●畏き叡慮
今回の海嘯大惨害につき 畏き辺りに於かせられ
てはもっとも深く宸襟を悩ませ給いその被害地たる岩手宮
城青森三県知事等より日々内務省へ到着する被害
報告は細大洩らさず一々詳細に叡覧在あらせらるる
と共に時々被害地方の地図まで天覧の上侍臣の人々
へ被害に関し種々の御下問ならせるるよしに洩れ
承る。
●両陛下御下賜金
今回の大海嘯につき本県へ御下賜の分は昨紙電報
を以て報ぜしがなお宮城県へ三千円青森県へ千円を
御救恤として下賜せられたり。
●南部伯の叙位
同大臣には予報の如く昨日の下り直行列車にて随
行官小野田警保局長栗原秘書官高木技師山田警部
牧野新庄津田三同省属と共に着盛陸奥舘に投宿せ
られしが本日午前八時を以て当地出発宮古方面被
害地巡視の途に就かる。その行程は左の如し。なお
聞く処によれば同大臣には釜石久慈方面へは巡視
せられざる由に聞く。
六月二十四日午前八時発 梁川昼飯(配当)松草泊
◎六月二十五日午前八時松草発 川内昼飯(配当)
川井泊◎六月二十六日午前八時川井発 茂市昼飯
(配当)宮古泊◎六月二十七日宮古附近巡視◎六月
二十八日帰途に就く川井泊◎六月二十九日松草泊◎
六月三十日盛岡に帰る。
●龍田艦八戸に向かう
一昨日宮古に入りたる同艦は同日八戸へ向へ出航
したる旨昨日発電あり。
●?部県知事
同知事には一昨日釜石方面へ出張の処内務大臣来
盛の報に接し遠野より引き返し昨日帰盛せしが本
日大臣一行と共に出発したり。
●久米内務参事官
同参事官には本日来盛直ちに宮古以北被害地巡視
として宮古に向け出発の筈。
●赤十字社病院
昨二十二日までに宮古出張同
病院へ入院せし患者三十吊外来患者二十吊なりと。
また山田方面も重傷患者多きを以て同病院を設置す
る趣なり。
●看護婦来盛
大日本赤十字社より派遣せられ
たる看護婦長佐藤梢看護婦加藤まさ松澤ゑつ綿谷
禮利の四氏は昨二十三日下り直行列車にて来盛直ち
に宮古方面へ向け出発せり。
●大森英太郎氏
本県各被害地へ派遣の医員調
剤員及び看護婦看護人等追々増加せしに就き取締り
上のため左の如く赤十字本社長より嘱託せられたる
よし。
大森英太郎
岩手県出張中医師心得を以て可相勤候事。
●自由党被害地
派出員
自由党本部においては今回の大津波につき被害地視
察として先に江原代議士を特派することとなす。
すでに発途宮城に入りしも同氏は余儀なき要件のた
め愛澤代議士(福島県選出)之に代わり同氏は一昨日
の下り第二列車にて来盛奥舘に一泊の上当市党
員諸氏とそれぞれ打ち合わせを遂げやや気仙方面より
巡視する筈にて昨日の上り第二列車にて水沢に至
り夫れよア急行気仙に向かいたり。また昨日板垣伯と同
車来盛したる下飯坂代議士は県会議員阿部新作氏
と同行。昨日の下り終列車にて八戸に至りそれより
管内各被害地を巡視する由なり。
●真宗本派慰問使
真宗本派本願寺においては先
きに本県罹災者救恤として金千円義捐せられしが
なお罹災地慰問使として開教事務局副長二等巡教
使武田篤初師を派遣することとなり同氏は本日の
下り第一列車にて来盛の由。
●大海嘯概況報告
宮古測候所より這回の大海嘯概況を左の如く報
告あり。
去る十五日夜の海嘯は安政年代以来未曾有の一大海
嘯にして本県管内東海岸地方は勿論隣県沿海地方
いずれも多少惨害を蒙れり。而して本県各津浦の状況
は実に酸鼻に堪えざる惨状を呈しその被害の概況は
死傷数千人家屋船舶の流亡破?無算なり。当地方に
おいても沿海各町村惨害を蒙らざる所なくその甚だしき
ものは全村悉く流亡せし所ありと。今を去る四十年
前安政三年七月二十三日(陰暦)正午頃のものは地震
は甚だ強く且頻繁なりしも海嘯は這回程の惨状を
呈せざりしと古老は云へり。今海嘯当時の模様を略
記すれば前日来陰鬱の天候にして雨霧あり気圧及び
温度共に累年より高度を占めしか午後六時三十二
分三十秒やや弱震し震動時間は五分の長きに亘り
方向は東北東、西南西にして頗る緩慢なりし。次いて
八時二十三分十五秒八時三十三分十秒八時五十九
分〇秒に微震しその後九時より十時までの間に四回十
