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●災害地出張日記 (第三報)(十八日午前釜石にて) 特派員 日戸勝郎

◎釜石町役場の書記某は海嘯の晩宿直にてあり
しに海嘯引き去るを見て家に帰りて亡命骸なりとも引き
出さんと到り見るに水中一女子の頭ばかり出して傍
ら皆雑具に挟まれて居るありけり。驚いて丁寧に雑
具を取り片付けつつ引き上げしに何ぞ図らんただ是れ
首ばかり洗い見しに是れ自分の実姉なりしと感
情如何に。
◎小軽米庄左衛門氏は汪氏の本家なり。海嘯の時皆
人を呼んで助からんとせば吾家に来たれば海嘯
も入ると思いしと云うてなんでも五六十人も来たるべし
と云う。然るに流石堅固の大家も一挙して敢えなくな
りし。さればこの家を掘り■き見ば非常の亡骸を発見
するならんと。如何にもその跡を見しに倉も家も地上
に粉砕されてベタ付きたり。すべて一面の野原のみ。
◎宇平田と云える学校の教員脇山某氏はこの夜酒に
酔い前後を知らず伏し居たるに海嘯の音聞こえて妻君
は疾歩してその夫を呼び起こし自分は直に外に駆け
出たり。然るに脇山氏は一向知らずして海水家に侵
入し来たるも自分は波のまにまに板の間にゴロゴロ
転びてありしがあまりの響きに目覚めて見れば此は如
何にこの有様に直に飛び出したり。然るにこの時は恰も
波の退きしに後なれば何の苦もなく助かりしも妻君
が外に逃げ出せし為め却って果敢なくなりしと。
◎遠野町より釜石に来たり使えし手代なり当夜の海
嘯に火事だと見違えて意気あり倉の屋根に登りし
に火よりも猛き勢いに海水一時に倉諸共に奪い去
りぬ。同人は屋根の上に漂流せられしまま引きずられて
沖合いの山側に打ち付けられまた引き返されて釜石町の
上に来たりぬ。その時前面に船流れ来たりしかば好き幸い
と飛び乗りて■いしにまた一の大なる帆舞船勢鋭く
■り来たりぬ。これに打たれては大変なりと前面に流
れ居る屋根の上にまた飛び移りぬ。然るに不思議にも
帆舞船はこの屋根を押し送りて町の後なる山坂に
寄せ付けしかば天の与えと喜びて樹枝に捕まり助か
りしと。
◎同じく一八の手代十三才ばかりなるが当夜水を蹴っ
て逃れ出でし時後より女に手捕られぬ。振り離さん
と「モガク」に女水中より声掛けて吾を助けぬなら
祟るぞと云いし兎に角自分は逃れ出しが今に考
えてもその声耳に在りて忘れられずと。
◎北村収税局が路傍に老人と子供の負傷しつつあ
るを見ぬ。問えば当地の質屋にて随分の財産家なり
しが自分は逃れ出でしも残りの者気に掛かり引き返
せしに長女が水中より頭出して救いを呼ぶに会い
ぬ。急ぎて手を取りしに爺さんよく来てくれた吾はこ
の二弟を助け度えばかりに腕一つ足一つを失いし。自
分はこれにて御暇申すべし。二弟は助かれば本望な
りと言いしに父はいずれも引き上げたり。二弟は皆気絶
して在りしが背打ちて水吐かせしに共に蘇生して
けり。姉もしばし生きて居りしが無残にも翌朝死亡せ
