救済へ連合軍活躍 醫療品や食糧などを投下
輪内吉津の震災者に應急米
今度の震災による
縣下の罹災者は幸い僅少で、南北
輪内吉津方面が浸水、流失により
比較的打撃が大きかつたが、縣で
は同地方の罹災者に対し應急措置
として一日一人一合の割で五日分
の主食を配給した
市民は冷静だ 新富を見舞つた徳永さん
新宮市の震災被害状況観察に赴い
た徳永縣警察部長は二十四日夕同
市の状況を尾鷲署を通じて次のよ
うに報告してきた
新宮市民は罹災後非常に冷静で
直ちに復興にとりかかり市内も
全く安静だ、市民の大多数は多
少の衣類食糧をもち出しまた和
歌山縣内の連絡もついたので急
援物資がどしどし送りこまれ輸
送路も回復したから今後更に本
縣からわざわざ輸送するには及
ぶまいと考えられる
開通は来月下旬 尾鷲、木本間の省営バス
尾鷲、木本間省営バスは震禍で数
十ヶ所に道路決壊、尾鷲、木本兩
上本出張所で復旧を急いでいるが
開通は明春一月二十日ごろになる
見込み
麥作卅町歩 土曾地方の被害
過日の地震による土曾
郡の麥作被害は吉津、島津、神原
三ヶ村約三十町歩が高汐により塩
害をこうむつたほか大した影響は
ない
爆薬を抱き火中へ 猛火をくいとめた坑君の殊勲 震災美談
全市の三分の二、四千戸に近い
家屋を燒き■した新宮市の震火
災を最後の一線である市役所、
警察署前でくい止めた防火陣に
光る一警防團員の果敢なる奮闘
美談……
……◇……
それは対岸の危急に駆せ参じた南
牟婁郡鵜殿村警防團員 坑愛雄君
(二九)で防火に必死の泉田新宮署長
も”もうこれ以上火の手を延ばし
ては”と悲壮な決意の下に最後の
一線を築くべく市役所横の火勢を
怖れ爆破による防火線構築を命じ
たが誰一人として應ずるものがな
い
そのとき應援隊として筒先をと
つていた坑君は卒先”よし俺が
やる”と決死、ダイナマを抱き
襲いくる火の手を目がけて挑み
附近家屋を犠牲に最後の一線を
築き火の手の行き先を完全に防
止した
坑君のこの勇敢さに泉田新宮署長
はじめ並いる人々は驚嘆した
同君は南方に派遣され今夏帰還
した復員の人であるが、同市の
大火を最終の線にくい止めた勇
敢なる行動に対し所轄の中田鵜
殿署長は感激このことを知事代
理官として災害見舞の清水警察
部長に報告した(寫眞は坑愛雄
君)
バ神父も感激の握手 大里村學童ら社會館へ ”一握の麥”一俵を寄贈
縣下の困窮者を
収容救済するた
めに津市カトリ
ツク教會が建設
を急いでいる社
會館に附属した
農園の耕作を一
切引受けた三重刑務所囚人らの
汗の奉仕振りに感激した河■郡
大里村國民學校児童代表が二十
六日朝教會にバーリー神父を訪
ね同梭児童六百名が一握りづつ
持ち寄つた約一俵の麥を”農園
にまいて下さい”と差出した、
神父は
「自分の社會事業がこんなに
早くよい反響をもたらしたこ
とは実にうれしい、青年團か
らも馬鈴薯の寄贈があるそう
だがこの尊い精神がやがて食
糧供出を促進して日本の再建
に大きな力になることと思
う」
と語り、児童らと堅い握手を
交した
空前の好成績 四日市の越冬援護
四日市市
の越冬同胞援護運動は全市民
の燃ゆる同胞愛で空前の好成
績をおさめつゝあるが、廿五
日現在で市役所に寄託された
援護金は八万六千余円の巨額
に達し、援護物資も白米五斗
甘藷三百二十余貢など多数が
届けられている
申し出を早く 山田の戦災救助金
宇治山田市で
は十八日から二十二日まで戦災應
急救助金の沸出しを行つていたが
該當者一万八千六百四十五名のう
ち未だに三千二百九十五名が申し
出ないので市當局では名簿整理そ
の他の関係上未受領者は至急厚生
課援護係に届出るよう要望してい
る
見舞いにお酒配給 山田
宇治山田税務署では管
内の震災被害家庭(但し全壊、半
壊のみ)へ見舞品として清酒三合
(一世帯)を近日中に配給する