衣食の救援ぞく〈 復興リズムにのる新宮市
惨禍をうけた新宮市は早くも電燈
もともり■■から熊野川原に小屋
がけの急造バラツクが建ちならび
市民たちは鉢巻、モンペ姿で復興
へ逞しい氣がまえを示している
おそろしい震火から十日、市では
連日市會をひらいて■■をねつて
おり、さしあたり住む家のない力
のない罹災者のために三千戸のバ
ラツクを残置すべくさきほどの市
會で百四十五万円の■■を決定、
一方食糧の方は■■の■■■■の
震火災■■本部の■き出しや■■
米によつて急禍をしのぎ、さらに
各地から三千俵に■い米が■保さ
れたうえ、■貯軍の■■による特
■物資十五トンが名古屋から到着
し、正月二十日ごろまでの主食は
確保されて■■を■たかたち、ま
た本■からの毛布八千枚、附貢兩
村からの■間なども続々届けられ
どうやら正月はこせそうである
■■方面を大阪府救援■六十四
名が府衛生部■本事務官を■長
に六班にわかれて■■を開始大
阪■民病院、緊急病院、■■■
院、■■■院、■■からの一行
五十名の■■■■■■■■■■
住友病院からも太田博士を隊長
に■■■十五名が繰りだしてい
る、■■方面では勧銀支店が全
燒一人當り五百円、一世帯二千
円まで、半燒一人當り二百五十
円、一世帯一千円まで、全壊一
人當り三百円、一世帯一千円ま
で、半壊一人當り二百円、一世
帯六百円までの非常沸出しを二
十六日から開始したほか、各銀
行では住宅建築資金として一戸
一万円の融資を行つている
復興へ氣負いたつ罹災者をはげま
すため■■局新宮出張所では助か
つた煙草(キンシ)を二十本づつ
を、尾崎酒造部ではこれも一世帯
五合程度の酒を特配している
交通関係も二十四日から木本、
勝浦間の運■を開始、串本へは
年内に、西線全通は一月初旬と
いう見込がついた、電信電話も
ぽつぽつ復旧を見てゐる
三日前に判つたよ 中央氣象台 大矢技手の残念話
紀南の地震
紀南一帯を襲つた大地震の
震源地、被害■■■調査の
ため同■■■■■■中央氣
象台、名古屋■■■■■、
氣象技手大矢正■氏は新宮市で■
きのように語つた
■■■■■■■■■■■五、六
十キロの地点で、太平洋■地帯
の大■■■■■■■■■■多岐
をきわめ、■■■■■非常に規
模の大きな地震であつた、こん
どの地震で■■■■■■■■と
められたが、これは地電■の急
激な■化、岩石粉のまさつ、密
度の非常に違う空氣のまさつに
依る■のである、津浪の危害は
廿字■の■よりV字■の■■大
きく、また震源地と■の方向の
角■の相當によつても被害の程
度が違うわけで、■■市は震源
地からは遠いが被害は大きかつ
た
尾■■候所では■■■■■■よつ
て三日目の夜すでに豫知しており
正式な發表はしなかつたが、地元
管區では内■に發表して■■警戒
を厳にしていたので地震と同時に
整然と事に當つた
この地方としては安政の大地震
以来の大地震で昭和七年十二月
の熊野■沖の地震と震源地を同
じくそてゐる
木本−新宮間の一南線■の海岸は
は浪の被害僅少で、また今後再び
大地震がない限り突然津浪が来る
ようなことは絶対にない
震災義捐金募集に赤十字起つ
(寫眞は義捐金を投ずる進駐軍の兵隊さん)=共同
関西の大地震は日本有史以来のものとしてその
三界と目に余るも
のがあるが震災救
援の義捐金募集に早くも日本赤十字社は街頭に
■出目■しい活動を開始しているが進駐軍の兵
隊さんお義捐金が多いのが注目されている
三千百余圓の義金 松阪の中、女學生が本社に寄託
松阪商■および中學、飯南高女の
生徒有志は去る二十五日から四日
間■線松阪駅前と■信前の二ヶ所
に■■進出して同胞救済金募集を
行つた結果
金三千百三十五円三十二銭が集
つたので縣下の戦死者未亡人に
贈つて下さいと三十日杉本■一
(松商)鎌倉飯子さん(飯南高
女)の兩名が代表で本社松阪支
社に来訪寄託した
▽南牟婁郡御船村浦木茂芳氏は新
宮市の震災見舞金として金五万
円を寄附した
配給
【南牟婁】正月用酒
各戸に一升づつ二十七
日配給