りと。またその時末弟を背負い来たりし時石垣の間より何
者とも知れず手を出して父の帯側?みつつ吾は石
巻の某会社長とかなり助け下さらば財産は望みに任す
べしと言いて離さず。父は子供の手当てに力及ばぬ
る事と謝りしも引き落とされて父子共に頭部なり脚
部なり非常に負傷せしが兎に角生き延びるを得たり
と涙ながらに語りつつ。さてこの後如何にすべきと
親子途方に暮れ今に飯をも食わぬ有様故。北村氏は
所持の丸飯を出し与えたりと(十六日のこと)。
◎十八日の晩方なりし残墟中を人夫等彼地此地発
掘し居りしに足の下に呼び声の聞ゆあり。人が居る
ぞと早速屋根材木を形付け見しに箪笥と箪笥の間
に挟まれ四囲には雑具に囲まれ死人の頭なども見
えしがその中に丸くなりて十三歳位の少女蹲り居
たり。人夫等喜び材木を切り放して救い上げんとし
に少女は材木を切りて崩れ掛かる虞あり止めよまた
頭の上を歩かれて砂が眼に這入るから手拭い借せと
て眼を掩いし抔中々元気なり。赤十字社員は水に薬
入れて飲ませ■く引き出せしに頭掻きつつ戸板に載
せられて仮病院に行きし。而してこれ十八日の晩方
なれば殆ど四昼夜此に蟄伏せしなり。
◎大槌町 同町にては娼妓一人も死傷なし。また釜石も然り
と。これも不思議と云うべし。
◎大槌町の教員道又某氏は海嘯の時屋根を突き破り
て屋上に登りしが二階には両親が孫を抱いて水に浸か
りつつも狼狽し居るを見耐え難くなり屋根の穴より
手を出してここより登るべしと勧めけるを両親は
罹災の中にも孫を助けたしとてわれらはドーしても
登るべしまずこの子を助けよと指挙くるをイヤソー
でなしと彼此せる中に第二の波来たりて家を打ち揚げ
打ち去りぬ。その打ち寄せらるる時自分は樹に取り付いて
助かりとも第二の波に両親及び孫がその波に浚われ行
くを坐ながら見送りじ時は九腸も寸断せらるるの
思いにてなりしと。
◎当日の海嘯は市中に在りて死せるもあり。また海
中遥かに浚われて却ってするめ船などに助け上げられしも
あり。船長水夫等には此類多しと。海嘯の時は岸は波
甚だしきも沖合いは却って平穏なるもありと。
◎昨日頃より掛けて網にて海中の死体を捜索する
にし海中には一層多からんと言えり。
◎両石村に行く途中字入海と云う処に板小屋掛け
て七八人の負傷者日に照らされつつ凌ぎ居りしがその
小屋の下には大いなる牛死し居りぬ。衛生などと云うも
この場合悠長だがしかし負傷人の為には一段の苦しみ
なるべし。
◎石巻無事あるよし。而して釜石はじめ田中製鉄所
に船にて米送るよし二十日頃は入船すべしと。
◎田中製鉄所の鈴子出張所員は当夜非常に尽力し
たりと余の知れる下斗米氏は恰も此夜製鉄所の当
直なりしにこの騒ぎに蹴起して車道馳せて釜石に向かい
しに水漫々として浸し来たり助けてくれの声四方に
聞こゆ。下斗米氏は職工を督して火を焼かしめ五六人
を助けたりと。
◎この騒ぎにて田中製鉄所の損失は四万円ばかりしと。
◎釜石の桟橋は薪及び良鉄を積みしままにてそのまま岬
に浮かび居れり目下これを引き寄せ中なりと。