時より十一時の間に一回十一時より夜半までに二回
の微震ありて計十三回震動せり然り而して津波の
起こり始めは(海水の減退し始めし時刻)夜間にて精測
し能わざれどもおよそ七時五十分頃にして同八時頃
増水し暫時にしてやや減退せしが八時七分に至り
て最大の津波来たりおよそ一丈四五尺の高さなる激浪
轟々遠雷の如き響きをして襲撃を勿諸の間に家屋
人畜を一掃し去れり。爾後著しきものは六回にして
翌日正午頃までは幾分の増減ありしものり如き。また地
震は翌十六日は十三回十七日は十二回十八日は六
回にしていずれも微弱なりし。なお詳細は追って報告す
べきも上取敢ここに概要を報告す。
●医師の猛省を促す
今回の天災たる振古未曾有の惨禍を我が県民に蒙
らしめたるは皆人の知る所にして苟しくも血あり涙あ
るものの能く忍ぶ所にあらざるなり。則ち当局者の
施設と尽瘁とは必ずとも言はず須らく力なきもの
はその力を労し財あるものはその財を捐てもしくは口に
筆に各自その能くする所を傾尽して以てこの上幸な
る同胞を九死の中に救わざるべからずとす。就中医
師の如きその術とを以てして今や死に垂らんと
する災余の負傷者を治療するは当然の任務。また誰
か之を疑うものぞ是を以て赤十字社の如きは百数
十里を遠しとせずして自資を抛って医師救護員看護
婦等を遣わし来たり。二師団また軍医を派出せり
然り而して我が盛岡市の開業医師中奮然自ら起ちて被害地
に赴き病者の治療に従事するものあるを聞かさる
は怪しむべし。特に某医学博士の如きは■に自ら起たざ
るのみならず恬としてその筋の依託を回避しもしくは
負傷者を棄てて遁走顧みざるか如き咄々何たる怪
事そや豈其れ負傷者の症痍軽浅諸君の手腕を労
するに足らずとするか将はまたその人血なく涙なく自
私自利の他一片の慈悲と義侠とたに欠如せるに由
るか今や畏くも。
主上皇后両陛下深く辰慮を悩まし賜い特に侍従を
して被害地の状況を査察せしめられなおまた宮廷の費
を省かせ賜いて賑恤し賜う生民たるもの誰か大
御心の優渥なるに感泣せざるあらんや矧んやその被
害地の県民の如きは救護のため粉骨砕身もとより当
に辞すべきにならざるなり。嗚呼災余幾万の無告は
脳を破られ肢を折られて荒野に呻吟せり。医師諸君
の血なき涙なき我之を信せず希くは猛省一番せよ
(歯切子投)。
●急務急務大急務
非常の時に際しては非常の断を要す区々杓子定規
に拘泥するが如きは刻下の急状決してこれを許さ
ず。されど当局者たるもの今の時に当たりて将た何の
躊躇する処ぞ。ただ全力を尽くして専心一意他を顧み
ず断乎として敏活なる措置を施さぐるべからず。
之れが為めに多少常時成規に違う処ありとするも
その過ちや所謂君子の過ちなるものにして人も之
れを咎めず。また自らも毫も疚しき処なけんや当局者た
る者豈猛然として奮う処なかるべけんや。献身的精
神の発揮今日において最もこれが要を見る。罷り間違
ったらは身命を犠牲に供する決心を以て事を■
区々体面を飾り位置を眷属懸するが如きは今日の
■■之れを許さぬなり。
今回■海嘯の凶報に接するや吾人直ちに之を以て
県治当局者■始め■県民■■■■■■訴える処あり
き爾後の■■強■■■■■■■返すの要を見る。
被害■各人間の■■■■■その惨■報じ来る何は
さて置き被害民救恤方傷痍者の救護方屍体の片付け
方この三大事は実に刻下焦眉の急務中の急務にし
て此事たる寸時瞬刻も忽せにすべからず。
今や災害地各方面より当局者処置の緩慢を訴え来
るもの続々是れなり。勿論惨害の区域程度は予想の
外のものにして手廻り兼ねたるもあらん。この事情
は吾人また推知せざるにあらずといえども惨害状況の逐
次知悉せらるるの今日に際し区域県郡吏の派遣や
僅かばかりの人夫募集や米噌送り出しぐらいにて何
事をか為し得らむべき。余事は何も顧みるに及ばず県
郡吏方市町村吏より県議員その他苟しくも多少の位置
肩書きを有する者はこの際いずれも引きあげてこの急務
に当たらしめよ。人夫の如きは戦争当時軍夫を募集し
たるよりはなお一層の区域を広めて募集せよ。大いに
軍隊の派遣を乞うもまた大に宜し。医員看護夫の増派
