雑報
●大海嘯大惨害彙報
○龍田艦の派遣
今回の海嘯に
て無残の溺死を遂げたる人民の死体は大概沖合い遥
かに漂流しこれが蒐集上甚だ困難なりと云い沿海
の大小漁船は悉皆流失せしと云い旁にて?部県
知事より横須賀鎮守府へ軍艦の派遣を申請したる
処同府において速やかに充諾せられ帝国軍艦龍田号
(八百六十七頓五千六十九馬力)を派遣することに
なり一昨日同府解纜したりと云う。
○函館より米穀を輸入す
二万
二千余りの人命を害したる上なお六万余の災余の民
は飢餓に苦しみ惨状云うべからず。而して姦通の上便
と人夫の欠乏等この刻下に急に応ずる能はざる
の恨みあり。旁にて本県においては県属松本義敬氏
を函館に出張せしめ同所において白米四百石を買い入
るることなり。同県属は一昨日の下り二番列車に
て同地へ向け出発したるが右米穀は郵船会社の汽
船千歳丸に搭載して東閉伊郡宮古港に直送し同港
より各沿岸罹災地へ配布する筈にてすでに人夫その他
の準備も整頓し該汽船着否や直ちに配布すること
とあり居るとぞ。
○赤十字社
より医師富田是志立川
方鈐島谷為英薬剤師田島耕之助吉田芳太郎看護人
瀬川銀■郎磯部浩野坂和亮市村馬忠酒井久馬佐伯
宇之助清水耕一沖園吉岩崎房吉の諸氏は一昨夜
の終列車にて来盛当停車場前清風館にに一泊の上昨
日午前第六時宮古へ向け出張。
◎県会常置委員実況巡視
今回の凶変については
本県会常置委員諸氏は昨日被害地へ実地検分に罹
災者慰問を兼ね各部署を定め出張せらる。その個処
は左の如し。
釜石より大槌を経て和山通り盛岡に帰ること。
鈴木文三郎
釜石より山田町、宮古を経田老まで巡視
高橋嘉太郎
小本街道より岩泉に出て小本濱より種市まで巡
視八戸へ出て帰処 為田文太郎
気仙郡内高田、廣田、盛、越喜来、唐丹を経て釜
石に出で帰盛のこと 三田義正
◎小軽米常置委員
同氏は去る六日宮古において
開会の水産大会に出席し同会閉会後出県の途途郷
里釜石町の自宅に立ち寄られ滞在中このたびの凶変と
なり同氏を始め全家流亡の上幸に罹りたるは憐れむ
べし。
◎柳田藤吉氏の義捐
当市出身の在根室なる同
氏は今回の管内凶変に接するや罹災者救恤として
金三百円寄贈の旨昨日電報をもって本県庁へ申し越
したりと。
◎実況具申
東閉伊郡織笠村昆貞八氏(県会議
員)は今回の凶変については辛くしてその難を免れ
たる由なるが同氏は被害実況具申旁に再昨日
出盛同日県庁に出頭したり。
◎生存者補助方の照会
当市八日町の横田吉五
郎なるものは兼ねてより家族を引き纏め東閉伊郡宮
古町に寄留の処今回の凶変にて右吉五郎と母お何
妻てつ四男の末蔵の四吊が溺死し二女さと(十三)三男
寅蔵(十一)の二人のみ生き残りしたるにぞ目下市内六
日町の村田亀太郎方に奉公し居る吉五郎の次男吉
蔵(十五)に遺族扶助のため出張致すべき旨の達し方
を宮古町役場より当役所へ照会し来たりとぞ。
また同郡火澤村長の職にある当市上田の藤原熊吉
及びその妻お何も溺死し一子某のみ生存しあるにつ
きその親族当市藤原某、同上の儀を市役所に照会
し来たりとぞ。なお斯かる惨聞は爾今続出ずべけ
ればそは得るに随え掲載すべし。
◎山田重茂田老一町二村
の惨状は時日は経る
に従い益々その甚だしきを知らる。山田町にしは死者およ
そ千人に達したるも今日までに発見せられたる屍体
は三百五十人余に過ぎずここに最も田老る一罹災民が
飢寒甚だしかりければ自家の土蔵内に火を焚きける
に如何にしてかその火が土蔵内に燃えはてて四方
の家屋にひろがり?々たる猛炎の裡に包まれ
たる進退自由ならざる罹災民今またこの厄難に出遭
へ水責め火責め並び至るの惨状に悲哀号泣の有様
実に阿鼻叫喚大叫喚の責苦も斯くやと思わるる許
りにて遂に四十吊余の人民は一片の煙りと化り
去りたるは無残と云うも愚かなり、重茂村は一面
に茫々たる原野と変じただ僅かに村長西舘富彌氏家
屋の屋根のみ山端に押し付けられその吊残りを止め
たるは無残の至り。出水高さは平水より七丈余(高
さは山腰にかかりある芥溜に依りて量る)屍体は
重もに海上に浮漂しつつありて陸上にて少なく追
々漂着するの有様なり。而して負傷者は多く重傷に
して且■水を甚だしく呑みたるためいずれも容態頗る
危篤。船舶は一隻も余さず流失あるいは破壊したるため
海上に浮漂する死体蒐集するに由なく。牛馬の死せ
しもの牛は百頭以上馬は二頭なりと。同村駐在所詰
田村巡査の屍体はいまだ発見せずただ同人が佩剣と吊
刺三枚を芥中より発見せりと。田老村は死者二千余
人の多きに達し死屍累々山積その発見せしもの二
百吊余に達したれどもこれを片付くるに引受人もな
く人夫もなく殆ど処置に困難を極め居るとぞ。しか
し生存者の救護その他の処置畧ぼ緒に付きたり。村長
は上京上在中なるも差し掛かり村治担任者なく上便少な
からざるを以て生存者の扉田永吉を仮村長と為し
たりと云々と十九日発の通信。
◎警察部内の遭害彙聞
今回の変災のため釜石
警察署は流失し同署勤務巡査古川小右衛門死は死
亡、署長以下十四吊皆負傷、山田警察分署は大破
同部内船越越駐在所巡査渡邊浩氏重傷小川退蔵氏は
妻子共に死亡。盛警察署部内綾里駐在処流失菅原
熊吉氏負傷、廣田駐在所流失巡査二吊重傷、松崎
同巡査妻子と共に死亡、越喜来駐在所流失同勤務
巡査玉山悦人家族と共に死亡、唐丹駐在所流失同
勤務巡査根元善八氏家族と共に死す、岩泉警察署
部内小本、普代両駐在所流失勤務巡査は家族と共
に皆死亡、宮古警察署部内田老駐在所流失同勤務
巡査種市愛仁、高橋為次は家族と共に死亡、重茂
駐在所流失勤務巡査田村泰次郎氏家族と共に死亡。
大川目警察署部内野田駐在所流失同勤務巡査は妻
子三人と共に死亡。
◎死亡小学校教員
気仙沼沿海小学校教員にて
今回の凶変のために無残の死を遂げたるは左の諸
氏なりとぞ。
唐丹尋常小学校訓導菊池仁丙、砂子濱本庄
左衛門、綾里同千葉榮太郎、千葉貞廣、小友同
上田貞政、廣田同久保芳太郎