藤
善助、三浦義惣治、渡邊新次郎、福島佐兵衛、芳野
正次郎、郡司富蔵、齋藤重太郎、熊谷善蔵、星宗平、
高橋緑、鹿島武雄、小笠原正蔵、伊藤平蔵、高橋秀
雄 金八銭宛 及川榮蔵、平野直助 金七
銭 齋藤友吉 金五銭宛 木村彌平、阿部末
吉、及川豊吉、松本定吉、鈴木仁平、後藤半治、八
重樫勘蔵、渡邊勝治、八重樫勘右衛門、小澤恒一、
佐藤整治、平野文五郎、淺田義七、小田島金蔵、菊
池甚五郎、柴田房次郎、折居明輔、玉澤新三郎、渡
邊勘五郎、高橋作右衛門、桑島美男、昆野隆司、工
藤平吉、高橋長八、八重樫新之丞、及川清、菅原傳
治、菊池由蔵、高橋財次郎、佐藤喜太郎、千田榮治
郎、八重樫利三郎、高橋善松、及川眞清、高橋與平、
八重樫半四郎、菊池幸助、高橋友三郎、澤藤定吉、
澤藤半七、吉田庄三、伊藤長次郎、相澤傳吉、武田
佐四郎、遠藤精吉、及川明治郎、高橋直治、亀喜八
郎、佐藤養助、瀬川深志、橘徳助、菅原新八、小笠
原清七、鬼柳春吉、昆りよ、前田わか、石橋ちか、
後藤あい、安島とよ、阿部いま、吉田さわ、高橋た
け、八重樫たけ、平野まき、澤藤いさ、福島さだ、
小野寺つね。阿部てい、佐藤べん、齋藤いよ、八重
樫とみ、齋藤すよ、三島みき、及川さだ、佐藤たぬ
金四銭 米内清次郎、昆甚平、加藤正三郎、三
浦嘉一郎、都鳥四郎、 金三十銭宛 菊池久三郎、
高橋金次郎、八重樫萬七、及川佐七、高橋松兵衛、
高橋勝太郎、三田長之助、佐々木忠助、八重樫安
治、花岡清、高橋俊次郎、金田竹夫、鬼柳庄治、及
川佐吉、高橋佐太郎、八重樫兼蔵、城戸傳吉、小野
富治、高橋定治郎、澤田定蔵、安原宗助 金二
銭宛 米内壽、朝倉武俊、本宮三助、武田善平、小
瀬川熊五郎、佐藤福治郎、高橋源治郎、鈴木秀三、
工藤東治、齋藤誠一、鈴木忠八、渡邊門吉、齋藤荘
次郎、千田専治、工藤留吉、三浦市蔵、高橋万太郎
金一銭宛 早坂大右衛門、高橋勝次郎、高橋万

一 金五十銭 盛岡市鷹匠小路 田鎖綱郎
一 金五十銭 北海道岩内郡橘町字清住 坂本榮蔵
一 金一円 羽後国仙北郡荒川鉱山 石川司郎
一 金一円 同 成田万太郎
一 金五十銭 同 三島庸助
一 金二十銭 同 女鹵宗
一 金四円 安田銀行盛岡支店員 吉田文彌
一 金二円 同 竹田錠三郎
一 金二円 同 宮崎忠三郎
一 金二円 同 三品鍋次郎
一 金五十銭 盛岡市馬町二十一番戸 佐藤幾次郎
一 金五銭 同田町 山屋
一 金十銭 同大工町 赤澤逸作
一 金二円 北上株式会社東京支店員 鳥谷常助
一 金一円五十銭 同 米田■之助
一 金一円五十銭 同 粟谷川光徳
一 金八十銭 同 菊池治三郎
一 金八十銭 同 吉田幸之助
一 金八十銭 同 前田芳治
一 金八十銭 同 水澤喜蔵
一 金六十銭 同 大久保春吉
一 金六十銭 同 丙國常松
小以金三十四円六銭
通計金四百十二円九十七銭七厘