今般巖手靑森宮城三縣下ヘ海嘯罹災信徒諸氏に對
シ慰問トシテ成澤孝巖ヲ派出爲致候間到着ノ際ハ
萬事御配慮ニ預度此段乍■儀新聞紙ヲ以テ御案内
申上候也 山形縣羽前國西田川郡
西郷村本字下川
七月三日 善 寳 寺
巖手、賴森、宮城三縣下
信 徒 各 位 御 中
●三陸海嘯慈善義太夫會
發起人 土澤町 竹本勢尾太夫
元花巻後藤旅店事 竹本 後政
惣 世話人 佐藤喜太郎
出 元 仝 松田久之助
花 仝 瀬川金太郎
語 巻 仝 金矢善太郎
連 仝 阿部善太郎
り中 仝 箱崎久治郎
壹人壹錢つヽ揚り 三味線 鶴澤 友吉
仝 門 よ し
一金五圓也 揚り金高
一出し物引札 千枚 梅野活版所ヨリ本會へ贈與
右會去る六、七の兩日花巻一日市濱屋に於て廢會
揚り金高は罹災者へ救助方巖手公報社へ依頼仕候
先般東海沿岸海嘯ノ慘報ニ接シ直チニ被害地ヘ出
張■査致シ一家全亡等許多ニシテ未タ正確ノ調査
ハ遂ケ得サルモ弊社ノ拂渡スヘキ保險金額ハ結局
壹万四千圓ハ超過セサルモノト信認仕候右金額ニ
止リシハ不幸中ノ幸福ト奉存候仍テハ此際種々ノ
浮説ヲ■造シ多少ノ疑惧ヲ抱キ候モノ可有之ト存
候故迅速結末相付ケ我社ノ信用ヲシテ■々■固ニ
歸セシメ併セテ保險ノ必要ヲ社會ニ發表致度精■
ヲ以テ仙台支社ニ於テハ支配人ヲ派出シ目下保險
金仕拂方履行罷在候間爲念廣告仕候也
明治二十九年七月五日
内 國 保 險 株 式 會 社
仙 台 支 社
出張員 小 岩 三 郎
廣告
本紙廣告欄内帝國慈惠女學院廣告中入院希望者ハ
巖手縣ハ巖手縣廳海嘯臨時事務所ヘ向ケ遠慮ナク
申込ムヘキ旨記載有之候得共當廳ニ於テハ右取扱
ヲ承諾シタルコトナク全ク關係無之義に候間此段
廣告ス
明治廿九年七月八日 巖 手 縣
今回海嘯に付安否御尋に預り難有奉謝候早速御回
報可仕筈に候得共局務多忙の塲合一々御挨拶に及
兼候乍畧儀紙上を以て御答禮申上候敬具
明治廿九年六月廿九日
大槌郵便電信局長 鈴 木 小 平
局 員 一 同
廣告
本社に於テハ今般地方支部規則ヲ定メ各府縣ニ支
部ヲ置キ益社業ノ擴張ヲ企圖スルコトヽ相成候ニ
付從前ノ巖手縣委員部ヲ廢シ當支部本月一日ヨリ
開始ス
明治二十九年七月
巖手縣盛岡市内丸
日本赤十字社 巖 手 支 部
十一日出帆ノ筈ノ處都合有之來ル
千年丸 十五日午前第四時出帆三陸諸港ヘ
寄港ノ上八戸行ニ改ム
去十五日未曾有の海嘯罹災に付各位
樣方態々御光來續々御見舞被下置候
ハ勿論種々御惠物迄も御寄贈被下御
厚志の段忝奉深謝候就てハ速に御厚
禮可奉申上筈の處罹災後取込中故本
意を遂くる能はす乍略儀新聞紙上を
以て一應奉鳴謝候併て野生等兄弟家
内に限り下男下女に至る迄殆んど四
十人に上■家内一人の死傷なく不思
儀にも各自無恙滿足に萬死の一命を
助く申候間不幸中の幸乍憚御休神奉
仰候恐々謹言
岩手縣陸中釜石港
兄 村 井 辰 五 郎
弟 村 井 義 藏
●海嘯御見舞
謹啓今回海嘯の慘害に罹らせられた
る各地方の諸君へ早速參上一々御慰
問可致の處御混雜の際却て御迷惑と
奉存候に付乍畧儀新聞紙上を以て一
片の御見舞まて申述候敬具
宮城縣刈田郡鎌先
温泉主 一條 一平
旅館
旅 店 村山 卯平
旅 店 鈴木幸右衛門
旅 店 木村 なを