●酒井技手遭難実況

南九戸郡門前村出張中十五日の凶変に遭遇し同
行の佐藤内蔵氏は死しその身は九死を免れた
るも脚部に負傷し目下久慈町において治療中なる
本県技手酒井鐡三郎氏の遭難実況は左の如し一
読凄愴の感に堪えず。
二十九年六月十五日は朝来より微雨にして梅霖の最
とはいえども暗澹■陶の気陰々として自然人意をして
鬱屈ならしむるの感ありたれども近傍家々において
は旧五月五日に相当するを以て端午祭と称し各家
之れに汲々たるものの如く何となく意に介せざる
ものの如し。夕景午後七時五十分水平の微動なりて
その動揺何となく不快の感あり。同八時頃に至りて再
び動揺なりたり後晩餐につきおよそ八時五分にして
震動の大なるを感ぜり。その動揺を試むるに釣りランプ
の動揺は甚だ些微にして之に反し自体の動揺は益
大なるを覚え一層の不快を感じようやく其食を終われり
時は八時十分頃と覚えしが忽ち戸外庭前においてピ
ストル発射の音響の如きを聞き奇異の思をなさし
めたり。時に午後八時十五分頃となるや東方海岸に当たり
て俄然鳴動を始め汽船据付の機関機動の如き感あ
り大ならず小ならず上下一定の微動にして鳴動停
止するなく依て東方戸を排して海面を見るに牛島
と称する島岐より此方面に当たり大空朦朧として薄
赤色を呈し鳴動もまた同方向なり。右方面においては異
様なかりしこれあるいは天変地異なる微ならんとそれぞれ
取り纏めの用意に掛かるや忽ち寄洲中に建設ある数十
の納屋小屋轟然破竹の勢いを以て破壊し其音響を耳
にしては毛骨坐ろに立つばかりなりし。これあるいは海嘯
なるものならんとまさに居室を奔り出んとするや
早やすでに庭を越え戸外には怒濤激射し家屋を破壊
するの響分時も余裕あらず奔逸以て発声戸外に出
ずべしと三四回大呼して以て戸外に飛び出したり如。
何せん当夜は四辺事物を識別する能わざるの暗夜
にして忽ち箭を射る如き数千丈の怒濤激流し来る
に遇い一歩をも徒するに暇なくして身は忽ち両足
を払われ激浪に巻き込まれたり。而して一の倉庫に当た
り三四回の廻転身体をして益々苦痛に陥らしめた
り水上に浮かび泳ぎ出さんとせど頭上には大材塵芥満
ち出るに由なく身は益々水底に在りて押し流せらる
るのみ思えらく此急激を泳ぎ出するを得るとするも
大材塵芥のため泳ぐ能わず。よって衣を脱ぎざる様注
意し呼吸は勤めて止め毫も濁水を口にせざりし殆
んど五六分の時とも覚う頃突然水上に頭首を出す
を得たり。直ちに三四回呼吸するを得るや忽ち前面
には一大家屋ありて押流之に激し高浪山嶽をも崩
壊せんとする勢いにして之を避けんとするも押流急
激なるを如何せん身は再び此廻転中心に巻き込ま
れたり。遂に其成すに任せ水上に出てんとするも亦
大材塵芥益々閉鎖して毫も出る能わずここにおいて思
らく此危激廻転二回まで遇う身は一層の疲労を感じ
到底此難を無事に免るる能わず空しく命を没する
ものと断念せり。此極に至りて最早濁水を吸収せん
とまだ覚悟せりき。然しながら呼吸を止め得る限りは