病院救護避難救恤所等の増設此等の急務たる官民
全体の力を以てこれに当たれよ。もし緩急の機を失
するが如きあらば津浪そのものの惨害よりは層幾層
?幾?の惨害は全局を圧し来たらん姑息彌縫何かせ
ん奮えよ当局者起てよ。県民斯く記し了りし際特派
員よりの急報あり曰く人夫の保給最も必要あり。罹
災民飢餓を救うの方法また更に最も必要あり当局者
は勿論此辺に尽力しつつならん。然れども災害地方
今に此の澤に預からざるもの滔々これ也。今や人民知
るも知らぬも相逢えば血涙相澆ぎ向後の生存につい
ていずれも悲痛せざるはなし。特に屍体埋葬し了らざ
るもの及び埋葬したるものも■々の際とて土穴浅
くして恐るべき流行病の発生を見るの大憂あり処
分の緩滞なると救恤の普及せざるは実に刻下の大
恨事なり。各地方より入り込みたる新聞記者を始め
いずれも当局者の措置遅緩なるを歯痒く思いれり云々。
アゝ非常の時は真に非常の断に出でざるべからず。
●被害地実見記
(千葉特派員第一報。二十一日久慈町において)
八戸町を経て北九戸郡種市方面に廻り種市、玉川
鹿糠、平内、川尻、横手等の諸部落惨状を巡見した
ア悲惨酸鼻の状いずれをいずれと拙筆の尽くし得る処に
無之候。当日は旧暦端午の節句とていずれの家も六親
眷属打ち揃え此の佳日を祝えと思い思いに酒興を
催し余念とても無かりし中天変地異の是非もなく
同夜八時半に至りて初め小地震あり次いで遠雷の如
き響きなりたる間もなく海面より十丈余の巨浪山
岳の如く圧し来たり。アナやと思う間もなく忽ち家屋
を引きさらう。その勢いの凄まじさただ茫然として激浪の
中に押し流さるるもあり二階に登りたる家屋と共
に漂うもあり浪にあおられて陸上にハネ上げられ
計らずも一命を拾えたる果報者もあり。また自分は一
旦逃れ出たるも流石に親や子に心引かれて取って
返して諸共に溺死したる上幸者もあり。木材に取り
縋りてその翌日漂着したる高運者もあり。その他親に別
れ子に離れ妻を失い夫を失うたる者数知れず。海吹
は南方より起こり北に抜けたる如く一丈四方位の大
岩石の海中より打ち上がりたるもの所々にあり破潰家
屋は八分通り海中に引きさらわれ追々木材家具死
体等漂着したる者山の如し。同村部内なる八木澤全
戸三十七の内三十一流失。玉川鹿糠平内川尻横手の全部
四十五戸流失。その他土蔵紊屋塩竃等の流失破潰多く
宅地四町五反二畝畑同三十町三反二畝歩道路千八
百五十間■粱九ヶ所運送船二隻漁船二百二十四隻田
地五反歩鰯網五把流網二百四十枚等流失。死者百八
十二(男八十一女百一)負傷三十三(男十七女十六)
内重傷五吊。二十一日までに発見死体六十五。負傷者は附
近に残り居る家屋四ヶ所において救護中。郡村吏員警
吏等は出張。死体捜索漂着木材家具等の取り片付けに尽
力中。中野原子内小子内侍濱及びその附近部落の人畜死
傷少なからず。近傍の山の五丈余の立樹に漂着の家具
塵芥等夥しく付着しなるを見れば濤勢の激烈なる
ことに今にして思うも身の毛のよだつ思いせり。何処
も同じかるべきが人夫の至って上足にて何事も手
廻り兼ねるには困難至極なり。
事変は当日八木及び宿戸等より漁夫四十余吊が赤魚目
抜魚を漁獲せんとて五六隻の漁船に乗り込み沖合い
に出で漁獲に従事し居たるに看る看る中に海面一
條の黒線は北方より南方沿岸に突き抜けたるが之
れと同時に張り置きたる網はグラグラと■盪し折
角網に入りたる魚は為に悉く逸し去りたり。この体
を見ていずれも顔見合わせ何事ぞと上審に思え居りし
が別段危険の事もなく翌日帰宅したるにぞ看る人
能くも此の凶変を逃れたることよと驚きしが此等
の漁夫もまた■来家を失い家族を失いたるに驚き呆
れて悲嘆の極ただ茫然たるばかりなりしとぞ。
種市村の災死者中には臨月に近づきたる懐妊婦二
吊あり。しかも頭を並べて同じ処に死体の漂着せし
は無残にして上思議あり。
数ある死体の中最も人として酸鼻の情に堪えざら
しめたるは一人の男三才ばかりの子供の襟を攫みた
るまま浮きあがりたり恩愛の情左もこそと看る人顔
を掩うて泣きぬ。
二十一日石津収税長は小野県属原収税属を随え罹災
民慰問教護として来たらる。(未完)