務めて濁水を吸収せざるも益々究迫し遂に二三回
これを吸収するや忽ち苦痛煩悶少時も措く能わず
知らず知らず手足を以て水上に浮かび出るを謀れり
依て頭上大材塵芥をようやく排措し頭を出し呼吸を試む
るに自在なりとは思いざりし。然るに忽ち知覚を失
い一度は魂瞑空しく体を止むるのみ此間分時知る
能わざりし後微々遠々たる人声を聞く。数回聞くに
従いて人声益々高く且つ近く恰も夢裡の内を彷徊す
るの感あり之れを見れども漠として見えずようやく肉
眼を開けば前面山腹十数間に一燈の火光を微に望
むを得たり。大に気を得て身体を大材中より抽出せ
んと謀りしに思わざりき左足の甲部に大材の横押
するとは暫く之を取らんと躊躇せり。然るに人あり
突然来たり救うに遇い以て身体の自在なるを得たり。
徒歩蹌々ようやく燈下に至らんとす時に身を遮るも
のありこれを見るにその何たるを知らず始めて電線
横梁たるを悟れり。ここを以て身はすでに夏井村の山中
に来たりしものと誤認せりき。ようやく燈下に至れど容貌
の一変せるを以て其誰たるを知らざるが如し一人
知る者あり諸人驚き扶く其所を問えば大字門前琴
毘羅3傘下の一小寺なりとは大に最初より其方向を
誤らしめたり。室に入り直ちに衣を脱し寝に就かし
めらる。室内は殆んど空隙なき有様にして其老幼を
問わず各所に悲鳴を発するものあり慟哭するもの
あり救助を乞うものあり医師を請求するものあり。
然れども急卒の場合一人として顧みるものなし若
し自身にして身体自由ならしめば之れが救を行わ
せしめんとの念慮再三再四に及びたり如何せん身
は歩行すら能わざる身体なれば苦痛を忍びただ空し
く之れか助言を与うるに止まるのみ。時に胸に浮かび
しは同僚佐藤雇の上に及ぶ其生死も知るによしな
く二三の知人の来るを幸とし之れか居所を求むる
を托し身は人肩に依て久慈町病院に向かえど字下門
前に至るや路傍警官数人に遇い其行き先を尋ねらる
即ち久慈町に至ると答う。警官曰く最早医師来る筈
暫時待つ可して依てある農家に憩い午前二時頃に
至り医師出張それぞれ負傷を検査しに付再び人■に
て午前六時頃ようやく久慈町に着せり以て万死を免る
るを得たり。同僚佐藤雇大字門前兼田和吉方に寓
居し毎に朝夕百事協議の上其工事上よりその他事務
の取り扱いを行い常に事に握掌し殊に同日の如きは朝
来より微雨なれば夕景迄共に事務を取り後別れて
同氏は諸寓に就けり。夜に入り前件凶変に際しあるいは
屋外に出てたるやあるいはもっとも急激なる場合なれば逃げ
るに途なく空しく室内に在りしや其何たるや今日
となりては之を識別するものなく多分室内に在り
て家屋破壊中榮木を受けしものならんと想像説に
止まるのみ此変後百方手を尽くしその居所を求むるも
得ずようやく翌十六日夕景に至り同氏に類似のもの泥
土の中にあるを告くるものあり然しながらいずれも
相貌は変わりたるため判明せず翌十七日に至り確定
せしに付それぞれ一先其式を結了せり云々。

●福島赤十字社支部員の出発

同支部幹事医
学士賀古桃次医師平岡誠一の二氏看護人一名伴い
昨二十二日下り直行列車にて来盛。直ちに被害地宮古
方面へ向け出張。また同支部派遣の医員二名看護人一
名は同列車にて西磐井郡一関に着。直ちに気仙被
害地方面に向け出張せり。

●単衣送致

今回の各地沿海の被害者は兎角急
時のため生命を助かりしもの一時を以て逃れざ
る次第なれど差し当たり身に纏うべきものさえなく実
に其の惨憺たるありさま黙過するに忍びざる故不
取敢被害地に向け単衣七百枚丈その筋にて至急送致
せりと。

●管内海嘯被害概 数取調一覧表

(明治二十九年六月二十日午後六時調の分)
(表中○は町名 余は村名)
┌---------------------------人口-----------------------┐ ┌-------------------------戸数--------------------------┐
郡 町村名 人口(人) 死亡(人) 負傷(人) 健在者(人) 戸数(戸) 流失家屋(戸) 半潰家屋(戸) 存在家屋(戸)
気仙郡 気仙 三六五一 二〇 一六 三六一五 五六九 四三 一六 五一〇
○高田 三四八九 一 ・・・ 三四八八 六一六 一 ・・・ 六一五
米崎 二四六〇 一二 一〇 三四三八 三五〇 二九 五〇 二七一
小友 二五一九 二六〇 一四 二二四五 三八一 九三 五 二八五
廣田 三一〇二 三〇〇 一一 二七九一 四六九 一〇 二〇 四三九
末崎 二九六五 六五九 三〇 二二七六 四〇〇 ・・・ 一七六 三二四
大舟渡 二三〇四 八三〇 二〇 一四五四 三〇六 三五 三〇 二四一
赤崎 二九八五 四九七 五九 二四二九 三八九 二五〇 ・・・ 一三九
綾里 二八〇三 一五〇〇 八二 一二二一 四五一 二〇〇 一〇〇 一五一
越喜来 二四四九 三八七 ・・・ 二〇六二 三二二 二三 一二四 一七五
吉濱 一〇七五 七四 一三 九八八 一三三 ・・・ 三二 一■■
唐丹 二八〇七 二五〇〇 ・・・ 三〇七 四七四 三八〇 三 ■■
計 三二、六〇五 七〇四〇 二五五 二六、三一四 四八六〇 一〇六四 五五八 三一三八
南閉伊郡 ○釜石 六五五七 四七〇〇 五〇〇 一三五七 一二二三 一〇八〇 ・・・ 一■■
鵜住居 三一四七 一〇六九 一九〇 一八八八 五一一 三五〇 ・・・ 一六一
○大槌 六五五五 九〇〇 七二四 四九三一 一一九二 三六九 ・・・ 八二三
計 一六、二五九 六六六九 一四一四 八一七六 二九二六 一七九九 ・・・ 一一二七
東閉伊郡 船越 二二九五 一二五〇 七〇一 三四四 四七四 一〇四 ・・・ 三七〇
織笠 一八〇〇 六〇 五〇 一六九〇 三〇三 六〇 ・・・ 二四三
山田 三七四六 一〇四〇 二〇〇 二五四六 七八二 四〇〇 ・・・ 三八二
大澤 一〇三六 五〇〇 一一九 四一七 一九九 一九三 ・・・ 六
重茂 一四九三 七〇〇 三三 七六〇 二三六 一九五 ・・・ 七七
津軽石 二六一八 三 一 二六一四 四三四 八 ・・・ 四二六
磯鶏 一九九六 九〇 五四 一八五二 三六五 一〇九 ・・・ 二五六
○鍬ヶ崎 三四五九 一〇〇 三三 三三二六 七〇一 三〇〇 五〇 三五一
○宮古 五一五七 一二 ・・・ 五一四五 九九三 二〇 ・・・ 九七三
崎山 九八一 一六〇 一二 八〇九 一■五 四五 九 一〇一
田老 三七四七 二六五五 二七七 八一五 六六六 一二三〇 ・・・ 五二六
計 二八、三二八 六〇七九 一四八〇 一八、二七六 五三〇八 一五二八 五九 三七二一
北閉伊郡 小本 二〇九〇 三六七 二五七 一四六六 三八六 二三〇 ・・・ 一五六
田野畑 三〇二五 三〇三 四五 二七〇七 四六五 二三 四 四〇九
普代 二〇三八 一〇一〇 ■■ 九四二 三三〇 二五八 ・・・ 七二
計 七一五三 一六八〇 三五八 五一一五 一一八一 五四〇 四 六三七
南九戸郡 ○久慈 四〇九二 四〇〇 三九〇 三三〇二 六五七 一〇〇 ・・・ 五五七
宇部 二二四四 一六〇 八〇 二〇〇四 三二八 四八 ・・・ 二八■
野田 二五九〇 三二一 五九 二二一三 四一一 一二〇 ・・・ 二八〇
長内 二七一九 一二五 一二一 二四七三 四七二 五三 ・・・ 四二〇
計 一一、六四五 一〇〇六 六五〇 九九八九 一八六八 三二〇 ・・・ 一五四八
北九戸郡 侍濱 一三九七 一〇〇 一七九 一一一八 一八五 五〇 ・・・ 一三五
中野 一六九五 一五一 七八 一四六六 二二八 五三 ・・・ 一七五
種市 四六八五 二〇〇 九一 四三九四 六五五 八〇 ・・・ 七■
計 七七七七 四五一 三四八 六九七八 一〇六八 一八三 ・・・ 八八五
合計 一〇四、七七一 二三、四一五 四五〇五 七六、八五〇 一七、二一一 五四三四 六二一 一一、一五六
備考 人口戸数は警察署の戸口調査による。
本表の被害数は時々増加を来たすにより
日々変更あるべし。

両陛下の御救恤金

昨日午後三時二十五分発を以て土方宮内大臣より服部本県知事へ宛て左の電報あり。
本月十五日其県下非常海嘯のため被害少あらざる趣憫然に思召され聖上皇両陛下
より金一万円賜るに付目下救恤の補助に充つべし。
天恩海岳仰ぎ奉るだに畏し罹災民また■さに愁眉を開くなるべし。